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天皇と太平洋戦争 開戦の真相から終戦の決意まで
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歴史
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第九章 戦後に生きた大東亜会議構想

『天皇と太平洋戦争 開戦の真相から終戦の決意まで』
[著]土門周平 [発行]PHP研究所


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 太平洋戦争あるいは大東亜戦争の痕跡は、現在の日本にはほとんど残っていないが、昭和十八年十一月五日、六日の両日、東京の帝国議会議事堂で開催された「大東亜会議」の問題は、現在もいろいろな形でアジア各国にその原形を残している。アジア諸国との関係理解のため大いに参考になると思う。そこでまず大東亜会議の背景とその概要を述べてみよう。



 基本的には、日本とアジアとの関係が戦争の一つの性格をきめることになるが、東洋研究の第一人者竹内(よしみ)氏は、大東亜戦争の二つの側面として次のように指摘している。

日本の対外戦争のほとんど全部は、自衛のほかに、東亜の安定を名目としておこなわれた。その最大、かつ最後のものが大東亜戦争だった。この戦争は、のちに呼び名が変わったように、太平洋戦争という一面があったし、また第二次世界大戦の一部という側面があったけれども、それだけにつくされるものではない。ほかに大東亜戦争に固有な性格があった。


 それは何かというと、日本人がアジアを主体的に考え、アジアの運命の打開を、自分のプログラムにのせて実行にうつした、という一側面である。自分の責任でアジアを考えようとした。少くともそれを意図し、あるいは看板にした、ということを忘れてはならない」(論文「日本人のアジア観」)


 この辺のことが、戦争目的の問題とか、西欧諸国の植民地に対する独立承認の問題あるいは軍政実施要領といった政治的案件に、深いかかわりをもつことになる。


 このような占領地処理問題について、いち早く考察を進めたのは、外交官の(しげ)(みつ)(まもる)であった。重光は、「日本の誤った進路は、対外的に支那問題より始められた」という認識に立っていた。彼は、「支那事変という力以上の仕事に突入した」とき、日本はみずから「破綻の原因」をつくりだしたとみる。


 昭和十七年(一九四二)初頭、中国大使に任命された重光は、対中国政策の軌道修正をはかるべきときがきたと判断した。彼が描く新政策の要点は、日華基本条約を改訂し、中国における政治上、経済上の指導を中国人に譲り、日本はいっさい中国の内政に干渉せず、中国人の要望する自主的建て直し実現に援助を与えるというもので、中国を完全な独立国として取り扱おうとするものであった。

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