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天皇と太平洋戦争 開戦の真相から終戦の決意まで
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歴史
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第十八章 戦勝への鍵「勝利の計画」の決断

『天皇と太平洋戦争 開戦の真相から終戦の決意まで』
[著]土門周平 [発行]PHP研究所


読了目安時間:14分
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 戦争には相手がある。そこで日本が“一億一心”で戦った相手であるアメリカが、どんな考えで日本と戦争したのか、概観しておこう。


 どこの国でも平和な時期の軍事計画策定段階では“仮想敵国”を考える。アメリカ海軍は、各国を色別に暗号化して、「カラー・プラン」という戦争計画を準備した。イギリスはレッド(赤)、ドイツはブラック(黒)、メキシコはグリーン(緑)、そして日本がオレンジである。


 アメリカは、日露戦争が勃発した一九〇四年、早くも「カラー・プラン」に着手した。このときの「オレンジ計画」は、たんに日本との戦争が起こった場合の考え方を原則的に述べただけである。そしてアメリカが、日本を将来いちばんの仮想敵国となる公算がある国とみたのは、第一次大戦直後からであった。


 当時、日本とアメリカとの間には、幾多の未解決の問題、誤解と悪意が山のようにあった。そのうえ、日本の地位は第一次大戦とヴェルサイユ講和条約の結果、たいへん強化されたので、アメリカは大西洋方面よりも日本との戦争の起こる可能性があると考えた。


 そのころ、米陸海軍の統合戦略計画の策定は、第二次大戦当時の統合参謀本部の前身である「統合会議」の責任であった。この会議は、陸軍参謀総長、海軍作戦部長、その代理者(陸海の次長)と、陸海両戦争計画部長で構成されていた。


 一九一九年に統合会議の支援機関として「統合計画委員会」が新設された。この委員会は、陸海軍それぞれの戦争計画部から四名ずつ出向し、合計八名の将校で構成されていた。軍事政策の決定、戦争計画の整備、その他陸海軍の統合行動を含む、あらゆる問題に必要な細目の調査、研究を行なうのが任務であった。


 一九二一年から二四年にかけて検討された対日戦略の基本構想は、「最も早い時期に、西部太平洋方面の米海軍力を、日本海軍よりも優勢にする目的で、主として海軍の攻勢戦略を敢行する」というものであった。


 この計画を実行するためには、アメリカは全艦隊に便宜を与えることができるような基地を、その方面でつくることを必要とした。ハワイの真珠湾以西で、この目的にかなう基地はマニラ湾であった。


 そこで戦争が起きた場合、この湾を死守すること、そして海軍援護のもとに、比島が日本軍に攻略されないうちに増援部隊を現地に到着するよう準備することが重要である、と立案者たちは考えた。


 陸軍は、マニラ基地を確保するだけで、全般的な対日戦の主役は海軍であり、勝利は海軍力に依存するという考え方である。このオレンジ計画は、一九二四年(大正十三)八月に完成していた。

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