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人生を愉しむ知的時間術 “いそがば回れ”の生き方論
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ルポ・エッセイ
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フェスティナ(ゆつくり)・レンテ(いそげ)

『人生を愉しむ知的時間術 “いそがば回れ”の生き方論』
[著]外山滋比古 [発行]PHP研究所


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 フェスティナ・レンテ(Festina lente)

ゆっくり急げ」という意味のこのラテン語の文句を知ったのは、ずいぶん前のことになる。


 そのころ、ある出版社の嘱託をしていた。小さな社だから、仕事は別でも、社員はみな親しい仲である。私はある雑誌の編集をまかされていたが、書籍の出版の人たちともよくおしゃべりをした。あるとき出版部のKさんが、

あの先生のはがきには、いつも最後にフェスティナ・レンテと書いてあるんだもの。叱られているみたいだわ」

と笑った。こちらには、はじめきいたとき、何のことかさっぱりわからない。ききかえして、やっと、ラテン語の有名なことばらしいとわかった。


 Kさんは調べていたらしく、スウェトニュースという人の本に出ている、ということまで教えてくれた。

あの先生”とは京都大学の西洋古典学の教授だった田中秀央博士である。


 博士にはその出版社に古典語文法の著書があって、そのころ改訂版の準備が進んでいた。担当のK嬢のところへしきりに連絡があった。そのつど、かならず、最後にフェスティナ・レンテのラテン語が書かれている。それをKさんはおもしろがり、私はびっくりした。


 こちらは、若いから、そんな文句はおもしろくない。ことはさっとすませてしまいたい。ゆっくり急げ、なんて、年寄りの言うことだ、と内心、バカにした。


 Kさんも若かったから、おもしろくなかったのだろう。

私からの、早くお願いしますという手紙の返事のはがきにフェスティナ・レンテでしょう。そんなに急いでどうする、と皮肉られているみたいで」


 逆に、校正の出かたがすこし、おくれると、校正はまだですかというはがきが来る。そして、やはり、終りにフェスティナ・レンテ。これは、何をぐずぐずしているのか、と言われているみたい。実際、よく利くことばだわ──Kさんは感にたえたように言った。


 それから十年以上たって、あるとき、ふとフェスティナ・レンテがすばらしい知恵のように思われ出した。それ以後、おりにふれて、思い出す。かつて、つまらぬ教訓のように考えたのが恥しい。


 つまり、こちらが年を取った、ということである。青年は教訓が好きだ、といわれるが、せっかくの教訓がまるでわからない青年もたくさんいる。




 ちょうどそのころから、おとぎばなしがおもしろく思われ出した。


 小学校のときに、うさぎとかめの話をきいた。歌になったものもうたった。しかし、それはうさぎとかめのことだと思っていた。人間にもあてはまることがあることはわかっていても、人間の生き方そのものを比喩的、寓意的にあらわしているとは考えなかった。


 何しろ“チョイトココラデヒトヤスミグーグーグーグー”である。むずかしいことなど知ったことではない。かめに抜かれてうさぎがあわてるが、あとの祭り。人間の社会にはいくらでも、うさぎ氏がグーグーグーグーやっている。それを小学生に教えてみせても、わかるわけがない。早すぎる。


 フェスティナ・レンテということばをきいたのは、もう決してこどもではなかったのに、それでも心にしみなかった。うさぎとかめの話や歌が、小学生に感銘を与えるわけがない。


 歌をうたったこどもに、うさぎがえらいか、かめがえらいか、きいてみよ。かめと答える。それは知っているくせに、みんな、いかにしてうさぎになるかに心をくだく。これではいくらいいことを教えてみても役に立たない。


 うさぎが天才なら、かめは鈍才だときめてしまう。かめは下手をすると、このごろなら“落ちこぼれ”という異名をちょうだいしかねない。


 うさぎの足が速い、というのは、短い時間をとってみたときのことである。かめと同じ時間だけ走るとしたら、うさぎはかめよりずっと遠くまで行けるのは明らかである。


 ところが、うさぎとかめは働く時間が同じではない。うさぎは、猛烈に走ったと思うと、“チョイトココラデヒトヤスミ”となる。かめはそんなところでは休まないでひたすら歩み続ける。足が速い、おそい、といっても、単位時間内でのことである。どちらが遠くまで行くかとなると、そういう足の速さは問題にならない。


 われわれはみんな死ぬ。人生は有限である。うかうかしていてはどこへも達することができなくなってしまう。そういう焦りがある。それで、うさぎ型をよしとする。


 死ななくてはならないのも事実だが、人生がときにたいへん長いこともまた事実である。これまではうさぎのような出足のよさが珍重されたとしても、これからはかめ型の持続性が求められるであろう。


 寿命がのびた。そのために、あわてて、うさぎかかめかの問題を考えなくてはならなくなった。かめはもともと、高齢者の社会を前提としている。


 うさぎは、六十歳までひた走りに走って、あとは余生だとした。その余生が十五年も二十年もあっては不都合である。それでまず、うさぎ族が騒ぎ出した。


 急ぎに急げ、をモットーとしていた人たちが、ゆっくり走ろう、などと言いだす。




 ことわざを集めた本を見ると、昔から、急ぎ、あわててはいけないことに気がついてはいる。

ゆっくり行くことを怖れるな(中国)

ゆっくり行くものが遠くまで行く(イタリア)

急ぐなら、もっとゆっくりせよ(イギリス)

急いで行こうと思ったら古い道を行け(タイ)

ゆっくり行くものは確実に行く(フランス)

おそくても、ぜんぜんしないよりはよい(ドイツ)

急げば急ぐほど、まずくゆく(フランス)


 日本には、ご存じのように、

急がばまわれ

がある。「みずから考えるすべての人たちは、根底において、よく一致する」(ショーペンハウエル)ということばがある。ことわざが、時代と社会を超えて、よく一致しているのはおどろくべきことである。


 フェスティナ・レンテはスウェトニュースというローマの文人が出典である。といっても、自らのことではなく、アウグストス・カエサルの座右の銘として紹介しているのである。二千年も前のひとことが、いまなお語り伝えられているのはすばらしい。他方、急がばまわれ、はいつどこでだれが言ったのか、まったくわからない。それでいて人口にかいしゃしている。しかも、ローマの名言とほぼ符合した真理をおさえている。これもすばらしいことだと言わなくてはならない。


 ゆっくりするには勇気がいる。自信がないと、走り出そうとする自分にブレーキをかけることがむずかしい。


 人の前で話をせよと言われる。演壇にのぼると、もう平常心を失ってしまうらしい。じっとしてはいられないように、早口でしゃべり出す。そうなると、もうとりかえしがつかない。イギリス人は、大声でしゃべると、知恵が飛んで行ってしまう、そういって、国会議事堂をあえて小さくして、わめかなくてもよいようにした、という。


 大声ばかりでなく、早口もよろしくない。たくさんのことを言おうと思ったら、早口に話してはだめである。思い切って、ゆっくり話すと案外、たくさんのことが言える。




 急ぐのに、ゆっくりせよ、というのは、矛盾している。


 これは別に、わざとのろのろしていろ、ということではない。時間をかけよ、ということであろう。急げ、というのは、よい結果を得ることである。一度で目的を達成するには、あわてず、じっくり、腰をおちつけよ、ということだろう。


 忙しいとき、あわてて出かける。よく注意がゆきとどかない。歩き出して、だいぶたってから、あれ、いけない、という忘れものに気がつく。かんじんかなめのものをもって出なかった。


 いくら急いでも、それがなくてはしかたがない。泣くにも泣けない気持でとって返す。それで、おくれ気味の時間がはっきり大おくれになってしまう。はじめに、あわてず、よく点検してから出れば、そんなことはなくて済むのに、そこがそのときはわからない。失敗してみてはじめてわかる。一度や二度ではなく、何度も何度も同じようなことをくり返している。いいかげん、ゆっくり急げるようになってよさそうなのに、一向に改まらない。


 フェスティナ・レンテというのは、要するに、理想であり、目標なのかもしれない。常人はそれを心掛けてもなかなか実行できないのではあるまいか。同じへまを何度もくり返しているうちに、そういう諦めのようなものをもつようになる。


 ここで森外のことばを思い出す。


 外はこどもに教えたそうである。どんなにめんどうなことでも、ひとつひとつ片付けていけば、かならず解決する。糸がからんでなかなかとけないときも、一挙にほどこうとしてはいけない。はしの方から、すこしずつほぐしていけばいい、と。


 普通、こんぐらがった糸のかたまりを見ると、興奮して、やたらなところをひっぱったりする。それでかえって、ときにくくなってしまうのである。仕事がどっさりある。何から手をつけてよいかわからない。さあ、どうしよう。


 いわば、パニックの状態になって、じっくりとり組むのを忘れる。結果が思わしくないと、よけいに興奮する。


 そういうことを、これまで人間はどれくらいしばしば経験してきたかわからない。それが、“急がばまわれ”といったことわざを各国に生んだ。


 その中にあって、フェスティナ・レンテは生みの親のはっきりした珍しいことばである。

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