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日本人の底力 世界は「わが民族の叡智」を求めている
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第四章 日本民族として二十一世紀に何を為すべきか

『日本人の底力 世界は「わが民族の叡智」を求めている』
[著]北尾吉孝 [発行]PHP研究所


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安岡先生『日本精神の研究』の教え



 本章のタイトルでは、「日本民族」という言葉を挙げました。

 日本民族、あるいはナショナリズムという言葉を聞いて、すぐに国家主義や国粋主義と結び付ける人がいます。しかし私の言う日本民族やナショナリズムは、けっして丸山眞男先生(一九一四─一九九六年)の言うところのイデオロギー的なナショナリズムではありません。

 政治学者で日本思想史家でもある丸山先生は、文化的な次元を超えて政治的な次元にまで高まり、相手を敵視した行動を取ることを「ナショナリズムの出現」と言われました。しかし私の言うナショナリズムは、そうした(たぐい)ではありません。今日のグローバルな世界において求められる、新しいナショナリズムを指します。このナショナリズムは、特に目新しいものではなく、過去の先哲たちの文献にも書かれています。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」(初代ドイツ帝国の宰相だったビスマルクの言葉)と言いますが、われわれは物事を考えるとき、歴史に学ばなければなりません。先哲たちの教えをもう一度振り返らないと、人間として生まれてきた意味がない。知は、積み重なって残っていくものです。先哲たちが残してきた知をもう一度振り返り、それをさらに発展させてこそ、人類の進歩はあるのです。

 例えば、第一章で少し触れましたが、安岡先生は第一次世界大戦後に著された『日本精神の研究』という本に、興味深い記述をされています。

 当時、海外では国際連盟による新秩序への取り組みが行なわれ、一方でロシア革命と共産主義インターナショナル運動が起こっていました。いわばナショナリズムとインターナショナリズムの交錯する時代でした。

 国内では前年に関東大震災が起こり、また大戦後の不況を受けて労働・小作争議が多発、民本主義や社会主義といった新たな思想も次々と出てきました。経済的にも思想的にも、未曾有の国難に直面しており、社会的混乱を鎮静化させるために「国民精神作興に関する詔書(しょうしょ)(天皇が発する公文書)」も発布されました。

 そうした中、安岡先生はわが国のナショナリズムやナショナル・アイデンティティの模索探究が必要と考え、『日本精神の研究』を著されたのです。

 そもそも、ナショナリズムには三つの側面があります。一つは「国民的伝統」で、ナショナル・ヒストリーのことです。二つ目は「国民的利益」で、ナショナル・インタレスト、三つ目は「国民的使命」で、ナショナル・ビジョンです。

 日本にはどのような文化的歴史があったのか、つまり民族の歴史を振り返る。その上で日本人は、どのような民族的使命を持つべきか、ビジョンを描く。そのビジョンの背後に、どのような国益を目指すべきかをわれわれは考える必要があるというのです。

 よく国民的伝統や歴史を無視して、ただ国益や国民的使命のみ語ろうとする人がいます。しかし、それでは望ましい結論は出ません。安岡先生がその名著で考察されたように、いったいわが民族は、どのような特質を持っているのか、それをよく見た上で、これらを考える必要があります。

 さらに、安岡先生が民族精神についてギュスターヴ・ル・ボンの言葉を引用されて次のように指摘されていることも、極めて重要だと思います。


 「群衆中の個人は単に大勢の中にいるという事実だけで、一種不可抗力なものを感じるようになる。群衆の一員という事実だけで、文明の段階をいくつも下ってしまうのである。一人でいるときは恐らく教養があると思われる人が、一度群衆に加わると、本能的な人間、野蛮人と化してしまう」。これはフランスの名高い心理学者、ギュスターヴ・ル・ボンの『群衆心理』の一節であるが、大衆社会の陥りやすいこの弊害を救う道は民族の歴史的、伝統的精神を喚起する以外にはないと、つぎのように痛論している。

 「民族精神は群衆の動揺を抑制する強力な基盤である。民族精神が強まれば強まるほど、群衆の劣等と性質は弱まる」(『活学』)

「陽的文化」対「陰的文化」



 ここで「西洋」対「東洋」の比較について、先哲の考えを紹介しましょう。これについて安岡先生は、西洋を「陽的文化」、東洋を「陰的文化」とされました。まさに易学における「陰陽」の考え方です。
「陽」は外向的、つまり外へ発展していく性質を指します。陽的文化である西洋文化は、ほかに「物理的」「理知的」「才能本位」「功利的」といった特徴があるとされています。一つのものが無限に自分を分化し、形を採って自分を発現していこうとする働き、自然と人間を対立的に捉え、人間は自然の支配者であるといった発想を持つというのです。

 他方、陰的文化である東洋文化は、「精神的」「情意的」「徳操的」「趣味的」といった特徴があるとされています。複雑な差別を統一し、含蓄しようとする働き、自然と人間の関係を調和と融合という面から捉え、物事を統合的に考えようとすると言われるのです。

 この分け方は、概念的には正しいと思います。例えば自然の捉え方について、日本あるいは東洋では、自然と人間を渾然一体化して考える、そんな自然観があります。さらにその自然観の前提には、「天人合一思想」というものがあります。

 この世をつくりたもうたもの、生きとし生けるものすべてを生み出したもの、これを「天」と言うか、「造化」と言うか、「大宇宙」と言うかはともかく、これらと人は合一であるという考え方です。これも東洋思想の中に深く根づいたものです。

 われわれ人間はそれぞれ天命、つまり天からのミッションを持って生まれています。この天命を「人間性」と言います。さらに男には男としての使命があり、これが「男性」、そして「女性」は女としての天から与えられた使命なのです。そして、人それぞれ違います。だから「個性」と言うのです。

 一方で、動物や植物にもそれぞれ天命があり、これを「動物性」、「植物性」と言います。それは、例えば「人間に食べられる」というミッションかもしれません。あるいは「動物に食べられる」というミッションかもしれません。いずれにせよ、この世を生成化育していくために必要なミッションを持ちながら、すべての生物は生きているのです。

 さらに、われわれ人間の心の中にだけ、天意つまり天の意思が存在しているということです。なぜなら天がつくりたもうたものでわれわれ人間だけが、ある意味、万物の霊長として非常に高度な意識を持っているからです。換言すれば、人間を通して天が心を開いているとも言えます。

 天の意思として、それぞれミッションがある。その意味で人間も動物も植物も、みんな同じです。そう考えれば、自然と人間は当然、一如となるのです。

 こうした自然観は、西洋にはありません。西洋の自然観は、『旧約聖書』に神が「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を()う生き物すべてを支配せよ」と言ったとあるように、空を飛ぶ鳥や海を泳ぐ魚、あるいはこの地で生きるすべてのものを人間が治める、というものです。

 神は自らと同じような姿をした人間をつくり出し、それに(いのち)を与え、この世の一切を治めさせようとした。これが『旧約聖書』の冒頭に書かれていることで、したがって自然と人間が一体であるといった思想はありません。
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