一九八九年末に日本の株式市場がピークをつけ、以来二十年以上もの長きにわたり、日本経済は低迷を続けています。この間、リーマンショックもあり、日本は戦後先進諸国の中で初めてデフレを経験し、今なお脱却すらできないでいます。経済成長の鈍化、少子高齢化、産業の空洞化、失業率の上昇、GDP世界第二位からの転落、等々何も良い話が聞こえてきません。こうした状況下で国民も漠たる不安や危機意識を持っています。それが、一九五五年の自由民主党(自民党)結党以来の五十年以上にわたる同党政権の終焉に繋がったのでしょう。大衆はどうすべきかということは分からなくても、「何とかしないといけない」と鋭敏に感じるものです。
今の日本の病根は、私が見るに二つあります。一つは、日本を戦後発展させ成功を支えてきた社会経済モデルが世界的金融・経済危機とグローバリズムが進展する中で、逆に経済の活力を削ぐようになってきたということです。例えば、戦後長らく日本の雇用を支えてきた三種の神器(終身雇用、年功序列、企業別組合)なども今や時代遅れとなり、能力主義に取って代わられました。一億総中流意識も社会的格差が拡大し、日本的平等主義も揺らぎ始める中で崩れつつあります。官僚機構を中心とする政官財の癒着構造とそれを機能させる上での根拠法となっていた一九五〇年代や六〇年代につくられたさまざまな法律や規制が、日本の未来への発展の桎梏(足かせと手かせ、人の行動を厳しく制限して自由を束縛するもの)となってきたのです。
こうした問題は、今後不退転の決意で諸改革に取り組めば、必ず解決されます。改革のいくつかは本書の第五章で具体的に記しています。過去にも、小泉元首相のように「改革なくして成長なし」というキャッチフレーズのもとで構造改革に取り組んだ人物もいたのです。老子の言うように「国家混乱して忠臣あり」です。きっとそのような指導者が現れます。
現に今度の都知事選は、これまでとは違います。居酒屋中心の外食チェーンや介護事業を手掛けるワタミグループの創業者の渡

美樹氏が出馬表明しました。石原都知事も四選を目指し出馬表明し、実質的には一騎打ちとなりそうです。
本書が発刊されたときには、すでに選挙結果が出ておりますが、今回の二万数千人の死者・行方不明者を出した東日本大震災に関して、今三月十四日に「この津波をうまく利用してだね、我欲を一回洗い落とす必要がある。積年たまった日本人の心のあかをね。これはやっぱり天罰だと思う」などとまったく呆れ返るような発言をするような者に四選させるようなことは個人的にはあってはならないと思います。それより、経営者として自ら起業し成功した若い人物に都政を任せたいと思います。こうした「忠臣」の出現を国政においても待たれるのです。
もう一つの問題は、われわれの心(精神)の問題であり、実はこちらのほうが前記した問題より深刻なものだと私は思っています。中国明代の思想家、王陽明(一四七二─一五二八年)に次のような言葉があります。「山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し」。まさに至言と言うべきでしょう。物事の崩壊はいつも内から起こるのです。
私がこの本を上梓しようと考えた最大の理由は、わが同胞に日本民族はそんなに捨てたものではないよと伝えたかったからです。今回は構造危機といった側面も前記したようにありますが、それ以上に精神危機とも言うべきものだと私は考えています。
日本民族が世界に誇るべき民族的特質を有することは、私が長年私淑してきた碩学たち(安岡正篤や森信三)の書に明らかです(本書第四章に詳しく記しています)。われわれは、民族の歴史・伝統たるナショナル・ヒストリーを踏まえ、自信を持ってナショナル・ビジョンを明確に描き、その先のナショナル・インタレスト(国益)を追求していかなければなりません。そのために今日本人が一番必要とすることは、将来への希望と自信を取り戻すことだと思います。
今回の大震災で世界中の人たちが混乱の中で示される日本人の忍耐と寛容の精神、助け合いと同胞意識の強さ、任務のために勇気を振り絞り決死の覚悟で原発に放水する消防庁や自衛隊の人たちの姿等々に心を打たれています。日本人はこの崇高(けだかく尊いこと)な精神を脈々と受け継いでいるのです。われわれ日本民族の血に流れているこの精神をもう一度自信を持って顕在化するのです。そうすれば、世界に冠たる国に再度なれるのです。それは歴史が過去証明してきたことです。
今年還暦・耳順の歳を迎えて、わが同胞の後輩たちに未だ浅学非才の身ながら何か残したいという切なる気持ちと、この日本に生を受け六十年間にわたって平和で自由で豊かな環境で生きてこられたことに感謝の誠を捧げるとともに、より良き日本と世界をつくってもらうために暁鐘を撞ければと筆を取りました。
最後に私の好きな王陽明の「睡起偶成の詩」を記して筆を置きます。
四十餘年睡夢中 四十余年 睡夢の中
而今醒眼始朦朧 而今醒眼 始めて朦朧
不知日已過亭午 知らず日すでに停午を過ぐるを
起向高樓撞曉鐘 起って高楼に向かい暁鐘を撞く
起向高樓撞曉鐘 起って高楼に向かい暁鐘を撞く
尚多昏睡正茫茫 なお多くは昏睡して正に茫々
縱令日暮醒猶得 たとえ日暮るるも醒めることなお得ん
不信人間耳盡聾 信ぜず人間 耳悉く聾するを
二〇一一年三月北尾吉孝