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カラー写真・決定版 第二次世界大戦「戦闘機」列伝
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第6章 日本の戦闘機

『カラー写真・決定版 第二次世界大戦「戦闘機」列伝』
[著]三野正洋 [発行]PHP研究所


読了目安時間:29分
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陸軍機の総論

欧米列強に大きく立ち遅れていた軍事技術




 昭和のはじめ頃より、日本陸軍は規模の大小こそあるものの、海外の勢力と絶え間なく紛争、あるいは武力衝突を繰り返していた。1931年(昭和6年)の満州事変から中国軍(国民政府軍と八路軍/共産軍)と、実に15年の永きにわたり戦い続ける。そして太平洋戦争の直前にはソ連軍とノモンハンで衝突、同時にインドシナ半島ではフランスの派遣軍と小競り合いを起こす。


 中国大陸における戦闘では、勝敗の見通しが見えないまま、年によっては2万5000名を超える死傷者まで出している。現在から振り返ると、それぞれの事情はあるにせよ、あまりに好戦的であったと言うしかない。


 しかも得るものは皆無で、さらに欧米の反発を招き、結果的に太平洋戦争へと突入せざるを得なくなる。それから3年8か月、中国からは撤退を余儀なくされ、しかも日本本土の都市は焦土と化し、敗戦を迎えるのであった。


 つまり15年にわたり、膨大な戦費、多くの人命、貴重な財産を失い、大日本帝国は完全に崩壊する。


 さて日本の戦力は、この戦争によって多大な影響を受ける。陸軍に関しては、兵員数ばかり増えて、軍事技術はほとんど進歩していない。輸送手段は言うに及ばず戦車、火砲についてさえ欧米、ソ連と比較しても大きく立ち遅れていた。


 戦闘機を含む軍用機について、ひとつだけこれを証明する事実を述べるとすると、機種を問わず、自力でエンジンをスタートすることができない点である。


 信じ難いが、セルモーターとそれを動かすバッテリーを搭載していないので、敵機が来襲してもすぐには動きがとれない。


 始動させるためには、トラックを改造した起動車(あるいは始動車とも言う)を呼び寄せ、この自動車のエンジンによって動く長いシャフトを回転させ、これを航空機のプロペラスピンナーについている金具に接続し、航空機側のエンジンをスタートさせる。


 この作業には時間がかかるので、戦闘機部隊は機数と同じ数の起動車を保有する必要があった。


 双発の爆撃機部隊では同数、偵察機部隊では機数の30%の起動車があった。


 1940年代の軍用機に関して、自力スタートが不可能だったのは日本陸軍だけだったのではあるまいか。これはさすがに戦争後半になると、セルスタートに替わるが、それ以前の状況こそ、音に聞こえた「(はやぶさ)戦闘隊」などで勇名を(とどろ)かせた陸軍機の実態であった。


 さらに付け加えると、大戦の全期間を通じて、4発の軍用機を保有、運用しなかった(できなかった?)空軍組織は、日本陸軍航空部隊のみである。


 このように見ていくと、陸軍の戦闘機の評価など少々空しいが、個々の機種については見るべき個所もあるので、早速始めることにしよう。


1:中島キ‐27 97式戦闘機──“軽戦”の頂点



 我が国における戦闘機開発の名門中島が、1936年10月に初飛行させた単葉固定脚の戦闘機。空中戦のひとつの戦術であるドッグファイトを目的に、旋回性能優先で誕生している。また重量をできるだけ軽くし、現在ではほとんど使われなくなった“軽戦”という言葉の頂点とも言い得る。


 本機は初飛行後、これといった問題もなく、翌年には制式化となり、この時代の戦闘機としては世界的にも珍しく、3000機以上も製造された。


 その後、モンゴル地方でのソ連軍との国境紛争であるノモンハン事件では、その能力を最大限発揮し、ポリカルポフシリーズの複葉戦闘機に勝利をおさめた。


 またこの戦場特有の大草原でも、優れた離着陸性能から発着が可能で、操縦者への負担を軽くしている。


 このように陸軍の主力戦闘機の座を確保した97戦だが、その一方で弱点もあった。


 まずエンジンの出力が700馬力と、同時代の列強の戦闘機と比べて少ないこと、続いて火力が7・7mm機関銃2門と貧弱なことである。


 各国の潮流としてエンジンは平均850馬力、火力は12・7mmが標準となりつつあった。もっとも頻繁に交戦したポリカルポフI‐15bisは、850馬力、7・6mm4門であった。


 それでも97戦が多くの勝利を得られた理由は、軽量化による運動性に起因するところが大きかった。


 反面この戦闘機の、この分野における優秀な部分が、陸軍戦闘機パイロットに“軽戦万能”という強い確信を植え付けてしまった。これについては次の一式戦隼の項で説明する。


 開戦後も97戦は、陸軍戦闘機部隊の主力であった。すでに完全に時代遅れになりつつあったが、陸軍が海軍と異なり、しばらくの間米英軍と激しい戦闘を交えずに済んだ幸運もあって、馬脚を現さずに任務を果たしている。


 しかし海軍の零戦のごとく、死闘の連続する太平洋戦域に登場していれば、すでに過去の戦闘機であることがすぐに明らかになってしまったと思われる。


2:中島キ‐43 一式戦闘機 隼──日本陸軍の主力



 戦争の全期間を通じて、日本陸軍航空隊の主力戦闘機が、中島一式戦隼である。非常に洗練された外観と、初期には940馬力、後期には1100馬力のエンジンを装着、97戦の後継機として期待された。


 しかし軍の上層部に加えて歴戦のパイロットの多くが、97戦と同等な運動性能を要求したことによって現場は混乱し、中島は本機の制式化を諦めかけた。


 すでにヨーロッパ、とくにドイツ、アメリカなどの新鋭戦闘機を見ても、少しずつ様子が変わり始めており、速度性能が重要視されている。

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