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天皇と太平洋戦争 開戦の真相から終戦の決意まで
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歴史
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第十五章 捷(しょう)号(ごう)作戦に伴う決断と実際

『天皇と太平洋戦争 開戦の真相から終戦の決意まで』
[著]土門周平 [発行]PHP研究所


読了目安時間:19分
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 太平洋戦争を研究していて、何ともいえない釈然としない痛憤が残るのは、捷号作戦に伴う決断である。作戦の規模は、世界戦争史という視点に立っても、最大級のものであるが、それまでの戦いは、なるほど、ここが悪かったから、こういう敗け方をしたのだな、と納得のいくものなのに、捷号作戦の場合は、理由を考えてもなぜかすっきりしないものが残る。筆者は、それには何かが隠されているのではないか、という仮説をもっている。その仮説が、説得力のあるものかどうか読者にご判断いただこう。


 まず、戦況を概観することから始めよう。すべての問題の根源は、昭和十九年十月中旬に生起した「台湾沖航空戦」に始まる。


 サイパンの攻防戦と「あ」号作戦に敗れた日本は、昭和天皇がいみじくも指摘されたとおり、次の主戦場は比島であると判断して、大車輪でその防備態勢の補強に狂奔した。


 十月六日、ハルゼーの指揮する米機動部隊が、カロリン諸島のウルシー泊地を抜錨した。その戦力は、空母一七隻、戦艦六隻、巡洋艦一四隻、駆逐艦五八隻、艦載機一一八〇機、予備艦載機搭載艦一一隻、給油艦三三隻という強大なものであった。


 十月十日、米機動部隊は朝から、呉、沖縄、台湾、ルソン島などの日本軍基地に対して艦載機を、沖縄南東海面から発進させた。


 たまたま連合艦隊司令長官豊田(そえ)()大将は、戦線視察のため台湾の新竹にいたが、その米軍艦載機の広範囲な空襲に対して、「捷一号及捷二号作戦警戒」態勢を発令した。


 捷号作戦とは、マリアナ喪失以後の作戦計画で、一号がフィリピン、二号が台湾、南東諸島、南日本、三号が本州、四国、九州、小笠原、四号が北海道と防御正面を区分して、部隊を集中して米軍を撃退する主旨のものである。


 部隊運用の面で特筆すべきことは、マリアナ以降の航空戦力の低下に対する非常措置として、陸軍の航空機を含み、機体と搭乗員を厳選して、戦闘機隊二、電撃隊六からなる計一五〇機の特殊部隊を編成したことである。台風の頭文字から、この部隊をT攻撃部隊と命名し、すでに制空、制海権はないという前提で、夜間や薄暮の攻撃に、訓練の重点が置かれた。T攻撃部隊は、陸海軍を通じて、最後の希望の星であった。


 一方、米機動部隊は十日に続いて十一日も、台湾の航空基地、軍港の艦船、軍需工場等を終日攻撃した。そこで連合艦隊司令長官はこの日「捷一号及捷二号作戦発動」を下令した。


 T攻撃部隊は、その命令に基づき、第一陣が九州鹿(かの)()基地から飛び立った。一式陸攻、陸爆銀河など五五機である。第二陣は、艦攻天山、陸軍の四式重爆など、四四機が出撃した。


 このT攻撃部隊は、夜間、米機動部隊を捕捉攻撃、「空母二隻を含む六隻以上の艦艇を撃沈」したが、五四機が未帰還となった。


 十月十三日、米艦載機は台湾の各軍事施設を空襲した。T攻撃部隊も反撃した。台湾東方海上で一式陸攻、陸爆銀河などが、夕方から攻撃に移った。「空母二隻を含む四隻を撃沈」と報告され、未帰還機は一八機であった。


 十月十四日、台湾への米機動部隊の攻撃は午前中で止んだが、T攻撃部隊は昼夜にわたり総力を挙げて攻撃を敢行した。各地から沖縄を中継し、延べ四五〇機が攻撃した。昼間攻撃は「空母二隻、巡洋艦二隻、駆逐艦一隻撃破」、夜間攻撃は「空母三隻、戦艦一隻、重巡一隻を撃沈。空母一隻、戦艦一隻、軽巡二隻を撃沈確実」と報告された。

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