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天皇と太平洋戦争 開戦の真相から終戦の決意まで
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歴史
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第二十章 原爆投下

『天皇と太平洋戦争 開戦の真相から終戦の決意まで』
[著]土門周平 [発行]PHP研究所


読了目安時間:16分
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 一九四五年(昭和二十)八月六日、アメリカは日本の広島市上空で原子爆弾一個を爆発させた。原子爆弾を使用するための最終決断は、ハリー・S・トルーマン大統領によって下されたのである。


 この原子爆弾の爆発は、人類史上に画期的な意味をもつものであるが、四月十二日に前大統領フランクリン・D・ルーズベルトが脳出血で急逝したため、急遽大統領に就任したトルーマンにとっては、多くの問題に取り巻かれていたので、その対応は彼の側近の信頼すべき顧問たちの助言に頼っていた。


 もちろん助言はあくまでも助言であって、原子爆弾使用の責任はアメリカ第三十三代大統領としての責任に帰するものであるが、日本人として、その経緯をしっかり承知しておいてもらいたいものである。



 原子爆弾使用の理由は、それが戦争を終結させるものであること、少くとも戦争をいっそう早く終らせること。それによって、日米両国人の生命を救うこと、とされている。


 しかし、はたしてそうであったか。日本は当時すでに降伏の瀬戸際に立っていたのではなかろうか。一体、いかなる理由が、このような歴史上前例のない巨大な殺人兵器の使用を正当化し得るのであろうか。


 そもそもこれは、一九三九年に、米国にいた著名な少数の科学者のグループが、軍事目的のための原子力の巨大な潜在力について、ドイツ側ではこの分野ですでに実験段階にあることを指摘して、米国政府に警告したのに始まった。


 この年の十月に、はなはだ控え目な予算で検討が開始されたが、その後次第に増加して二〇億ドルの巨額の「マンハッタン計画」に発展するこの計画は、ただ一つの目的をもっていた。それは、核分裂の連鎖反応による原子力を利用して爆弾を生み出すこと、そしてその爆弾は、もしできるならば飛行機で運ぶことができるものであること、さらにそれをドイツが生産できる以前に生産することであった。


 しかしその爆弾の研究で、実験が可能であると予言できるようになったのは、四五年三月以後になってからのことであった。実験可能な時期は、七月中という見積りである。


 四月十二日にルーズベルト大統領の急逝した後、新任のトルーマン大統領に対して、原子兵器についての状況を説明することが、スチムソン陸軍長官の役割になった。それで四月二十五日、彼はホワイトハウスの会議で原爆開発の歴史と現況の概要を説明したうえ、「向う四カ月以内にわれわれは、十中八、九まで、人類史上でかつてないいちばん恐ろしい兵器を完成しているでしょう」といった。


 この席で陸軍長官は、原子兵器を使用する時期、方法、それを使用する情勢、などを検討するため「特別委員会」の設立を勧告した。新大統領はこれを承認した。


 この特別委員会が、原子爆弾使用の決断に重大な役割を演じた。

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