読みたいトコだけ買える本。
犬耳書店
初めての方へ 記事一覧 無料登録 ログイン
0
-1
kiji
0
1
1178073
0
遊びの神話
2
0
0
0
0
0
0
ビジネス
お気に入りとは?

お気に入りボタンを押すとお気に入りリストにこのページが追加されます。興味のあるページ・気になったページを後から確認するのに便利です。

お気に入り お気に入り
ディズニーランドができるまで

『遊びの神話』
[著]一条真也 [発行]PHP研究所


読了目安時間:6分
この記事が役に立った
0
| |
文字サイズ


 ディズニーランドが従来のアミューズメントパークではなく、まったく新しいタイプのテーマパークであることはよく知られている。しかし、未だにレジャーランドなら、アミューズメントパークでもテーマパークでも同じだと思っている人も多い。これに遊園地という日本語が加わると、ますますややこしくなる。ちょっと、もつれた糸をときほぐしてみよう。

 まず、アミューズメントパークとテーマパークの違いをわかりやすく言うと、アミューズメントパークは「娯楽施設のある公園」であり、テーマパークは「一つの主題をもった公園」ということになるだろう。

 公園(パーク)というのは意外と新しい概念で、世界的に見てもその発生は民主主義と深い関わりがある。特にイギリスでは、それまで王侯貴族などが独占私有していた私有の大庭園や狩猟場であるパークが市民の要求により開放されていって、パブリックパークとなった。今ではパブリックの文字が取れて、パークだけで公園を意味するようになったが、封建制度の崩壊が私園を公園に変えたわけである。

 現在の公園には適当な広さがあって、花や緑などがあって、ベンチもある。しかし、アミューズメントパークには、花や緑のかわりにジェットコースターやメリーゴーランドなどの娯楽施設がたくさんあるのだ。さらに、テーマパークになると明確な主題をもってつくられている。ディズニーランドに行くとアーリー・アメリカの世界が、長崎オランダ村に行けばオランダがあり、ぼくたちはそこでシミュレーション体験ができるわけである。

 ところで、アミューズメントパーク、つまり遊園地の起源はどうなっているのだろうか。海野弘氏の『遊園都市』には遊園地の歴史が興味深く書かれているが、それによると遊園地の起源としていくつかのものが考えられるという。その一つが十七世紀のヨーロッパにはじまったプレジャー・ガーデンである。これは花壇や噴水などがつくられた庭園だが、射的場もあり人々はそこへ出かけて休日を過ごすようになった。十八世紀には賭博場や舞踏場もでき音楽会などのイベントも催された。一六六一年に開かれたロンドンのヴォクスホルは一八世紀にはヨーロッパで最も有名なプレジャー・ガーデンだった。ヴォクスホルには少年時代のモーツアルトも訪れている。一八五〇年にここが閉じられると、ヨーロッパ各地に続々とプレジャー・ガーデンができていき、十九世紀に近代的な遊園地の歴史がはじまる。一八四三年、ヨルジ・カルステンセンがコペンハーゲンにチボリ公園を開いている。チボリ公園は今でも年間五〇〇万人もの入園者を誇るが、それが近く日本にも来る。岡山市の市制百周年を記念して一九九三年、岡山にオープンすることになったのである。チボリ公園につづいて、一八五〇年に開かれたウイーンのプラーターは、ヴォクスホル以後のヨーロッパで最も有名なプレジャー・ガーデンとなった。

 海野氏はまた、遊園地の近代化のきっかけが博覧会であったことに注目しなければならないと述べる。クリスタルパレスのつくられた一八五一年のロンドン万国博、エッフェル塔のつくられた一八八九年のパリ万国博など十九世紀は「博覧会の時代」であった。万国博には近代技術の粋を尽くした建物がつくられたが、近代の遊園地はそれを早速学んだのである。博覧会と遊園地は一緒に発達してきたのであり、その起源はフェア(市)である。海野氏は次のように書いている。


  定期市や縁日のようなフェアは、ある決まった日だけ開かれる。その日には屋台店や見世物小屋、ゲーム場などが市のまわりにつくられる。しかし十八世紀までのフェアはそれほど派手な娯楽設備を持っていなかった。十九世紀になると、フェアは突然にぎやかな娯楽設備を持つようになる。産業革命によって機械技術が進み、都市化、交通機関の発達でフェアにそれまでとは比較にならないほど多くの人間を集中させ、巨額の利益をもたらした。フェアは大型化し、エンターテイメントを中心としたファン・フェアがあらわれるようになった。

  ファン・フェアつまり近代的な遊園地の出現を象徴していたのは、ラウンダバウツ(メリーゴーランド)であった。なぜならそれは蒸気機関によって動かされるものであったからである。鉄道の発達と回転木馬は一緒にあらわれたのであった。蒸気による近代的見世物としての回転木馬が十九世紀後半に遊園地の革命を行ったのであった。


 近代の遊園地はプレジャー・ガーデンとフェアの二つの流れを受けてつくられた。しかし、プレジャー・ガーデンとフェアという二つの空間は対極に立つ。なぜなら、プレジャー・ガーデンは定住して、いつも開かれているけれども、フェアは移動するもので、ある期間しか開かれないからである。移動するエンターテイメントと言えば、サーカスである。テントのサーカスも十九世紀に盛んになったものであり、遊園地の発達に大きな影響を与えている。

 遊園地という空間には、定住的な要素と移動的な要素の両方がある。ワールド・フェアとしての万国博は最もスケールの大きい移動式遊園地だったと言えよう。現在でもエキスポの跡地を遊園地にしたり、そこで使われた仕掛けを遊園地に移したりすることでもわかる。

 このように、サーカスと博覧会と遊園地は十九世紀にともに発達し、特に世紀末には万国博というグローバル・イベントの影響を受け、近代的なエンターテイメント空間を、つまりイベントフルでハートフルな場所を形成していったのである。近代企業としてのサーカスと遊園地を最も大きなスケールで成功させたのはアメリカだった。サーカスの方は、現在リングリング・ブラザーズ・アンド・バーナム&ベイリー・サーカスに集約されているが、遊園地は一九五五年にディズニーランドができるまで、ニューヨークのコニー・アイランドやロング・ビーチのシルヴァーズ・プレーなどの世界的に有名なものがあった。

 そして、ハリウッドにおける映画ビジネスの成功を経て、アメリカはテーマパークというアメリカ型遊園地を完成させる。ディズニーランドはテレビジョン、クローズド・サーキット・テレビ、CNN、その他のニューメディアとともにハリウッドの遺産なのである。泉眞也氏は『核兵器と遊園地』の中で述べる。


  ドイツは観念哲学で全世界に貢献した。フランスはファッションと料理、自由と博愛という思想で世界に貢献した。イギリスはどうか。いつまでたってもシェークスピアという印象があるが、現代文明を支えている非常に巨大な技術の多くは、実はイギリスから始まっている。コンピューターやジェット・エンジン、抗生物質の開発、オペレーション・リサーチなどのソフト・テクノロジーも元をただせばイギリスが発祥の地である。

  ではアメリカは何をもって世界に貢献したかといえば、それはたった二つの発明、核爆弾とディズニーランドによってである。哲学や文学ではほとんどみるべき成果はないが、核兵器と遊園地だけは世界が敬服せざるを得ないアメリカの発明である。


 こうして一九五五年、アメリカのアナハイムにディズニーランドが誕生したのである。そして、それから二十八年後の一九八三年、日本の千葉県浦安に東京ディズニーランドがオープンした。今度は日本にディズニーランドができるまでを振り返ってみよう。

この記事は役に立ちましたか?

役に立った
0
残り:0文字/本文:2988文字
      この記事を収録している本
      レビューを書くレビューを書く

      今レビューすると30ポイントプレゼント! 今レビューすると15ポイントプレゼント! 犬耳書店で初めてのレビューはさらに30ポイント! ポイント詳細はこちら

      この本の目次