「生きれば生きるほどより豊かに、生きがいに満ちて生きていくことは自分に可能なのだろうか……」
この素朴なしかし深刻な問いは、小学校低学年のわたしにとってとても真剣な命題でした。
多くの子どもたちが今もそうであるように、わたしも幼児のころから実によく両親を含め大人たちの人間としての未成熟な側面がスケスケに見えていました。わからないことはたくさんありました。「なぜ、お月さまは夜歩くと自分といっしょに動くのか」「なぜ、太陽は大きく見える時と小さく見える時があるのか」「郵便葉書の消印の数字は何を指しているのか」など、小学校一年生の時の担任の先生は次から次へと発する葉書でのわたしの質問に後年お伺いしたところによるとそのたびに図書館で調べるなどして一生懸命答えてくださっていたそうです。中には先生にも答えられない質問もありましたが、その際は「先生にもわからないんだよ」と葉書の返事をくださいました。
わたしが生まれ育ったのは東京、世田谷の奥沢で、最寄りの駅は自由が丘。幼稚園はトモエ幼稚園。おそらく黒柳徹子さんが『窓ぎわのトットちゃん』(講談社)で紹介されていた学園の戦後の姿を経験させていただいたのでしょう。「海の幸、山の幸」が聞かれるお弁当の時間や、リトミックの時間、電車の教室を鮮明に覚えていますので。
自分の中から湧いてきた問いに答えを見つけられないことはとても中ぶらりんのような感じで安らかさから遠のくような感覚がありました。
「人間は何のために生きているのだろう」
この問いもわたしにとってはとても重要でした。「人間は何を生きがいに生きているのだろう。何が歓びでみんな生きているんだろう……」長い間生きてきている祖母に聞いてみました。「ねえ、おばあちゃん。おばあちゃんは何が嬉しくて生きているの」。小学生だったわたしに祖母は答えました。「おばあちゃんかい。おばあちゃんはね、まゆみやひろゆきやおまえたち孫がみんな元気で大きくなるのを楽しみに生きているんだよ」。
「……」
その時のわたしはとても大きなショックを受けました。「そんな、孫が大きくなることだけが生きがいなんて。自分はどうかはないの。……あ、おばあちゃんはわたしが子どもだからこういうふうに言っているんだろうな」。
今、思えばこの時の祖母の発言は深く、大きな愛を伝えてくれていますが、その時のわたしには切なすぎました。未来を思い描いてみました。何とか二十歳くらいまでの自分の様子は一生懸命生きれば上昇していく可能性があることが観じられました。体も大きくなる。体力もつく。もしかしたら今よりきれいなお姉さんになっているかもしれない。可能性がいい方向へ開いていけば、二十歳くらいまでは生きていくことの楽しさはあるようでした。
ところが二十歳より先の自分を思い描こうとしてわたしは愕然としました。何も楽しみにできることが見つからなかったからです。体力も能力も容姿も下降線の一途をたどるようにしか思えませんでした。家族をもち、子どもが生まれ孫をもちそれが仮にどんなに豊かな幸せに満ちたものであったとしても、もしそれが自分や自分の家族の幸せであるだけであったとしたら、わたしにとってはこれほど虚しい生き方はなかったのでした。ただ、自分だけがつつがない人生を送るための人生であったとしたら、自分の人生に何の魅力も生きがいも感じられなかったからです。かといって子どもの自分の思考力の及ぶ範囲も現実的な発想の基盤もごく限られていましたのでそれ以上の発展的な解答を得ることは不可能でした。
それでも何らかの解決方法を見つけなければ、生きることは苦しみでしかなくなるように感じられました。その時、思索の果てにわたしは未解決の解決の道を見出すことができました。「生きれば生きるほど可能性が開け、歓びや楽しさが広がっていくのでなければ、わたしには生きがいがない。そうだ、それならこの問題が解決するまでこのこと自体をわたしが生きる命題として、生きれば生きるほど可能性が開け、歓びや楽しさが広がっていく方法をつかむことを先ず第一の課題として生きていってみよう」。
それから四十年近い歳月が流れました。その間、様々な人生の浮き船にも乗りましたが、生きることの探究者としての姿勢はずっと貫いてきたようにも思います。観念やイメージの世界にとどまらず、現実を正念場として一人の人間として可能な限りの試みをさせていただいてきたようにも思います。実際、わたしには老いた時さらに生き生きと未来に向かっている自分となっていることが今も変わらぬ人生の指標でもあります。
今は歓びのエネルギーが社会を蘇生化していく時代です。個人の自己実現も社会の蘇生化も実はごくシンプルな法則を知り真に自分のものとした時、瞬間にして現実化へと転換していくことが可能です。そのことを皆さんにお伝えさせていただく準備がやっとわたしにもできたようです。現在わたしのところには人間の可能性を真剣に探究しつづけてきた方、学習の本質を探究してきた親子、教師の方々、医療、農業、科学、デザイン、建築、アート、技術、サービス業、ビジネスの本質を探究されてきたエキスパートの方々などが互いに協力し合うために集ってきてくださっています。国内外の四人の方々とともに発起させていただいた国際的な生涯学習ネットワーク機関、地球大学には新世紀の地球文化の再創造に向けて続々と人材が集ってきてくださっています。
この本との出合いが、あなたの人生が本来の輝きを取り戻し、今ここで生きていることの手応えとやりがいと生きがいが限りなく広がり、深まっていく機縁となればこれほど嬉しいことはありません。新しい自分との出会いはいつでも可能です。
一九九九年一月十五日
森 眞由美