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天皇と太平洋戦争 開戦の真相から終戦の決意まで
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歴史
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第十章 終生の恨事インパール認可

『天皇と太平洋戦争 開戦の真相から終戦の決意まで』
[著]土門周平 [発行]PHP研究所


読了目安時間:12分
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 戦史上の史実は、関係者の回想録・日記等良質の資料とインタビューを基礎として、筆者の追体験と軍事知識を物指にして、一つひとつ厳密に決定する。


 数十種類の研究書が出ているインパール作戦は、ガダルカナル作戦とともに、屈指の敗戦の記録として語りつくせない内容をもっている。大本営で作戦課長、作戦部長、軍務局長といった要職を歴任した真田穣一郎少将は、「メモ魔」といわれるほど、多忙を極める大本営の業務の中で、会議や報告の要点を記録した。戦後、筆者の恩師の一人である稲葉正夫中佐が、そのメモを発掘したことが、陸軍関係の戦史にしっかりとした基礎と方向を与えたということができる。


 この章では、真田資料を中心に一等資料をつき合わせて、運命のインパール作戦の初動を整理してみよう。



 南方軍総参謀副長稲田正純中将の手記に「(しょう)(なん)日記」というのがある。昭南というのは、戦争中日本がシンガポールのことを呼ぶときに使った通称である。


 したがって南方軍司令部がシンガポールにあった時期の稲田の勤務中の日記ということになる。談論風発といったタイプの将軍の手記なので面白い。


 その「昭南日記」にインパール作戦の初動の問題を知る手がかりがある。稲田は昭和十八年五月十三日ビルマ視察のため現地に入った。十五日メイミョーの第十五軍司令部で、軍司令官()()(ぐち)中将と二人きりで懇談した。


 牟田口は、インパール、アッサム進攻の必要性を強調し、雨季明け後、直ちに実行したいと訴えた。そして最後に「アッサム州かベンガル州で死なせてくれ」といった。


 稲田は、「アラカン山中の要線を占領するだけなら可能かもしれぬが、アラカンを下って、アッサム州に突進するなどとは全く話にならぬ」と応酬した。そして内心「牟田口中将の考えは危険だ。よほど手綱を締めてかからねば大変なことになりそうだ」と考えた。


 ちなみに牟田口は陸士二二期、稲田は陸大軍刀組で二九期である。


 六月下旬、ラングーンの方面軍司令部で兵棋研究が行なわれた。大本営から竹田宮、近藤伝八両参謀、南方軍から稲田総参謀副長が参列した。演習終了後、稲田は、第十五軍の作戦構想は危険性が多い、とくに現代戦において補給を軽視しては作戦は成立しない、南方軍としても、軍の主力をチンドウィン河の西岸において、南方から北方に指向すべきものと考えるから、この点再考をわずらわしたいとの所見を述べた。

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