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ことばのスケッチブック
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生き方・教養
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食事とことば

『ことばのスケッチブック』
[著]楠本憲吉 [発行]PHP研究所


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 食事とマナー



 食事を一緒にすると、その人の躾や教養や氏、育ちが全部出てしまうから恐ろしい。


 あたりかまわず大声でしゃべったり笑ったりしながら食べたり、口の中でくちゃくちゃ音をたてたり、食器をガチャガチャ鳴らしたり、口中に食べ物をほおばって食べたり、ひじを張ったり、テーブルの上に手をついたりたたいたり、新聞や週刊誌を見ながら食べたり、人前で母親が自分の口でかんだのを赤ん坊に食べさせたりすることはすべてはタブーである。


 他人に迷惑をかけず、しかも楽しく食事すること。食事中、人を叱りつけたり、やたらに用事をいいつけたりするのもよろしくない。又、立ったり坐ったりすることも。


 女性の場合、美しく食べることも美人の条件にいれていいだろう。


 私たちは子どもの頃から、食事中の躾を実にうるさくされた。たとえば食事中のおしゃべりは禁じられたし、食べ残しはもちろん、食べ方までやかましくいわれたものである。


 魚など食べ残すと、私の母は、

「そんな食べ方をするとあんたのために殺されたお魚は成仏できませんよ」


 といって私をたしなめたものである。


 箸の使い方にもいろいろとタブーがあった。まず移り箸といって、料理をひと口食べたら、次はご飯を口にすべきで、焼きものからすぐに煮ものなどに箸を移すことは不作法とされて禁じられた。迷い箸といって、おかずを食べるのに、これと定めず、箸を持ったまま、どれにしようかなと迷うこともタブーであった。よこ箸といって、箸についたご飯粒やおかずを、箸を横にして口でなめとることなどもってのほかとされた。要するに、「箸の上げ下ろしにも」小言をいわれたものである。


 私は最近、タレントさんとよばれる若い女性と食事を共にする機会が多いが、おおむね失望しがっかりすることが多い。実に食べ方が不作法でだらしがないのである。


 おいしそうに食べることが最大のマナーだといったひともいるが、おいしそうに食べるためにはまず美しく食べるように心掛けてほしい。たとえば、どんなにおいしそうでも、ペチャペチャと音を立てれば万事休すである。



 美しい食べ方



 若いお嬢さんたちは洋食のマナーについての心得のある人は多いけれども、意外と和食、そのなかでも冠婚葬祭の儀式に出される本膳料理に弱い。精進料理も、お茶会の懐石料理もこれに属する。


 お通し、吸い物、さしみ、酢の物、口替り、焼き物、煮物、止め椀(みそ汁)がいわゆる懐石料理のコースである。


 お通しの次に出される吸い物の食べ方がむずかしい。蓋をとるとき、片手で取らず、必ず軽く片手をそえて取ること。食べるときも片手ではなく、両手を添えて静かに食べるのがコツ。


 さしみのつけじょうゆはなるべくさしみ皿のそばへ寄せるとよい。魚の串焼が出た場合は、まず串を箸ではずしてから食べること。


 器の大きな煮物は、蓋にとりわけて食べるとよい。大きな器を両手でかかえてたべるのは格好がよくない。


 食事中のおしゃべりは口の中にモノを入れたまま、モグモグやりながら話さないこと。ましてや器と箸を持ったままのおしゃべりは絶対にいけない。


 ご飯またはお汁、おかずをよそわれて、いったんお茶碗やお椀を膳の上に置かず、すぐ食べることは「受け食い」といって嫌われる。


 いったいこの「よそう」ということばは「装う」からきたもので、ご飯やお汁やおかずを入れものにいれるとき、見た目にもきれいに盛りつけることをいうわけである。


 箸を置くときは必ず箸置きにおくこと。箸置きのないときは、お膳を汚さないように箸ぶくろを結ぶか、四つ折りにして膳の左端下におくとよい。それに懐紙くらいは持参することも心得のひとつであろう。


 美しく食べることは意外と面倒で厄介なものである。だからこそ美しく見えるのである。美しいことはむずかしいことである。早い話が美人になることはむずかしい。だから女性は誰でも美人になりたがるのである。


 日本料理、西洋料理を問わず、音を立てて食べることはタブーである(ただし、おそばやうどんは別)。食事中の中座も失礼である。西洋料理の場合、いったん口に入れたものを皿の上に出さないこと。パンでもちぎったものを一口で食べるべきである。また、タバコはデザートがすむまで吸わないのが正式である。



 正しい日本語を


「ご馳走さま」といえば「有難う」「いただきます」「すみません」「さようなら」という美しい日本語、挨拶語も消滅してしまいそうな昨今である。

「おはようございます」が「オス!」になり、「さようなら」が「バイ、バイ」になり「有難う」「すみません」が「どうも、どうも」になった。


 これはことばの幼児語化であり、流行語の氾濫という現象につながる。ことばの幼児語化は思考の幼児語化につながり、流行語の氾濫は表現の貧困を招来する。


 私は子どもたちに絶対に「幼児語」を使用させなかった。幼児の頃から正しい日本語を使わせたつもりでいる。なぜならば、成長するに従って、いずれ正しい日本語を教えなければならないからである。それならばはじめから正しい日本語を教えるべきであるというのが私の論理なのだ。


 パパ、ママということばも私は好きではない。「お母さん」「お父さん」という古来の美しい日本語があるのに、なんで舌足らずの英語じみたものを使わさねばならないのだろうか。かねて私の疑問に思うところである。


 正しく、美しい日本語を教えることは、豊かな表現力を養ない、情緒を解する人間を形成することに交叉する。


 そのためにはまずその手本となるべき両親が、正しく、美しい日本語を使わなければならない。


 病院の待合室で若いママが幼児に歌を教えていた。


 カァラス なぜなくの カラスの勝手でしょ


 こんな教育を受けるとやがて

「それでェー、ぼくはァー、えーと、なんでっかっ、感激! ギャッ!」


 の連発となること必定である。

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