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親は子に何を教えるべきか
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教育
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三尺の影

『親は子に何を教えるべきか』
[著]外山滋比古 [発行]PHP研究所


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 ヨーロッパに“従僕に英雄なし”という言葉がある。英雄と見えるのは世間一般の人に対してであって、日頃身の回りの世話をしている従僕には欠点も目について、普通の人間と変わらないものだ、というような意味であろう。


 われわれは人と親しくなりたいと思っているのに、いざ近づいて見ると、思ったほど相手がすばらしく感じられない、といった始末の悪い習性をもっている。“従僕に英雄なし”もその一例である。

遠くより眺むればこそ白妙の富士も富士より筑波嶺もまた”という古歌は、これを逆の立場から表現しているが、やはり、対象にあまり接近してはいけないことを教える。


 戦後の教育のいちばん困った点は、大人の政治で言えることを、そのまま教師と生徒の間へ持ち込んだことである。やたらに威張る人間がいるのはおもしろくない。人と人とは平等である。それが民主主義だという考えが広まった。


 お巡りさんの言葉が“オイッ、コラッ”から“モシモシ”に変わったのは愛嬌だったが、学校の先生も流行に遅れたくないから似たことをした。そして、それを自分で“話せる先生”だと思い違いをした。


 まず教壇を取っ払うことを民主的と考える学校があらわれ、またたく間に天下を(ふう)()した。かつて教職のことを“教壇に立つ”と言ったが、いまや比喩としても有効ではない。立ちたくても教壇はすでにない。


 教壇をなくしてみて、これはたんなる権威の壇ではなかったことがわかった。教壇なしで先生が立つと後ろの生徒が見えない。生徒からも見えない。それで教員志望の大学卒業生の身長を一五五センチ以上と規定したこともあったのは傑作である。教壇があれば一五四センチでも先生になれたのに、不自由なことだ。


 そんなことはどうでもいい。教育とは教師と生徒の距離において行なわれる精神の秘儀であることを、それといっしょにみんなが忘れてしまった。生徒と遊ばない教師は“封建的”と見られるのではないかと勝手に気をまわして、生徒とたわむれるあわれな教師が続出した。


 そんな先生は、生徒にとっても結局はおもしろくないのである。教師というクルマと生徒というクルマには車間距離が必要で、それをあまりつめると、どちらにとっても危険がおこる。そういうことを戦後派の教師は知らなかった。先生にわからぬことをこどもが知るわけがない。


 すばらしいドライバーなら車間距離が小さくても事故を防げるかもしれない。大教育者なら生徒の前でカッポレを踊っても尊敬を受けられるであろう。しかし、凡人はそんな真似をしてはいけない。適正な車間距離をとりつづける努力が必要である。


 昔の人はこれを“三尺下がって師の影をふまず”ということわざで言いあらわした。つまり、教えを受ける側に、三尺という敬意の車間距離をとることを求めたのである。いまの世の中でこんなことを言おうものなら、頭がどうかしたかと疑われる。


 こうなったら、教師の側で自分の影をふませないように三尺の距離を置くことを考えなくてはならない。これまでの教育は、これに気が付かなかった。逆に、せっかくある距離までみずから殺して、それで“話せる教師”のように錯覚していたのだから滑稽である。


 三尺の距離を具体的に示すと、年齢差で二十年以上三十年未満となる。十五歳の高校生の教師は、三十五歳以上四十五歳以下のときが自然に三尺の心理距離をもっていて理想的である。教師として油の乗り切った世代だ。それより若い人は車間距離を大きくするように、それより年上の教師は距離を縮めるように努力するべきである。


 若い教師はなるべく年をとって見える努力をし、逆に年輩教師はすこしでも若々しくなることを心掛ける。つまり、ナマの年齢を感じさせないようにしないと、本当の教育ができない。教育者が年の割に若いのは、知らず知らずにこれを実行しているのかもしれない。若い教師がなんとなくジジクサク見えるのも同じ理屈かもしれない。世人、これをあなどることなかれ。


 人間というのはこの字を見ても、間(ま)というものが大事であるらしいことがわかる。教育は人間を人間らしくする営みだから、ことのほか師弟の間の距離に敏感である。昔の人はそれを象徴的に“三尺下がって師の影をふまず”と言った。こういう言葉も忘れられたため、学校のみ多くなったものの教育はかつてない荒廃に苦しまなくてはならなくなっている。


 企業の人は日頃、教育にはきびしい目を向けているようだが、“三尺の影”は何も学校の専売ではない。職場につまらぬイザコザがおこったり、はてはそれが派閥になったりするのは、たいてい、上司と部下の車間距離が小さすぎるためである。学校と違って企業には定年があって、さきの二十年以上三十年以下という年齢をそのまま当てはめることができない。


 そこに、学校とは違った人事管理のむつかしさがある。それはそれとして、この三尺の影は社会の相当広い範囲に有効な人間関係のルールを暗示しているように思われる。

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