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自分のうけいれ方 競争社会のメンタルヘルス
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生き方・教養
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文庫版まえがき

『自分のうけいれ方 競争社会のメンタルヘルス』
[著]加藤諦三 [発行]PHP研究所


読了目安時間:14分
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 ありのままの自分には価値がある

 自分を受けいれる。

 人は、人に受けいれてもらえれば気持ちがいい。逆に人に拒絶されると傷つく。しかし考えてみると、人に受けいれられることよりも、自分で自分を受けいれることのほうがはるかに大切でまた気分が良い。

 逆に自分で自分を拒絶すると、それが悩みの原点になる。そこからさまざまな不快な気分が生じてくる。

 たとえば歳を取って早く駆け足できない。そんなとき、自分を受けいれている人は、若者と競わない。今、自分が膝を痛めて、走れない。そんなとき、「君たちいいね」と、走れる若者を()めてあげる。それが自分を受けいれるということである。若者を認めて若者を受けいれればいい。

 自分を卑下(ひげ)しないで、人を認める。それが自分を受けいれるということ。自分を受けいれて生きていれば、やがて「こういう人に、なれてよかった」と思える日が来る。

 歌が下手(へた)で歌手になりたい人は劣等感が深刻で、自分を受けいれていない。そういう人は、歌手になりたいのではなく、華やかなことにあこがれているだけであろう。歌が好きで、下手でも歌うことを楽しんでいる人は別に劣等感とは関係ない。歌が嫌いな人が上手(うま)く歌っても、それはイヤな歌。聞きたくない。それよりも歌好きな人が下手な歌を歌っているほうが、聞いていて楽しい。

 歌の上手い下手と、聞きたいか聞きたくないかは別のこと。ここで「劣等感のある人」といっているのは、職業として歌手にこだわっている人という意味である。

 野球が下手なのに野球選手になりたい人も、悩む。自分を受けいれている人は、「君、キャッチャー上手いね」と言いながら、その上手な人からエネルギーをもらう。会話を通してエネルギーを得る。

 

 人は本来自分ができるものを望む。自分ができないことを望むのは、どこかで生き方を間違ってしまった人である。自分を受けいれられない人は、どこかで勘違いをしている。ありのままの自分は価値がないと、どこかで錯覚をしてしまった。

 本来の自分で生きられていないのが、神経症者である。そして長いことありのままの自分は価値がないと間違って思いこんでしまっている。神経症者は、自分を受けいれる方法を、誰からも教わっていない。誰も導いてくれなかった。

 この本では自分の受けいれ方を考えたつもりである。この本は、ありのままの自分は価値がないという間違った思いこみをなくすための本である。

 自分を受けいれられない人には、とんでもない間違った思いこみがある。

 たとえば、ある四十代の女性が恋をした。相手の男性もその女性が好きである。しかし彼女は、女性は若いほうがよいと思いこみ、無理に自分を若く見せようとする。その無理で恋は終わった。相手は「この年齢の私」を好きになったのだから、それでよかったのである。

 自分を受けいれていない人は覚悟をしていない。ありのままの自分には価値があると思えば、「これでよい」という覚悟はできる。

 

 いつも「私がこうだったらなー」と思っている人の弱点

 フレデリック・パールズという人がどういう人か知らないが、"Born to Win"という本(注1)に、その人の言葉として次のような言葉があった。
「クレイジーな人は『私はリンカーンである』という。ノイローゼの人は『私がリンカーンだったらなー』という。健康な人は『私は私、リンカーンはリンカーン』という」
「私は私、リンカーンはリンカーン」という人には、私の役割がある。そしてその役割に満足している。ありのままの自分に価値があると感じている人には自然と役割が出てくる。
「私がリンカーンだったらなー」という人は、今の自分の役割に不満な人である。その人の基本は自己蔑視(べつし)。ありのままの自分を自分が軽蔑している。
「私がこうだったらなー」といつも思っている人は、自分はとんだ間違った錯覚をしていると気がつくことが先決である。

 そしてさらにその間違った錯覚の結果、自分には「もともとの自分で生きてこなかったという弱点がある」と気がつけばよい。気がつくことが大切。そして「これが第一の弱点」と考える。

 この車はどういうときに故障するかを知っているか、知っていないかは大切。それを知って運転しているほうが事故は少ない。

 

 イソップ物語に、ブドウを見て「あのブドウは酸っぱい」と言ったキツネの話がある。キツネが食べてもいないブドウを「酸っぱい」と決めつけたのは、ブドウをとれないのが(くや)しいからである。

 この物語で大切なことは、「なぜキツネはブドウが欲しいのか?」と考えることである。

 それはキツネが自分を受けいれていないから。劣等感が強くて、何かにつけて自分を人に自慢したいから。キツネ自身が、キツネを価値のない動物だと間違って思いこんでいるから。

 イソップ物語にもうひとつ、肉をくわえた犬の話がある。犬が肉をくわえているのに、川に映った自分の姿を見て、肉が欲しくて「ワン」と()えた。そしてくわえていた肉を、川に落として失ってしまった。

 この物語で大切なところは「なぜ肉をくわえて『ワン』と吠えたか?」ということである。

 それは犬が今「自分がくわえている肉が好きではないから」である。

 吠えたのは川に映った肉が欲しいという欲だけではない。肉を好きではないのにくわえて、にもかかわらず「自分は肉をくわえている」という意識もなく、ただ習性で吠えてしまったのである。くわえている肉が好きなら犬は吠えない。

 つまり、色々なものを欲しがる欲深い人は、本当に好きなものがないということである。また自分を知らない人は、何も好きなものがなかったということである。
「あのブドウは酸っぱい」と負け惜しみを言ったキツネは、川に肉を落とした犬と同じように好きなものがなかったということである。
「自分は肉食なのに、なんでブドウが欲しいのか?」と考えれば、キツネは自分が見えてくる。自分の深刻な劣等感や愛情飢餓(きが)感や孤独感等々が見えてくる。

 自分を受けいれるためには自分を知ること。そして価値のある「ありのままの自分」を、どこで、価値がないと勘違いしたかを探ることである。そして「自分はこうだったのか」と、理解することが大切である。

 先のキツネは「酸っぱい」と言った後、どんな気持ちになるか?

 おそらく心のなかでブドウについて勝手に想像を広げている。心の底のそのまた底では「ブドウは酸っぱくない」ということを知っている。だから余計にブドウへの未練が残る。

 (ねた)んでいる人や、(ひが)んでいる人は、どうしても人との間にトラブルが起きてくる。自分を知らないから、トラブルが起きる。
(ブドウが欲しいのは)なぜ?」と考えることで、自分がキツネとわかる。
「自分を受けいれる」とは、「自分はキツネだから、ブドウを欲しがらないはず」と知ることである。無謀なことをするときというのは、自分を受けいれることができないでいるときである。そうしたときには「自分は今なんの不満があるのか?」と考える。

 

 信頼する人間関係があるか
「私がこうだったらなー」といつも思っている人の第二の弱点は何か?

 たとえば、自分は経営が不安定な会社のなかでも、さらに非主流。

 高校時代の友人は安定した大企業勤務で、さらに社内の主流で超エリートコース。

 そんなときに、「悔しい、あいつのようになりたい」と思ったら、その人にはもう一つ弱点がある。

 もしその人が家族を始め周囲の人に信頼されていれば、今の立場でも満足するはず。つまり「悔しい、あいつのようになりたい」と思う人には、信頼する人間関係がない。不信の人間関係をつくってしまったことの根底にあるのもまた「ありのままの自分」に対する錯覚である。

 周囲の人と信頼関係があれば、劣等感から「リンカーン」になる必要はない。

 先にイソップ物語の「あのブドウは酸っぱい」と言ったキツネの話を書いた。そこで書いたことの他に、このキツネの物語にはもう一つ大切なことがある。それはキツネの周りには信頼関係がないということである。

 ありのままの自分に価値があると感じている人の周りには、質の良い人が集まる。

 イソップ物語のキツネには「やってごらん」と言う仲間がいなかった。もしそう言ってくれる仲間がいたら、「あのブドウは酸っぱい」とは言わないで、まずブドウを取ってみようと挑戦する。自分にウソをつかないで挑戦する。

 木によじ登ろうとしていれば、そこで初めて自分はキツネなのだとわかる。「自分はキツネだ」とわかると同時にありのままの自分に自信がつく。「あのブドウは酸っぱい」とウソを言って、そこを立ち去るから、ブドウに未練が残る。

 自分を受けいれられない人は親しい仲間がいない。自分の運命を受けいれられない人は、仲間が悪い。心の底では孤独である。どんなに友達がたくさんいるふりをしても孤独な人は、周囲が敵。そして自分の心の底には(にく)しみがある。

 孤独と一人でいることとは違う。一人でいる人は必ずしも周囲の人が敵ではない。自分に憎しみを持っているわけではない。

 自分を受けいれられない人は、残念ながら周りにいる人の質が悪い。その人たちはお金持ちかもしれない、有名かもしれない、権力を持っているかもしれない。しかし、人間としての質は悪い。

 

 私はそういう人間ではありません
「私がこうだったらなー」といつも思っている人の第三の弱点は、幼い頃から一つ一つの段階を確認しないで、今まで生きてきたことである。

 どこかの段階で、ありのままの自分には価値がないと錯覚をした。それが間違った思いこみであることを誰も教えてくれなかった。そういう質の良い人に出会わなかった。

 そしてその段階で心理的な成長を止めてしまった。それだけではない。どんどんと間違った方向へ進んでいってしまった。そのために幸せになれるのに不幸な人生になってしまった。その左と右への分岐点を探すこと。いったいどこで、人間は道を間違えるのか?「自分はどこで間違えたか?」に気がついていなければ、どんどん道を間違えていく。悩んでいる人は「こういう考え方もあるよ」というアドヴァイスを誰からも教えてもらっていない。

 不美人と汚い顔とは違う。美人でも汚い顔があるし、不美人でも綺麗(きれい)な顔がある。着飾ってオシャレしても意味がない。どんなにハンサムでも、ずるい人の顔はいい顔ではない。

 人間のパーソナリティーは段階を追って成長する。しかし、それぞれの段階での課題を解決しないままに生きてきたから悩み、錯覚する。

 悩んでいる人は、「何が不足して今日に至ったか?」ということを考える。「リンカーンになること」は、その人にとっては、長年に渡って積もりに積もった不平不満を克服する手段なのである。それは心の底に根雪のようになっている憎しみを解消する手段なのである。

 ありのままの自分には価値がないと錯覚したノイローゼの人にはエネルギーがないから、段階を踏んで一つ一つ解決しようとしない。自分の不平不満を一挙に解消したい。その手段が「リンカーンになること」である。
「リンカーンになりたい」と言っている人は、憎しみの旗を立てて生きている。その旗は周囲の健康な人には見えるが、本人は気がついていない。「リンカーンになりたい」というのは、「この不平不満や憎しみを、心の中から取り去ってくれ」ということである。

 それなら毎日朝早く起きて頑張ればいい。しかしそれはしない。「リンカーンだったらなー」という人は、現実に生きていない。

 カレン・ホルナイは、神経症者は「それにふさわしい努力をしないで、それを求める」という。それは「現実に生きていない」ということである。

 リンカーンになるにふさわしい努力をしないで、リンカーンになりたい。つまり現実に生きていない。「リンカーンだったらなー」というのは心理的には幼児。幼児が「哺乳瓶(ほにゆうびん)が欲しい」というのと同じことである。三十五歳にとっての哺乳瓶が「リンカーン」だ。

 これからでも遅くはない。自分がわかれば自分を再構成することはできる。人間は段階を追って心理的に成長する。親に与えられた心を「いかにして自分の心にするか?」。それが生きること。だから上に伸びることは考えない。根を張ることを考える。

 アメリカの心理学者シーベリーはアメリカ中を歩いて、悩んでいる人の話を聞いた。そして悩んでいる人には共通性があったという。それは次の一言が言えないということであった。
「私はそういう人間ではありません」

 サルが泳ぐことを期待されたら、「私はサルです。魚ではありません」と言えばいい。そう言える人は悩んでいない。

 泳げる魚は、木に登れるサルよりも価値があると錯覚しているから、「私はそういう人間ではありません」と言えないのである。

 魚は水に気がつかない。同じように人は「ありのままの自分」に価値があるということに気がつかない。

 シーベリーは白鳥とナイチンゲールを例に挙げて書いている。良い声で鳴くことを期待された白鳥が、「私は白鳥で、ナイチンゲールではありません」と言えばよい。そう言えれば、悩んでいる人にはならない。

 

 自分を受けいれれば運命はひらける

 先に「根を張る」と書いたが、「根を張る」とは周りにいる質の悪い人の期待に応えないということである。最も望ましいのは質の良い友達がいること、次によいのは一人でいること、最悪は質の悪い友達がいること。

 シーベリーの言葉を『自分のうけいれ方』というこの本のタイトルで言い換えれば、「悩んでいる人の共通性は自分を受けいれていない」ということである。

 とにかく自分で自分を受けいれればいい。

 人はそれぞれの運命を背負って生まれくる。そして自分を受けいれれば運命は開ける。ありのままの自分に価値があると気がつけば、運命は光になる。自分を受けいれれば運命を呪わない。

 質の良い人は、悩んでいるあなたを見て、ありのままのあなたは価値があるのにと思っている。質の悪い人は逆にありのままのあなたには価値がないと言った。そしてあなたは質の悪い人の言うことを信じた。その結果、自己蔑視して、ひねくれて意地悪な、本当に価値がない人間になってしまいつつある。

 質の悪い人は、ありのままのあなたに価値がないと言って、あなたを(いじ)めることで、傷ついた自分の心を(いや)していただけのことである。つまり、あなたを利用した。

 悩んでいる人は、「ありのままの自分には価値がある」と励ましてくれる人に出会わなかったというだけである。自分を受けいれられないで悩んでいる人は、ありのままの自分に価値がない、とだまされているようなものである。

 人は耐震強度偽造の事件を大問題と思う。だまされた人はだます人を憎んでも憎みきれないだろう。問題のある土地をだまされて買って大損をした人、ボロ株をだまされて買って大損をした人、なかにはそうして一生を棒に振った人たちもたくさんいるだろう。男にだまされて自殺した女、女にだまされて殺人を犯した男、そうした男女は振り込め詐欺にあったどころではない。

 しかしこの世の、どんな詐欺事件よりも(けた)違いの、とてつもなくすごいことがある。

 それはあなたに、ありのままの自分には価値があるのに、価値がないと思わせた人たちである。そしてありのままの自分には価値がない、と思いこんだままで生きてきたことである。これに比べれば結婚詐欺などは「小さい、小さい」ことである。

 世の中には、真実ではないことを真実と思わせる詐欺師があふれている。自分を受けいれられないで悩んでいる人は、間違ったことを真実と思いこんだのである。

 幼い頃から、周囲の質の悪い人にとって都合良い存在であることが価値だと思いこまされた。こつこつと真面目に一生懸命働いて、やっともらった退職金をすっかりだまし取られたどころの話ではない。あなたは異性に裏切られたり、仕事でだまされたことに気を奪われている。しかし、自分を受けいれられないで悩んでいる人が本気で解決しなければならないのは、仕事の失敗ではない。自分についての間違った評価である。

 アメリカの心理学者で、「人生に行き詰まったときには、逆が正しい」と言った人がいるが、悩んでいる人は、ありのままの自分には価値がないと思っていたから、人生が行き詰まったのである。真実は「ありのままの自分には価値がある」だ。

 この本を読んでそれを理解してもらいたい。

 

 二〇〇七年三月
加藤諦三 
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