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(2021/11/26 追記)

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本物の医師になれる人、なれない人
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人文・科学
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第二章 正当な注意力、判断力

『本物の医師になれる人、なれない人』
[著]小林公夫 [発行]PHP研究所


読了目安時間:39分
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 1 ちょっとした失敗が、医師生命を喪失させる


 第一章では、医師に必要な能力として、まず患者の心を解きほぐし、解放させる能力を挙げました。そしてそれに付随する重要な能力として、「患者の主観的見解」と「医学の客観的見解」が対立した場合、インフォームド・コンセントを通じ、医師はこの対立をどう調整し、最良の策を見つけるかについてお話ししました。第二章では、引き続き難問に対処するために必要な医師の能力として、治療を進める上での「注意力」、「判断力」に照準を合わせてお話ししてみたいと思います。

 近時、新聞その他の報道で、医療過誤の話をよく耳にしますが、医師が治療を進める上での些細(ささい)なミスが、医師・患者双方にとって命とりになりうる場合があります。しかし素人目には一見ミスらしき行為に映るとしても、医師の行為がすべて処罰の対象となるわけではありません。もちろん誰の目にもわかりやすい単純ミスは、「法」というツールがそれを確実に捕捉します。けれども、医師のとった行為が過失行為なのか、それともぎりぎり正当な行為なのか、いわゆるグレーゾーンに位置する場合、必ずしも処罰の対象にはならないケースもあるのです。それはなぜなのでしょうか。また、医師はそれをどう見極めるべきでしょうか。

 本章では、医師の「注意力」、「判断力」について検討してみたいと思います。

 まず、わかりやすい単純ミスのケースで、医師が注意力を欠くことが、いかに厳しい結果を生むかについて見ていきたいと思います。

 たとえば、こんな事例を考えてみましょう。

 ある総合病院に、寝たきりの男性が風邪をこじらせて入院していたとします。ある日、この患者が発熱したため、担当医師は解熱剤を投与することにします。ところが、院内に勤務する薬剤師の取り違えにより、医師が指示したA薬ではなく、アレルギー体質である男性患者に投与してはならないB薬が準備されてしまいました。さらに、看護師からそれを受け取った医師も、アンプルに貼付されたラベルをよく確認しなかったため、患者にB薬を注射してしまいました。

 数時間後、男性患者はアレルギー反応を起こし、赤い発しんが出て呼吸困難に陥ります。容態の悪化とともに、チアノーゼ(血液中の酸素濃度が低下し、皮膚や粘膜が青紫色になること)が現れます。男性患者の世話をするために訪れていた妻は、以前にも患者が同様のアレルギー反応を起こし、救命処置で間一髪一命をとりとめたことがあったので、「すぐにナースステーションに知らせなくては」と一度は思いました。しかし、かねてから“老老介護”の生活に疲れていたことから、「このまま夫が死んでくれればいい」と考え直してしまいます。ちょうどその時、看護師が定時の巡回に訪れドアをノックしました。しかし妻は「今、夫の身体を拭いているところだから」と偽り看護師を部屋に入れず、帰してしまいました。

 それから一時間後、夫の呼吸はさらに苦しくなったように見えましたが、妻は病室を出て帰宅してしまいます。そしてその数分後、再び巡回に訪れた看護師は、男性患者が死亡しているのを発見します。死因は、B薬のアレルギーによるショック死でした。

 この事例で、男性患者を死に至らしめたのは一体、誰でしょうか。まず考えられるのは、薬を取り違えた薬剤師、それを確かめなかった看護師であり、薬の確認を怠り注射した医師です。

 しかし、よくよく考えてみると、誤投与が起きたのは総合病院の中でのことであり、以前にも男性患者は同様のアレルギーを起こしていますが、その時は救命されています。とすれば、男性患者がアレルギー反応を示した時点で、迅速に医師らが対応していれば、少なくとも死亡という結果は避けられたとも考えられます。ならば、嘘をついて医師や看護師の対応を遅らせた妻こそが、夫を死なせたのだといえそうです。

 もちろん、医師や薬剤師のミスは許されるものではないのですが、すでにみたように、誤投与によるアレルギー反応は、本来であれば死につながるものではなく、医療現場に携わる人であれば「死亡についてまで責任を負わされてはたまらない」と思われることでしょう。

 しかし、実際にこのような事件が起きたとすれば、かなり高い確率で医師らは業務上過失致死罪に問われることになるはずです。

 というのも、男性患者の死という結果を招いた原因を検討してみると、確かに妻の行為は決定的な役割を果たしてはいるものの、直接男性に手を下しているわけではなく、患者の危険な状態を医師や看護師に知らせない“不作為”という消極的・間接的な行為にとどまっているからです。それに対して、医師らによる誤投与は、直接にアレルギー反応による容態の悪化という患者の死因を発生させています。

 たとえばこれが、アレルギー反応で夫が苦しみだした後で、妻が夫の首を締めて死に至らしめたというのなら、話は変わってきます。この場合、患者の死の直接の原因は妻が夫の首を締めたことにあると考えられます。誤投与から死へとつながる因果関係は、妻の行為によって切断されることになり、したがって、医師らが死の結果についてまで責任を負わせられることはないのです。せいぜい、アレルギー症状を起こさせたことについて、業務上過失致傷罪に問われる程度ではないでしょうか。

 しかし、このケースのように、妻の行為が消極的に関与している限りは、「妻をどのような罪に問うか」という問題は別論、少なくとも医師らは、患者の死に対する責任を問われかねないのです。


 2 癒着胎盤は剥がし続けるべきか否か――福島県立大野病院事件――


 このように法は、医師の過ちに対して時に極めて厳しい姿勢をとります。どんなに医師が誠心誠意治療にあたっても、些細なミスがあり、それが不幸な結果をもたらせば、医師は処罰されうるのです。その意味で単純ミスを防ぐ「注意力」を医師は具備せねばなりません。

 一方、先にも述べたように、法はやみくもに医師を罪人に仕立て上げるわけではありません。責任を問われるケースと問われないケースとの間には、明確な一線があり、それを画するのが「医療群」という存在です。「医療群」とは、一般の方には聞き慣れない言葉だと思いますが、これは医師の行為に過失があったか否かの判断に際し、私が使用するタームです。では、その「医療群」がいかなる役割を果たすのか、以下では広く世に知られた医療過誤事件をもとに、あるべき医師の行動基準を検討してみましょう。

 数年前に、福島県大熊町の県立大野病院で、帝王切開の手術中に女性(当時二十九歳)が失血死する事件が起きました。

 マスコミが大々的に医師の過失を非難し、それに対して医師会などが反発し、声明が出され、裁判の結果医師に無罪判決が出ました。この事件をきっかけに、医師不足や医療現場の過重労働といった問題も議論を呼び、広く世間の耳目を集めることとなりました。

 この事件で問題となったのは、医師が行った医療措置は正しかったのか、ということです。具体的には、帝王切開の手術中、女性が「癒着胎盤(ゆちやくたいばん)」という症状であることが判明した後も、胎盤を剥がすという処置を続け、結果的に大量出血により患者を死亡させてしまった医師の行為の正当性が問われたのです。
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