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八重と会津落城
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歴史
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第二章 動乱の京都

『八重と会津落城』
[著]星亮一 [発行]PHP研究所


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 覚馬、京都で海舟と再会

 主君・松平容保(かたもり)への直訴(じきそ)が成功し、山本覚馬(かくま)元治(げんじ)元年(一八六四)二月、主君より一年二ヶ月遅れて京都に入った。この時、三十七歳である。砲術師範には、弟子の川崎尚之助(しようのすけ)を残してきた。妹の八重(やえ)の夫になる人物である。

 尚之助は兵庫の出石(いずし)藩の町医者の息子だが、どのようないきさつで会津に来たのか。
『会津藩教育考』によれば、会津藩に蘭学所が開かれたことを知って、覚馬を訪ねてきたという。そして覚馬が尚之助の非凡(ひぼん)さを見抜き、日新館(につしんかん)蘭学所の教授に推薦(すいせん)したとあるが、もともと江戸で知り合ったのではなかろうか。突然、訪ねてくるというのは不自然である。

 また、当時の結婚も一般的には親が決める。そういう観点からすると、八重が尚之助に好意を寄せた、あるいは尚之助が八重に求婚したというよりは、覚馬が八重に結婚を命じて出かけたに違いない。

 京都に着いた覚馬は久方(ひさかた)ぶりに勝海舟(かつかいしゆう)と会う。海舟は軍艦奉行(ぶぎよう)役高(やくだか)二千石)になっており幕府の高官である。にもかかわらず、海舟は幕府を見限っているように見えた。
「どうもね、世の中、石頭が多い」

 と(なげ)いた。


 神戸海軍操練所の夢と挫折

 この頃、海舟は日本海軍の創設に全力投球していた。幕府の海軍教育機関・神戸海軍操練所(そうれんじよ)を設けたのである。
「生きのいい連中が集まったよ」

 海舟は自慢げな様子だった。幕臣だけでなく上方(かみがた)、四国、九州、中国地方まで広く人材を(つの)り、日本国海軍をつくろうという夢に取り組んでいた。土佐(とさ)の坂本龍馬(りようま)を配下に、多くの若者を自由に動かしている。
「この人は実行の人である。とても(かな)わない」

 覚馬は(かぶと)を脱いだ。会津の人々は「海舟嫌い」だが、その例外が覚馬と神保修理(じんぼしゆり)だった。

 そのさなかに、池田屋(いけだや)事件が起こる。

 元治元年(一八六四)六月五日、京都に来て四ヶ月後のことである。長州の浪士(ろうし)が集まって京都で騒乱を起こし、京都守護職・松平容保を暗殺し、京都を乗っ取らんとする謀略(ぼうりやく)を練った。
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