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日米関係の危機
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政治・社会
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序章「台所外交」終焉の時

『日米関係の危機』
[著]日高義樹 [発行]PHP研究所


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「台所」での奇妙な会見
「海部首相は指導力がないからね。日本が彼なしで何とかしなくてはならないのはよくわかるよ」

 小沢幹事長(当時)をブッシュ大統領に会わせた私の友人はこう言った。この人物は一九七六年から共和党の全国委員会を牛耳っているが、レーガン派でもなければブッシュ派でもない。しかし政治の世界に深くかかわっており、ワシントンの、それこそ隅から隅まで知っている。友人の話によれば、小沢幹事長をブッシュ大統領に会わせたのはジェトロと通産省に頼まれたからだという。
「ミスター・オザワの決定で、日本は湾岸戦争の分担費用九十億ドルを拠出した」

 友人はホワイトハウスのスヌヌ首席補佐官にこう売りこんでブッシュ・小沢会見をとりつけたというが、実際には小沢幹事長が、スコウクロフト安全保障担当補佐官と会っているところへ「ブッシュ大統領が現れて挨拶をかわす」というかたちの会見であった。

 ようするに正式の会談でもなければ会見ですらなかったわけだが、日本の政治家とアメリカ大統領のこのような奇妙な「会見」は昔からワシントンで繰り返されてきたことで、驚くにはあたらない。これはまさしく戦後の占領時代と冷戦時代の日米関係を象徴する会見の方式であり、日本はいつもホワイトハウスの裏、つまり「台所」でホワイトハウスの主人に会ってもらっていたのである。

 アメリカにとって「応接間」で会う関係、つまり表だった外交関係というのはソビエトとの関係であり、イギリス、フランスなどヨーロッパ諸国、そして中国との関係であった。こうした国々はいつもホワイトハウスの応接間で大統領に会ってきた。つまり正式な客人として遇されてきた。

 日本が応接間で会ってもらえなかったのは、冷戦というイデオロギーの対決時代に、日本が一本立ちしていなかったからだが、戦後の日本の指導者たちは「世界の中の日本の位置」を考える、つまりイデオロギー的に一本立ちすることよりは、「ともかく日本国民を食べさせていかなくてはならない」という考えにとりつかれており、アメリカとの「台所関係」を屈辱としてしりぞけるどころか、むしろそうした関係を強化してきたのである。小沢・ブッシュ会見はまさしくそのような関係の延長線上にあった。

 私はいまここで日本とアメリカの「台所関係」を批判しようとしているわけではない。日本の指導者たちが日本を再建するために「武士は食わねど高楊枝」の精神をすててアメリカに追随し、台所で会ってもらう関係を作ってしまったのは、日本のメンタリティーを考えると当然のなりゆきだった。それ以外の道はなかったと思う。歴史の必然といってもいい。

 だが再び、世界は変わったのである。冷戦が終わり、ソビエトが崩壊寸前になっているいま、アメリカは応接間の厄介な客人ソビエトを牽制するために、日本を利用する必要がなくなった。台所で会って親しげにふるまってみせることはないのである。だが日本の指導者たちにはこの変化がわかっていないようだ。
「四海波おだやかな」島国日本は、もともと国際社会の変化にうとい。そもそも冷戦が始まった時も、朝鮮戦争の勃発でやっと気が付いたぐらいである。いま冷戦の終わりを聞かされても頭でわかるだけで、体感として知ることが難しい。「台所ぐらし」が長かったので外部で起きていることにうとくなったのである。

 日本はいま台所から出て、外を見まわす時に来ている。今度の湾岸戦争は日本が、おおきく変わりつつある外部の世界をながめるための、まさしく天から与えられた機会だったのである。

 湾岸戦争は国連の枠のなかで行われたという形式をとっているものの、結局は「アメリカの国益」のための戦争だった。その国益とは、第一に石油、それに中東の統制権である。

 私は先頃、エジプトの保養地タボで、かつてミスター・石油といわれたヤマニ元石油相に会った。二人のボディガードを従えて現れたヤマニ氏は、外見こそ昔より太っているものの、ずけずけとものを言うところは、少しも変わっていなかった。
「いまのサウジアラビア国王はアメリカの言いなりだがファイサルは違っていたね。彼は殺されたんだよ。誰にだって……。アメリカがやったというもっぱらの噂だよ」

 カメラが回ってからは、さすがにこの話は繰り返さなかったがアメリカについては別のことを言った。「これからはアメリカが石油を支配し、それによって世界をコントロールする」と言ったのである。
「これからは石油の傘だ。核の傘はもう時代おくれさ」

 側にいたエジプト高官もこう付け加えた。
「だからサダム・フセインはアメリカに対して、自分には石油に対する野心はないとシグナルを送ったんだが、アメリカには届かなかった。アメリカはそんな筈はないと思ってイラクを徹底的にやっつけた」

 石油に野望をいだかなければ、領土拡大に対する野心をアメリカがみのがすとサダム・フセインが考えたというのだが、石油の宝庫クウェートを侵略して「石油に野望はない」もないものである。イラクのクウェート侵略後、アメリカが「歴史的な素早さ」でサウジアラビアに大軍を派遣した時、友人のジャーナリストはいみじくもこう言った。
「クウェートやサウジが石油でなくパイナップルの産地だったら、アメリカは一兵も送らなかっただろうよ」

 アメリカが国連決議という「お墨付き」をかかげてイラクを攻撃した時、ブッシュ大統領の心のなかにあったのはこれを好機に中東の力の構造を変え、パレスチナ・イスラエル問題を一気に解決の方向に持っていくことであった。これまでどの大統領も成し得なかった「中東秩序」を打ち立てることは、とりもなおさず第一の国益「石油の支配権」にとって不可欠の条件だったからである。

 このもくろみが、そうたやすく成功しそうもないことは、いまや誰の目にも明らかになってきたが、日本がはっきりと目にとめなければならないのは、「国連」という、日本にとっては水戸黄門の印籠のごときものの裏にあったのが、アメリカの国益だったという「台所」の外の世界の現実である。


 踏みつぶされるか、応接間に出ていくか

 ではこのようなアメリカの国益と日本は今後どのような関わりを持つことになるのであろうか。

 アメリカはソビエトとの冷戦に勝った。だがソビエトが地球上で、アメリカを攻撃できるだけの軍事力を持つ唯一の国であることに変わりはない。したがっていまアメリカは当然、この軍事力を取り上げてしまいたいと考えている。アメリカの保守勢力の戦略は次のようなものである。

 まずエリツィンのロシア共和国をソビエトからおだやかに脱落させるか、ソビエト連邦よりもずっと弱い連合体を形成させ、「経済力」だけの国にしてしまう。つまり広大な資源と国土を持つ「もうひとつの日本」を作ろうという構想である。

 これは保守勢力の構想だが、アメリカがいま「ソビエトを強化する」ことが自分の国益にあわないと考えていることは確かである。とりわけ日本にはソビエトの石油・天然ガスの開発に手を貸してもらっては困ると思っている。だから小沢前幹事長がソビエトを訪問し、ゴルバチョフ大統領に「経済援助」でおおいに期待を持たせた時、ホワイトハウスはひどく不愉快に思ったのである。

 私もその頃ホワイトハウスの高官にこう聞かれたのを覚えている。「オザワとは何者だね。ソビエトで何をやっているんだ」。

 ところがその後、この問題の人物、ミスター・オザワがアメリカにやってきて、いつもと同じように「台所会見」で満足して帰っていった。ホワイトハウスは安心した。「何だ、冷戦時代と変わっていないじゃないか」。

 日本は安くみられ、みくびられた。アメリカ人というのは相手をみくびると容赦もなくやっつけようとする。踏みつぶす必要が出てくれば踏みつぶす。「なぜ」をとばして「どうやって」だけを考える。日本が今後も台所関係に満足して、みくびられ続けていれば、やがては踏みつぶされてしまうのである。

 日本は選択するべき時期にきている。いつまでも台所にいるか、それとも応接間に出ていくか、である。応接間に出ていくことは、確かに気が張るし、しんどい。だが踏みつぶされるのがいやならば台所を出る他あるまい。

 しかし、ただ台所を出たからといって、そのまま応接間に入れるわけではない。「応接間で会う身分」になるために、日本がいま取捨選択をせまられている問題がある。その問題をまずかたづけなければならないだろう。

 第一に日本はこれまでの「通産優先」の外交を修正し、応接間に相応しい外交を選択する必要があろう。通産外交は「もの優先」の外交である。人質外交といってもいい。「これを譲らないと自動車があぶない」「テレビの輸出を守るためにはここで妥協しなければならない」という発想がもとになっている外交である。

 これはきわめて現実的な外交であり、確かに日本を物質的に豊かにする外交ではあった。通産官僚の人々を中心に日本はきわめて効果的にこの外交を展開し、おかげで世界一の経済大国になった。

 だがこの外交はきわめて効果があったものの、ひどい副作用をもたらした。議会にふきまくる日本バッシングはその副作用の典型といっていい。アメリカは日本を、ごくつつましく「台所」でアメリカ首脳に会うことで満足している国として見下してきた。ところがその日本が、経済的には自分たちを凌駕していることにアメリカは我慢がならなくなっているのだ。

 これが「応接間」で応対する相手ならば、いくら何でもバッシング、つまり「いじめる」というような態度には出られない。そのような相手なら「いじめ」ではない、「闘い」になる。台所で相手にしていた日本だからバッシングになるのである。

 もっとも議会は表向きには、「闘い」だといっている。アラスカ出身のマコースキー上院議員が私にこう言ったことがある。
「私たちは日本をいじめているつもりはありませんよ。あなたがたは日本叩きと言うが、私たちは建設的な批判をしているだけです」

 日本叩きの危険はここにある。誰も日本を叩いているとは思っていないのである。だが長い間応接間で応対してこなかった相手だけに「建設的な批判」のつもりが無意識のうちに「なまいきな。やっつけてしまえ」という態度になってしまうのである。

 九二年度のアメリカ議会には四十一もの日本を非難攻撃する法案が上程されている。日本には伝わらないが、議会ではほとんど毎日のように、「日本はフェアでない。日本を制裁すべきだ」という演説が繰り返されている。これほど異常な扱いを受けている国は他にはない。
「日本叩き」というのは、日本に輝かしい経済繁栄をもたらした通産外交の「鬼っ子」に他ならない。日本が国連に大金を出して支持しようが、どんなに開発援助に貢献しようが、湾岸戦争の費用を出そうが、これまでの外交を変えないかぎり、アメリカの日本に対する態度は変わらない。


 ボーダーレスは日本の国益に合わない

 第二にいま日本を席巻している「ボーダーレス」という言葉を徹底的に検証し、本気でこの言葉の信奉者になるべきかどうか、よく考える必要がある。

 ボーダーレス理論でいま一番得をしているのはアメリカである。アメリカのドルは「弱ふくみ」になろうが「強ふくみ」になろうが唯一の世界共通通貨である。だからアメリカは日本に対して湾岸費用九十億ドルの「為替差益」を払えなどとせまる。円が基本ならこんな馬鹿な言われ方はされまい。

 アメリカの軍事力は横田基地からフランクフルトまで、自由自在に国境を越えて世界をのし歩く。アメリカの人々が外国にいる軍事関係者に手紙を送る時、国境を越えてその国宛に出すわけではない。アメリカ国内の住所に送ればいい。軍はまるで国内に配達するようにその手紙を世界中に配達して回る。アメリカ軍には昔から国境などないのである。

 アメリカがボーダーレスの世界をのし歩く時は、玄関から堂々と訪れ、それこそ応接間にずいと入り込む。アメリカはうむをいわさずそれだけのことをやる「力」を持っている。

 だが日本にとってのボーダーレスの世界というのは、かつてフランス大統領にさげすまれたように「商品入りのかばんを下げたもの売り」として歩かざるをえない世界ではないのか。応接間には通してもらえず台所で応対され、時には猜疑の目でみられる。

 ボーダーレスというのは、力でのし歩くアメリカにとっては国益に合う考えであろうが、「ものを買ってもらって生きている」日本のための考えとして果たして適当であろうか。

 確かにビジネスに国境はなくなっている。そして日本では、ビジネスこそ政治よりも戦争よりも人道的な国際活動であるという意識が強いから、ボーダーレス・ビジネスに徹すればやがて日本は世界で認められ尊敬されると考えてしまうのだろうが、国際社会の現実はそんなに親切なものではない。

 その事実を日本は湾岸戦争でいやというほど思い知ったのではないか。決定には参加させてもらえず費用だけ分担させられたことで、日本の世界における位置は明らかである。決定したのは四十五年前と同じ国々だった。アメリカ、ソビエト、イギリス、フランス、中国が一流国として決定し、日本とドイツは二流国として費用だけを出させられた。

 おまけに「なぜ兵隊を送らないのだ」という世界的な日本バッシングまで行われた。アメリカをはじめ世界の人々のほとんどが、アメリカの作った憲法によって日本が、軍隊の海外派兵を禁じられていることを知らなかったのである。

 一方、このバッシングに対して日本では「兵を送らないことは恥ずかしいことだ」という声ばかりが強く、「これはアメリカの戦争だ」という声が聞かれなかったのは、あまりにも長く台所関係に甘んじていたせいであろうか。

 今度の戦争で誰が得をしたかは実にはっきりしている。石油関係の世界的な調査誌『石油インテリジェンス』によれば、日本は去年の八月以降、アメリカよりも一バレルあたり五ドルも高い原油を買わされている。

 湾岸戦争のあと石油メジャーの動きが急に活発になり、共同開発や新しい石油化学工場の建設が始まっている。「どこまで下がるか」といわれた石油の業界は戦争で活性化した。

 クウェートから何百億ドルという再建工費の契約をとったのもアメリカの会社だった。イギリスは政府が民間企業と合同で委員会まで作って契約をとろうと、サウジアラビアにあったクウェート臨時政府に出かけたが、国防総省と強いコネを持つアメリカの会社に先を越されていた。アメリカ軍が堂々クウェート・シティに進入した時、ぴったりと側について入ったのは、アメリカ石油関連会社の技師だった。

 湾岸戦争は、日本が自分の姿を映す鏡だったのではないか。日本はその鏡のなかに、圧倒的な経済力を持つにもかかわらず世界に少しも尊敬されていない自分を見たのである。
「尊敬されていない」というのはどういうことか。人格を認められていないことである。西欧の発想法では、人格を認めていない相手ならいくら叩いてもつぶしてもいいのである。

 国際化、ボーダーレスと言葉ばかりが先行し、日本ではこうした発想法が少しも理解されていない。ブッシュ大統領はサダム・フセイン攻撃にあたって神に祈った。「人殺し」の命令を出す前夜、つまり開戦の前の夜はビリー・グラハム牧師をホワイトハウスに呼んで泊まってもらい、一緒に祈った。

 世界は日本人とは違った発想で行動する人々で満ちている。ビジネスの世界では確かに物理的な国境がなくなってはいるだろうが、こうしたボーダーは存在し続ける。ボーダーレス世界になったのだから誰もが同じように発想し、行動すると考えたら危険きわまりない。

 日本はアメリカ企業の大好きなボーダーレスという言葉を検討し直すべきである。アメリカは自分に都合の良いスローガンを作る名人なのだ。「デモクラタイゼーション」つまり民主主義をひろめればその国の国民は皆幸せになるというスローガンで、アメリカが南アメリカで何をしたか。民主主義の名のもとにアメリカ企業はこの国々を賄賂と物質主義のはびこる国に変えたのである。

 アメリカの新しいスローガンは「世界の新秩序」である。このスローガンのもとでブッシュ大統領が何をやったか、これから何をやろうとしているか、日本はよく見るべきである。日本人は「言霊(ことだま)」を信じるが、アメリカ人にとって言葉は武器であり、道具であるにすぎない。

 アメリカにとって素晴らしい「ボーダーレス」という言葉が、日本にとっても本当に素晴らしい言葉なのか、日本はこのスローガンを選択する前によく考えるべきであろう。


 誇りある外交を考える時

 外国に長く住んでしみじみ思うのは、日本はもの作りの名人だということである。人間がホモ・ファーベルなら日本人は最高の「標本」であろう。日本経済の成功の秘密は何かと聞かれ日本人の友人は、「職人気質だ」と答えたそうだが、そこにあるのは「良いものを作る」という誇りである。

 だが日本はこの「良いもの」を売る時、「誇り」のほうは日本に置いたままにしてきた。なりふりかまわず売ることに専心しすぎたからである。だがかつてイギリスが世界にものを売り歩いていた時、「誇り」を国に置いてきただろうか。

 私が言いたいのは、世界的にビジネスをするなら、そこには一本立ちの外交が伴わなければならないということである。

 日本はアメリカの「台所」から出なければならない。「イナフ・イズ・イナフ」という言葉がある。「もうこれで十分」という意味だが、日本は湾岸戦争で台所外交の最後のつけを払ったのではないか。湾岸戦争で「ひどい目にあった」とひがんでいる時ではあるまい。「最高のもの」を売る国に相応しい外交を考える時が来たのである。

*    *    *

 この本は過去二年間に私がワシントンから送った通信を集めたものである。ジャーナリストは歴史の目撃者、証言者であるといわれる。つまり私は三十年以上を日米関係の目撃者、証言者として過ごしてきたわけだが、この二年間に私が目撃した最大の「歴史的事件」は何といっても湾岸戦争であろう。

 湾岸戦争はただの戦争ではない。歴史のなかの重要なランドマークである。この戦争は「アメリカが、武力をもって中東に介入した最初の事件」なのである。

 この戦争によってアメリカの指導者は、断固として決意し実行すれば、マスメディアをも掌中にできること、多くの反対を押し切って自分の意思を通す力のあることを証明した。アメリカは「力」に対する信念を取り戻したのである。

 湾岸戦争はまた、各国それぞれの「思い違い」が交錯するなかで、突如始まりあっという間に終わったという、まことに奇妙な歴史的事件でもあった。
「あのブッシュ大統領に戦争ができるだろうか」「いや彼はひくにひけまい」「しかし彼に決意できるかね」

 ワシントンの友人たちと何度こうした会話を繰り返しただろうか。エジプトのムバラク大統領の側近が「サダム・フセインはブッシュ大統領を完全に見誤った」と言ったが、私のみるところブッシュ大統領自身、この戦争で自分を知ったのではないだろうか。
「アラブの大義」「聖戦」という言葉についても思い違いが重なった。東洋に「君子危うきに近寄らず」と「虎穴に入らずんば虎子を得ず」というまったく反対の言葉が並存するように、中東では「アラブの大義」と一緒に「噛み付けない手にはキスをせよ」という言葉が存在したのである。

 さて問題はこの湾岸戦争がこれから国際社会にどのような影響を及ぼすかということである。

 アメリカはいま中東の戦後処理という大仕事のなかで力の限界を感じ始めている。つまり力による行動で、歴史に大きな句読点を打ったものの、歴史の方向そのものを変えることがいかに難しいかを学びつつある。

 それでもアメリカは、世界で再び事が生じた時、また「力の行動」に出るだろうか。私はアメリカがアメリカである限り、同じ行動をとると考えている。アメリカは湾岸戦争でともかく「駄目なアメリカ」というイメージから脱出した。

 アメリカは力による行動でみずから立ち上がったのである。正義のスローガンをかかげつつ国益のために立ち上がった。アメリカがこうした形で立ち上がらなくなった時、アメリカはアメリカでなくなる。日本が「台所外交」から脱出しようとする時、このことは肝に銘じておかねばならない。
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