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三笠宮と東條英機暗殺計画 極秘証言から昭和史の謎に迫る
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歴史
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第三章 東條暗殺へ動く三つの影

『三笠宮と東條英機暗殺計画 極秘証言から昭和史の謎に迫る』
[著]加藤康男 [発行]PHP研究所


読了目安時間:33分
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六月二十五日──サイパン南溟に散る


 袋小路に入り込んだ東條は、このところさすがに顔色も優れず、食欲も落ちていた。


 天皇に上奏して「否」と言われたことなど初めての経験をしたあとだけに、(しよう)(すい)ぶりは著しかった。


 昭和天皇は四十四歳、東條は七月で還暦六十歳を迎えるときである。


 この日の朝食も家族や秘書官たちと一緒だったが、特に食欲がない様子で、ひと口、ふた口運ぶと箸を置き赤松秘書官に向かって力なくこう言った。

「連合艦隊の失敗で、サイパンはどうにもならなくなった。放棄は決めたが、納得しない老人たちや威勢のいい参謀からはあくまで確保を試みよ、との声も消えない。お上もそういうご意向らしいので、これから元帥会議を召集して最終決着を図ってくる」


 午前十時に東條が宮城へ向かうと、すでに伏見宮、梨本宮、永野修身、杉山元の四元帥と嶋田繁太郎軍令部総長、〓(はす)(ぬま)(しげる)侍従武官長に加え陸海両作戦部長が陪席しており、直ちに元帥会議が開かれた。


 天皇の強い意向からである。天皇入御のあと、元帥一人ひとりが意見を述べた。


 なんとかしてサイパン奪回のため統帥部が再検討できないものか、というのが聖慮だとは皆が承知はしていたが、奪回は事実上不可能であるとすでに上奏済みなのだ。


 東條の言う「老人たち」とは元帥連や岡田啓介などの重臣たちが苛立っている現状を指しての皮肉だ。元帥たちはなんとかサイパン奪回の方策はないか、統帥部に名案はないものかと思案したが、対案があるわけではない。この日も「実行性には非常なる困難性あり、昨日の両総長の上奏案より以外に対策なし」との結論で終わった。


 元帥たちから「現職の統帥責任者が決定した結論に従いたい」との奉答文を受け取った天皇は、改めて東條、嶋田両総長を召し、沈痛な表情で次のような裁可を下した。

「昨日両総長の上奏案通に同意する。(諸々の)実行は迅速にやるように」


 この「実行」とは「サイパン奪回は出来ぬとしても、極力敵のサイパン等の航空基地利用を妨害し、迅速に後方要線の防備を強化し陸海航空の総力を結合、協力すること」という条項が付加されたことを指す。


 それでも東條はこの元帥会議の結果にやや満足感を覚え、再び自信を取り戻していた。


 なにしろ、元帥府があたかもお墨付きを与えたように追認したのだし、加えてお上の「同意」も得られたのだから。彼一人にのしかかっていたマリアナ戦敗北の重荷が、少しは軽くなったように思えていた。


海軍・高木惣吉の計画


 津野田から「意見計画書」を三笠宮が受け取ったのは間違いないと思われる。「?」はいかにも自信がない。受け取っていないなら「事実なし」とか書かれるはずだ。


 それだけに宮の心中は穏やかではなかった。まず高松宮に相談し、そののち母宮の貞明皇后に一部始終を打ち明け判断を仰いだのではないか。


 そこまで慎重に心構えをした上で、宮は津野田を宮邸へ呼んだ。

「七月三日月曜日、大本営へ出勤する前に御殿へ来るように」との電話が三笠宮邸の事務官から津野田に入っている。


 居間に通されると、簡単な挨拶のあとすぐ三笠宮が質問をした。

「あの日、貴官が帰ったあとですぐ東さん(東久邇宮)と電話で話し合ったのだが、石原、小畑両将軍の意見はどうであったか、聞かせて欲しい」


 津野田は鶴岡と狛江で会った両中将の見解をそのまま伝えた。


 黙って聞いていた三笠宮の口から出た言葉は、次のようなものだった。

「東久邇さんを首班にするというのは、自分も同意する。ただし、最後に書き添えられている『行動の覚え』項目を除いてだ。


 かりそめにも東條はお上の親任を得た一国の総理である。その人物を処断するというのはどうも好ましくないと思う。これは秩父さんも高松さんも同意見であった。


 高松さんとは電話で話し合っただけだが、秩父さんには見舞いを兼ねて、昨日、お会いしてきた」


 計画が二人の直宮にまで達したと聞いて津野田の胸は高鳴った。秩父宮には会いに行き、高松宮とは電話で話した、というのだから三笠宮の胸中がかなり揺れ動いていることは十分伝わってきた。あとは上聞に達するかどうかだが、それは五分五分と思うしかなかった。達しなければ決行あるのみ、という津野田たちの腹に変わりはない。



 大本営海軍部の高級参謀(大佐)だった高松宮は連日軍令部へ出勤しては戦況の先行きを案じ、情報の収集に努めていた。


 高松宮への重要情報の伝達役は二人いて、一人は海軍省教育局長の高木惣吉少将、もう一人は前首相近衛文麿の女婿でもある(ほそ)(かわ)(もり)(さだ)だった。


 近衛公爵の次女・(よし)()は、元熊本藩の当主細川(もり)(たつ)の長男で近衛の側近護貞と結婚したが、若くして病死している。細川はその後も独身のまま近衛に仕えていた。


 付け加えれば、その細川護貞と温子の間に生まれた兄弟が細川(もり)(ひろ)(元首相)と、のちに近衛家の養子に入って改姓した(この)()(ただ)〓(てる)(現国際赤十字会長、日赤社長)である。

「時局がかなり逼迫してきたので、方々駆け回って情報を聞いてきてくれる者はいまいか」


 との電話を高松宮から受けた近衛が細川を推薦したのが昭和十八年十月末であった。


 高木惣吉も細川を推挙し、二人は密な連絡を取り合いながら高松宮の身に寄り添うことになる。


 その細川が情報収集と近衛・高松宮間の連絡役を兼ねながら、実はまた独自に東條暗殺の決意を固め、高松宮に打ち明けていた。


 知将として知られた高木は、このところ昼夜を問わず高輪台にある高松宮邸に伺候しては東條内閣のあらゆる情報を宮の耳に入れてきた。


 もちろん、四方憲兵隊長が見逃すはずはなかったが、尾行がついてはいても直宮の邸内までは手が届かない。尾行の憲兵から、日付、時間、会った相手など細かな報告は上がっていたが、宮邸の電話盗聴と縁の下にまでもぐり込むのは困難だった。


 六月末のことである。


 勤務から帰宅した高松宮邸の電話が鳴った。


 声は弟宮の三笠宮で、三笠宮は兄宮にご機嫌うかがいの挨拶を手短に述べるとこう切り出した。

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