読みたいトコだけ買える本。
犬耳書店
初めての方へ 記事一覧 無料登録 ログイン
0
-2
kiji
0
0
1194604
0
ジョン・レノンは、なぜ神を信じなかったのか ロックとキリスト教
2
0
0
0
0
0
0
趣味
お気に入りとは?

お気に入りボタンを押すとお気に入りリストにこのページが追加されます。興味のあるページ・気になったページを後から確認するのに便利です。

お気に入り お気に入り
第三章 ボブ・ディランは、なぜキリスト教に改宗したのか

『ジョン・レノンは、なぜ神を信じなかったのか ロックとキリスト教』
[著]島田裕巳 [発行]イースト・プレス


読了目安時間:57分
この記事が役に立った
0
| |
文字サイズ

変化するディラン


 ボブ・ディランは現役の歌手であり、最近日本でもコンサートを行っている。今世紀にかぎっても、二〇〇一年、一〇年、一四年、一六年とコンスタントに日本公演を行い、多くの観客を集めている。


 二〇一六年五月二〇日には、二四日の七五回目の誕生日に合わせて、三七枚目のスタジオ録音、『フォールン・エンジェルズ《Fallen Angels》』がリリースされた。その前作は、フランク・シナトラのヒット曲をカバーした『シャドウズ・イン・ザ・ナイト《Shadows in the Night》』で、『フォールン・エンジェルズ』も、往年のアメリカの名曲をカバーしたものであった。『フォールン・エンジェルズ』というタイトルは、この本の観点からすれば、意味深長なものだが、同名の曲がおさめられているわけではない。


 二〇〇八年には、その詩の力と叙情的な曲によって、アメリカのポピュラー音楽のみならず、文化に対しても大きな影響を与えたとして、ピュリツァー賞の特別賞を授与されている。また、一二年には、アメリカの民間人への勲位としては最高の「大統領自由勲章」も受賞している。高い評価はアメリカ国内だけのことではなく、一三年にはフランスのレジオン・ドヌール勲章も受勲し、二〇一六年には歌手としては異例だが、ノーベル文学賞まで受賞している。これは、彼が詩人として高く評価されたことを意味する。


 ボブ・ディランのアルバムは、これまで全世界で一億二五〇〇万枚以上が売れているという。第一章と第二章でとりあげたエルヴィス・プレスリーや、第四章でとりあげるビートルズにははるかに及ばないものの、相当な売り上げを記録していることは間違いない。


 ボブ・ディランのファンは世界中にいる。そうした人たちは、新しいアルバムがリリースされるたびに、それを求めて聴き、そこにこれからの音楽がどのように変化していくのか、その予兆を見出そうとしてきた。


 しかし、そうした熱心なファンではない一般の人間たちにとって、ボブ・ディランという名前を聞いて、最初に思い浮かべるのは、フォーク歌手のイメージである。ヒット曲としても、「風に吹かれて〈Blowin'in the Wind〉」や「時代は変る〈The Times They Are A-Changin'〉」といった初期の作品がもっぱら記憶されていることであろう。「戦争の親玉〈Masters of War〉」なども、そうした時代の作品で、いまでも戦争反対の集会などで歌われる。ボブ・ディランの一般的なイメージは、何より反体制のフォーク歌手というものである。


 したがって、フォーク歌手という枠から外れるような活動を展開するようになってからの曲については、一般の人間は必ずしも認識してはいない。曲名をあげることができる人自体が少数にとどまるのではないか。


 それを反映しているのは、彼の曲が日本のヒットチャートに入ったのが、二〇一六年がはじめてだったということである。それは、同年三月二三日にリリースされたシングル「メランコリー・ムード〈Melancholy Mood〉」で、四月四日付オリコン週間シングル・ランキングでは、初登場二三位だった。「風に吹かれて」などは、さまざまな場面で歌われてきたわけだが、売り上げという面では、日本ではヒット作にならなかったのだ。


 ボブ・ディラン自身は、「時代は変る」と歌ったように、その歌手としてのキャリアを重ねるなかで変貌を続けてきた。「風に吹かれて」がさまざまな場面で歌われていた時代に、後年、ディランがシナトラのカバー・アルバムをリリースするようになると予想した人間はいないはずだ。


 ディランがデビューしたのは、一九六二年三月のことで、このとき『ボブ・ディラン』と題された最初のアルバムをリリースした。録音は、その前年の一一月二〇日と二二日に行われた。「ウディに捧げる歌〈Song to Woody〉」と「ニューヨークを語る〈Talk'in New York〉」がディランの自作であるほかは、トラディショナルなフォーク・ソングやブルースが歌われていた。


 ディランは、自らギターを弾き、同時にハーモニカも吹いていた。ほかに伴奏者はいない。ハーモニカの演奏技術は卓越したものを感じさせるが、フォーク・ソングということばの響きから連想される明るさはなく、むしろ生きることのむずかしさ、苦しさを歌ったブルースの色彩の濃い選曲となっている。


 そのせいか、このアルバムは、発売された年にはたいして売れなかった。その数は、二五〇〇枚とするものもあれば、四二〇〇枚、あるいは五〇〇〇枚とするものもある。このアルバムが売れるようになったのは、ディランが有名になってからである。


 ディランの存在が注目されるようになるのは翌一九六三年のからことである。


プロテスト・シンガーとしてのディラン


 ディランの名が広く知られるようになるのは、最初、歌手としてではなく、作詞・作曲家としてであった。一九六一年にデビューし、六二年に最初のアルバム『ピーター・ポール&マリー』をリリースして大ヒットさせたフォーク・グループのピーター・ポール&マリー(PPM)が、六三年六月にディランの「風に吹かれて」をシングルでリリースし、大ヒットさせた。PPMというグループ名が初期キリスト教の重要人物、ペテロ、パウロ、マリアに由来することについては、すでに「はじめに」でふれた。


 PPMが歌った「風に吹かれて」は、全米ポップ・チャートで二位までのぼりつめ、売り上げは一〇〇万枚を超えた。これに乗じて、ディラン自身が歌う「風に吹かれて」もシングル・リリースされたが、こちらは売れなかった。PPMの「風に吹かれて」が美しいコーラスを聴かせる心地よい歌い方であるのに対して、ディランの「風に吹かれて」は、荒野でたったひとり寂しげに歌っているかのような印象があり、先にPPMでこの曲を聴いた人間には魅力がなかったのだろう。


 それでも、一九六三年五月にリリースされたディランの二枚目のアルバム『フリーホイーリン・ボブ・ディラン《The Freewheelin'Bob Dylan》』は徐々に売れるようになり、アルバムのヒットチャートでも二二位にランクされた。このアルバムからは、バック・バンドが参加するようになり、サウンドも洗練されたものになった。それも、このアルバムが売れたひとつの要因である。


 そこで重要なのは、ディランがこの時期、政治的な集会に積極的に参加し、そこで運動の趣旨に合致するような曲を歌っていたことである。


 そのはじめは、その年の六月にミシシッピ州グリーンウッドで開かれた学生全米調整非暴力委員会(Student Nonviolent Coordinating Committee)主催の選挙人登録集会に参加したときのことだった。この委員会は一九六〇年に結成された黒人学生を中心とした反戦・反差別の組織であった。アメリカでは、六〇年代に入ると、黒人に対する差別の撤廃を訴える「公民権運動」が盛り上がりを見せていた。


 ディランは、この集会で、「しがない歩兵〈Only a Pawn in Their Game〉」という自作の曲を歌った。これは、公民権運動の中心的な組織である全国黒人地位向上協会(NAACP)のミシシッピ州の幹部だったメドガー・エヴァーズが六月一二日に何者かによって射殺されたことを直接テーマとしたもので、エヴァーズの名前にも言及されている。その点で、この曲が集会で歌うことを目的につくられたことは明らかである。これは、歌である前に、抗議文の性格を持っていた。


 八月二八日には、ワシントンD.C.で行われた人種差別撤廃を求める大規模なデモ、「ワシントン大行進」にも参加し、そこでディランは、「風に吹かれて」や、この「しがない歩兵」を歌った。この日、ワシントン記念塔広場に集まった人間の数はおよそ二〇万人に達した。公民権運動のリーダー的な存在だったマーティン・ルーサー・キング牧師による「私には夢がある」の有名な演説が行われたのは、このときである。


 その翌年、一九六四年二月一〇日には、ディランの三枚目のアルバム『時代は変る《The Times They Are A-Changin'》』がリリースされた。これは、ビルボードのアルバムチャートで最高二〇位にランクされた。イギリスでは五月に発売されているが、四位を記録している。じつは、その前作の『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』は、イギリスでは一位を記録している。ディランは、六二年一二月から六三年一月にかけてイギリスを訪れ、一月一三日にBBCで放送された「マッドハウス・オン・キャッスル・ストリート(Madhouse on Castle Street)」というドラマに出演し、「風に吹かれて」をはじめ四曲を歌っていた。


 このドラマは三五ミリフィルムで記録されていたが、残念ながら一九六八年に消去されてしまい、現在は残っていない。これは、この世に別れを告げた男が自分の部屋に閉じこもるというかなり不思議な物語だった。日本でも、テレビの草創期には前衛的な作品がつくられたが、これもそうしたもののひとつだった。


 興味深いのは、イギリスの有力紙『ザ・タイムズ』に掲載されたテレビ評で、そこでは、この作品のことが、“strange free-wheeling piece”であるとされていた。「奇抜で自由奔放な作品」という意味である。アルバムの『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』はその後にリリースされ、イギリスで一位を獲得した。タイトルの選択には、『ザ・タイムズ』のドラマ評が意識されていたに違いない。またそれが、アメリカよりイギリスで、ディランのアルバムがチャート順位の上位を占めたことに影響したのかもしれない。

『時代は変る』のアルバムは、当時形づくられるようになったディランの社会的なイメージを反映したものとなった。録音は、一九六三年八月から一〇月まで、ニューヨークのコロムビア・レコーディング・スタジオで六回にわたって行われ、一九曲が録音された。アルバムにおさめられたのはそのうちの一〇曲で、B面一曲目に「しがない歩兵」がおさめられたほか、人種差別や戦争に反対したものが多かった。


 B面四曲目の「ハッティ・キャロルの寂しい死〈The Lonesome Death of Hattie Carroll〉」も、実際に起こった事件をテーマとしたものだった。

この記事は役に立ちましたか?

役に立った
0
残り:23892文字/本文:28197文字
この記事を買った人はこれも買っています
      この記事を収録している本
      この本で最も売れている記事
      レビューを書くレビューを書く

      レビューを書いてポイントゲット!【詳細はこちら】

      この本の目次