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天皇と太平洋戦争 開戦の真相から終戦の決意まで
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歴史
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第十三章 大元帥の憂悩

『天皇と太平洋戦争 開戦の真相から終戦の決意まで』
[著]土門周平 [発行]PHP研究所


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 戦争指導に関する天皇のご発言は、戦後の学問研究の分類では「政治学」の範囲で扱われることが多く、純軍事に関する事項は触れられていない。


 資料面からみると、内大臣の立場から記した「木戸幸一日記」のほかは、当然、陸海軍の両統帥部長が、戦況上奏もしくは大命(いん)(さい)のときに、直接お言葉を賜わるので、その記録が一等資料ということになろう。実際にこれらの場合、必ずといってよいほど、統帥部長に対しご下問があったことは、確かのようである。


 昭和十七年十二月十五日付で、服部卓四郎大佐に代って作戦課長に就任した真田穣一郎大佐(のち少将)に、「眞田日記」と称せられる丹念な業務メモがあることは、インパールの章で触れた。これも前に触れた筆者の恩師稲葉正夫中佐が、戦後、生前の真田少将から、北海道の実家で直接聴取した記録の中から、大元帥として純軍事作戦の細かい事項にまでご下問になったケースを、日時を追って掲記しておこう。



 日本は、ミッドウェー海戦と並行して、アリューシャン列島のアッツ、キスカ両島を占領した。アッツ守備隊は、北海道の第七師団の歩兵、砲兵、高射砲各一コ大隊を基幹とする、山崎(やす)()陸軍大佐が指揮する約二六〇〇名の部隊である。


 昭和十八年五月十一日、米機動部隊の艦砲射撃による援護のもとに、約一万一〇〇〇名の米軍が上陸した。守備隊は果敢な防禦戦闘を実施し、上陸部隊の指揮官が、十六日になって兵力の増援を要請した。


 機動部隊指揮官は、日米の兵力比からみて、あまりに弱気に過ぎると、上陸部隊指揮官を即日解任したという。


 五月二十九日、防禦戦闘は最後の段階になった。山崎大佐の最後の報告電は、太平洋戦争における最初の「玉砕」として有名である。


○野戦病院収容中の傷病者は、それぞれ最期の覚悟を決め、処置するところあり、非戦闘員たる軍属は各自兵器を執り、陸海員とも一隊を編成、攻撃隊後方を前進せしむ。

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