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松下幸之助とその社員は逆境をいかに乗り越えたか
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第四章 激変下の成功法則

『松下幸之助とその社員は逆境をいかに乗り越えたか』
[著]唐津一 [発行]PHP研究所


読了目安時間:41分
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松下さんとのアメリカ旅行


 前にもふれたが、私が松下幸之助さんにお仕えしたのは、一九六一年(昭和三六年)から一九八四年(昭和五九年)までの二三年間である。その間、生産現場や経営幹部会議などで何度となくじかに接する機会があった。そのたびに「この人にはかなわない」との思いを深くしたものだ。


 なかでも忘れられないのが、松下さんに同行してのアメリカ出張である。私が松下通信工業で常務を務めていた時代の一九八一年(昭和五六年)、一〇日間、文字どおり寝食を共にした。


 あれは私が品質管理のデミング賞をいただくことになり、授賞式に出席するつもりでいた矢先のことだった。大阪から電話があり、受話器を取ると、松下幸之助さん本人であった。


 はて、どのようなご用件かなと思ったら、いきなり、

今度わしはアメリカに行く。ついてはきみが同行してくれ」


 とおっしゃる。私は正直(あわ)てた。


 松下さんは身体もけっして丈夫ではないほうだし、そのときすでに八六歳というお歳だったからだ。当時、相談役という肩書だったが、会社の経営にはほとんどタッチされていなかった。もっぱら松下政経塾を中心に、次代の日本を担う人材育成に傾注されていた時期である。


 しかし進取の精神は相変わらず旺盛で、いや、それ以前からアメリカに一年ぐらい住みたいと何度も口にされていた。でもさすがに周囲の人たちは思いとどまるよう説得、実現しなかった。


 だから、まさか私にアメリカ旅行のお供をしろという電話があるとは思っていなかったのである。


 さっそく、大阪に飛んで本社に顔を出すと、すぐに当時の社長の山下さんから呼び出しがあった。そして、開口一番、こう切り出された。

きみね、あのじいさんを放っておくと、アメリカにかならず行く。だけどあの年やからもう危なくてしょうがない。絶対止めぇ」


 そういわれても、本人の希望なのだから……。私が、

でも、本人が行きたいとおっしゃるんでしょ」


 と押し返すと、山下社長も譲らない。

いや、それは絶対まかりならん。もし相談役がアメリカに行かれたら、きみの責任や」


 口は悪いが人情家の山下社長らしい口ぶりである。心配しているのが痛いほどわかる。それならしかたがない、私が引き止め役として相談役に会うことになった。


 しかし、引き受けたはいいが、一体どうしたらアメリカ行きをとりやめてくれるだろうか……。思案していても仕方がないので、ともかく実際に会って話してみることにした。


 しかし、私がいろいろと言葉を尽くして説得しても、松下相談役は、

とにかく行くんや。きみついてこい」


 の一点張りである。これには困った。こうなれば作戦を変えるしかない。

お医者さんは連れていくんでしょうね」


 と、私が同行するための条件を持ち出すと、

医者なんかいらん」


 と涼しい顔でおっしゃる。そこで私はきっぱりいった。

冗談じゃありません。お医者さんを連れていかないのなら私はお供しません」


 今度は相談役が困る番である。しばらく考えた後、

……しゃあないな。連れていくわ」


 と同意してくれた。お医者さん同伴というのならひとまず安心である。しかし、待てよと思った。お医者さんにもいろいろある。当時東京に、相談役がたいへん信用していた(はり)のお医者さんがいた。もしやその方ではと不安になって念を押してみた。

どなたを連れていくんです?」

それは鍼医者や」


 案の定である。ここで引き下がるわけにはいかない。

たしかに、鍼医者の方も大事でしょうけど、西洋医学のお医者さんを連れていっていただかないと、私はついていきませんよ」


 このひと言が決め手となった。結局、相談役が折れてくれて、アメリカ出張には松下病院の院長も同行することになった。


 こうして、すったもんだの末、秘書の方、病院の院長、それに鍼の先生、そして私の四人が随行するかたちで、松下相談役の念願だったアメリカ旅行が実現した。むずかる子どもをなだめすかすような松下さんの説得は、いまではなつかしい思い出だ。


人の心をひと言でつかむ人間力


 さて、実際に旅立ってみると、一〇日間のアメリカ旅行は楽しいドラマの連続だった。私にとっては松下幸之助という人物の大きさというべきか、人間力を再発見する旅でもあった。


 直行便でニューヨークに入った翌日、松下さんは、同じニューヨークにあるアメリカ松下の講堂に現地滞在の幹部社員とアメリカ人社員約二〇〇人を一堂に集めて、一時間の講演をした。いつものように講演後は質疑応答に移るが、こういう場面で手を挙げるのは決まってアメリカ人社員である。その一人がこんな質問をした。

あなたのように成功した方は、かならず若いとき感銘を受けた一冊の本があるといいます。あなたはどういう本に影響を受けましたか」


 さあ、どんな話が出てくるのかと全員が(かた)()を呑んで見つめるなか、松下さんはすぐにこう答えた。

それはエジソンの自叙伝です。私はエジソンを非常に尊敬しております。だから松下電器の本社の庭にエジソンの銅像を建てました」


 アメリカが生んだ偉大な発明家である。アメリカ人社員たちは拍手(かつ)(さい)である。松下さんは別に演出効果を考えて答えたわけではない。心からそう思っていた。実際に松下本社の庭にはエジソンの銅像が建っている。このひと言でアメリカ人社員の心をつかんでしまった。


 この松下マジックは、その日の夜の(ばん)(さん)会でも発揮されることになった。


 冒頭、松下さんがスピーチに立った。もちろん日本語でのスピーチで、通訳が逐一英語に翻訳していくのだが、松下さんが話の区切りに「みなさん」と語りかけたのを、この通訳はなぜか「レディーズ アンド ジェントルメン」といわず、「ジェントルメン」とだけ何度もいってしまったのだ。


 松下さんが挨拶を終えて着席したときである。部屋の片隅に座っていた女性たちの一人が立ち上がって、茶目っ気たっぷりにいった。

こちらにレディーズがいます!」


 一座は爆笑の渦である。松下さんも相好を崩して、すぐ前の席の社員たちにいった。

きみたち、そこをちょっとどいて、あそこにいる女性たちをこちらに連れていらっしゃい」


 これでまた拍手喝采。席を移した女性たちを前に、松下相談役を囲む晩餐会は最高に盛り上がったのである。松下幸之助という人はどこにいても、たとえ相手が外国人でも、当意即妙なひと言で人の心をつかんでしまう。人心掌握の天才とはこういう人をいうのではないかと、その人間力の大きさをつくづく感じた次第である。


意外に健啖家で酒豪だった松下幸之助


 誰でもいっしょに旅をしていると、その人の意外な側面を発見することがある。身体が弱いと思われていた松下幸之助さんが、じつは(けん)(たん)()であることを知ったのも、この旅の最中のことだった。


 最初の講演会の後、われわれはしばらくニューヨークに滞在した。ところが、アメリカには日本人好みのレストランが少ない。松下さんも「食事があまり()()しくない」とこぼすようになった。


 それなら、と当時アメリカ松下の社長だった竹岡さんが、とびきり美味しいレストランに松下さん一行をお連れしようということになった。案内されたのはハドソン河の向こう岸にある有名なイタリア料理のレストランである。


 日本の有名な家電王が来たというので、シェフも感激したらしい。腕によりをかけた料理をあれこれと出してきた。シェフはワゴンいっぱいの料理について、材料はこうでソースはこうと、いちいちていねいに説明する。

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