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産業知識人の時代 成熟社会の構図を探る
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経済・金融
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第三章 産業社会と文化の読み方

『産業知識人の時代 成熟社会の構図を探る』
[著]井尻千男 [発行]PHP研究所


読了目安時間:46分
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産業社会の自己表現



人間行為の縦軸と横軸


 あらゆる種類の人間行為には必ず縦軸と横軸がある。縦軸は質ないし価値論にかかわる要素、横軸は量ないしは空間的に把握できる要素。こういう考え方があることはだれもが知っている。しかし、多くの人々が、この考え方をさまざまな分野に応用してきたかというと、必ずしもそうではない。ことに戦後社会は、縦軸について語ることを避けるか(おつ)(くう)がってきたように見うけられるし、ある種の人々は用心深く縦軸にかかわることを排除してきたようにも思える。


 それはそれなりの理由があってのことだが、いずれにせよ戦後社会は、横軸ばかりを重視して、縦軸をないがしろにしてきた時代と言ってよいだろう。時代によって縦軸が伸びる社会もあれば、横軸が伸びる社会もある。私はよく、縦軸の座標軸をとって、歴史上のさまざまな時代相を思い描く。


 たとえば白鳳天平時代は、大化の改新、律令国家の確立、仏教の隆盛など縦軸の高かった社会、鎌倉時代も武家社会の成立に伴う緊張感と道元、親鸞、日蓮などの宗教家の出現が象徴するように、これまた縦軸の高い社会だったと言ってよいだろう。


 ついで縦軸の高かった時代は、初めてキリスト教とヨーロッパ文明に出会った安土桃山時代から、幕藩体制の確立と諸学が興隆した江戸時代初期であろう。そして明治維新から終戦までは、欧米列強に伍して初めて日本が世界戦略に乗り出した高揚期であった。その世界戦略がいかに拙なかったにせよ、国家の命運を賭して一億人が極度の緊張感を懐いたことは記憶に新しい。そして、日本人の想い描いた「近代」という名の錦の御旗が、実は本家の「近代」よりもはるかに純粋化され単純化され、ときに(わい)(しよう)化されたものであったかということも、現在ようやく見えるようになってきた。


 このような縦軸の高かった時代に対して、横軸の広かった時代はどうだろうか。平安時代は貴族社会の爛熟、仏教思想の日本化など、いわば内に向って成熟を遂げた時代であり、ついで室町時代は、禅僧の五山文学、能・狂言の完成、茶道・花道の興隆など諸学諸芸が成熟した。そしてもう一つの江戸時代後半は、俳諧・川柳の普及、滑稽本や人情本の出版などが盛んになり、わが国独自の大衆社会が形成され、教育や商工業が著しく裾野を広げて近代を用意した。


 きわめて単純化した図式であるが、縦軸の伸びた時代と、横軸が伸びた時代は交互になっている。それは新しい価値を激しく求めた時代と、内的な成熟を遂げた時代と言ってもよいだろう。そして多くの場合、前者は外来思想との出会いというカルチャー・ショックが契機になっており、開明的な時代、後者はそれを日本化し成熟させる時代で、内向の季節だったと言い換えてもよいだろう。


縦軸喪失の時代


 さて、戦後社会はどうなのか。民主主義と物質的豊かさなどは、いずれも横軸の世界に属する事柄である。戦後社会の縦軸は何だったのか。なかなか見つけにくい。ある人々は革命幻想を縦軸にすえたかもしれない。しかしおおかたの人間は横軸の拡大そのものに価値を見ようとした。あるいは維新から終戦までの縦軸を破壊することに価値を見出してきた人々もいただろう。


 いずれにせよ、座標軸上に戦後社会を想い描くとしたら、きわめて偏平、平板な形しか描けないだろう。極言すれば縦軸喪失の季節だったとも言える。そう断定してみると、同時代人として名状しがたい不満がわいてくるはずだ。なぜなら社会の全体像が平板な時代にあっても、人間はやはり縦軸を求めて生きているからである。


 人間はパンのみに生きるにあらず、と同じように人間は横軸だけで生きているわけではない。しかし、横軸に過大な期待と幻想をいだくことはある。戦後民主主義が「仲間」とか「連帯」という言葉に実質以上の意味を託したように。しかしまた、人間は縦軸だけでは生きていけないことも明らかだ。


 縦軸と横軸の関係は、マクロの時代相から一人の個人についてもいえることである。「あの男は志の高い人間だ」というほめ言葉がある。「あの男は有能だが、ちょっと品がなくてね」という批判の言葉がある。こういう人間評価の尺度は政治家や文化人に限ったものではなく、経済人についても同じことがいえるのではないか。経済学は人間評価の価値論を排除したかもしれないが、現実の社会では生きている。


 政治家や文化人と称される人間は「志」を語りやすいが、経済人は「志」を語りにくいという事情はある。語りにくいが故に「志」を「規模」の大小にすり替えてきた節もある。勢い資本金や年商の多寡が評価の基準になり、あたかも大きいほうが志が高く、小さいほうが志が低いかのごとくになる。評価の尺度が、規模にしかないとすれば、自己実現の道はすこしでも大きくなることである。価値が多元化した時代といわれながら、経済人の評価の尺度だけが一元的だとすれば、これは不幸なことと言わなければならない。


 たとえば小説家はどうだろうか。一冊でも多く書き、一冊でも多く売れる作家が立派なのであろうか。もしそうだとすれば、ベストセラーを一冊でも多く書いた小説家が文化勲章をもらうべきである。しかし、現実はそうなっていないし、そうなったらおかしいことを人々はちゃんと承知している。


 小説を例にとったついでにいうと、戦後、恋愛小説が不作でポルノ小説が盛んになった理由も、考えてみると面白いことである。恋愛小説を成立させるためには、男と女の間になんらかの縦軸を設定しなければならない。ところが戦後社会は、かつて男女間にあったさまざまなタブーは崩したが、新しいイデーを宿すことができなかった。こういう状況の中では昇華されたエロチシズムは不可能に近い。男女関係が縦軸を失い横軸しかないとなれば、勢いポルノ風にならざるを得ないのである。「縦軸喪失の時代のポルノ小説」という図式は、きわめて象徴的なことであり、そのアナロジーはさまざまな分野に見つけることができるだろう。


エコノミック・アニマル説の背景


 日本人が国際社会で、エコノミック・アニマルといわれるようになったのは、一九六〇年代後半からだった。一説によると、パキスタンのブッド外相(当時)がAA議会の席上で言ったのが最初だという。


 しかし、その兆候はもっと以前にあった。一九六二年、池田首相が訪欧したとき、ドゴール大統領が池田首相と会談した印象を「トランジスタ・ラジオのセールスマンのようだった」と語ったあたりから始まる。そしてこの問題が不幸な事件となったのは、田中首相が東南アジア諸国を歴訪した際に起こったタイ、インドネシアにおける反日騒動であった。それから石油ショック、世界経済の停滞、日本の国際収支の大幅黒字、日貨排斥的な潮流と続くわけだが、ここにも依然として「日本人エコノミック・アニマル」説が底流している。


 ほんとうに日本人はエコノミック・アニマルだったのか。それとも、それは、はなはだしい誤解だったのか。あるいは一時的な経済外交の失策にすぎなかったのか。その辺の事情を振り返ってみることは、今後とも重要な問題であろう。もしそれが誤解であったならば、いったん誤解した相手を説得することははなはだ困難な事業である。しかし、黙殺したり、避けて通ったりするわけにはいかない。


 元文化庁長官の今日出海氏が印象深いことを語っていた。それは「モナリザ」来日のお礼に「鑑真坐像」をパリに持っていったときのことを語ったインタビュー記事(昭和五十二年六月二十日「読売新聞」夕刊)である。「展示会場づくりのパリの職人は、鑑真さんの像の前を横切るたびに連中がシャッポを脱ぐんだな。これには驚きました」と言い、続いて日本とECや米国との間に起こっている経済的摩擦について思いを致し、「日本の車が売れすぎるって、文句をつけられる。なぜか。悪い品物を売ったんなら、謝らなくちゃならんが、そうじゃないでしょう。いいから買ってくれるのに」。なぜか。「何となく、売り方が気に入らないんだよ、キミ。売り方ってのは、文化だからね。ゆとりのない、怒りを買うような売り方じゃないのか」。


 他の要因もいろいろあろう。ただここで今氏が言いたかったことは、「文化」と「経済」が(かい)()してしまった不幸についてだった。

「経済」と「文化」を(せつ)(ぜん)と切り離すということは、経済行為の中にある「縦軸」を奪うことである。

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