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天皇と太平洋戦争 開戦の真相から終戦の決意まで
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歴史
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第八章 唯一の希望だった絶対国防圏

『天皇と太平洋戦争 開戦の真相から終戦の決意まで』
[著]土門周平 [発行]PHP研究所


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 結果的に見ると、日本はガダルカナル敗戦以来、主動権を喪失して、昭和二十年(一九四五)八月の降伏まで、負けつづけていたことになる。


 戦略思想からみても、軍事生産技術からみても、何ひとつ日本側に勝ち目はなかった。ただ一回だけ、昭和十八年末に戦争指導の基本構想として、「絶対国防圏」構想が御前会議で裁決されたことがある。


 このやや超現実的な表現をつけられた戦争指導構想は、もしそれが最初の意図どおり実施されていたら、起死回生の秘策として、連合軍と対等の立場で、戦争終結について交渉し得る、戦理的に見ても妥当な策案であった。


 まずその着想の経緯からみていこう。


 日本本土から五〇〇〇キロも離れたガダルカナル島で決戦をすることの不利を、公式の立場で批判した幕僚がいないわけではない。その主要なものを列挙する。


 昭和十八年一月ころ、参謀本部第三部長若松(ただ)(かず)中将は、主として船舶運用の見地から、ニューギニア、ソロモンの線は本国から遠過ぎて、国力の堪え得るところではないと、戦線の後退を公式意見として提案した。


 同年四月、大本営運輸通信長官部の航空通信保安長官吉田喜八郎少将は、南太平洋戦線を視察した結果、航空作戦の見地から多数の実例を挙げて、適切な後退意見を参謀総長に呈出している。


 参謀本部作戦関係部課でも、いく度かこの問題を研究していたが、その都度結論は「現戦線維持」となった。その理由は、根本的には戦場の実相をつかんでいないことにあるが、すでに展開した二〇万以上の軍隊を後退させる方法がないという理由と、太平洋のなるべく前方で決戦することを重視する海軍の猛反対が、後退案を阻止する主な原動力であった。


 ところが前に触れたように、昭和十八年六月三十日に連合軍は、ソロモン方面とニューギニア方面と二軸同時攻勢をとってきた。両正面とも圧倒的な優勢な戦力を集中してきている事実は、誰もが認めざるを得ない。となると、従来の経緯をかなぐり捨てて、根本的に洗い直す、という発想が当然表面化したわけである。


 十八年九月、この緊急事態に対処するための御前会議に準備された項目は、次のとおりである。


(1)世界情勢判断

一、米国の戦争指導

二、米国の戦争遂行能力

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