日本における遊園地の起源は江戸時代の広場、境内地などの見世物場や飛鳥山や墨堤などの郊外行楽地に求めることができる。浅草公園には一八八七(明治二十)年頃から花屋敷、パノラマ館、一二階などが出現して、見世物の企業化がなされていった。
一方で、この頃から国内産業の興隆期に際しての各種博覧会がしきりに催され、メリーゴーランド、ウォーターシュート、大観覧車のように動力による娯楽機械が出品された。その影響を受けて、近代遊園地が生まれたのである。
日本の近代遊園地の第一号とされているのは、一九一八(大正七)年に宝

電車(現在の阪急電鉄)が宝

温泉開発の一環としてつくった現在の宝

ファミリーランドである。当時は宝

遊園地といった。
日本最初のレジャーランドをつくったのが小林一三の阪急電鉄だったというのは非常に興味深い。なぜなら、小林一三とウォルト・ディズニーとは日米を代表するレジャー界の巨人だからである。小林一三の甥であり、元熱海後楽園ホテル社長の田辺英蔵氏は、
「レジャー産業は、ただ二人の天才を持った。小林一三とディズニーである」と語っている。二人は単にレジャーランドをつくったから天才なのではない。