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スポーツの世界は学歴社会
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第5章 高校・大学におけるスポーツ優遇策の功罪

『スポーツの世界は学歴社会』
[著]橘木俊詔 [著] 齋藤隆志 [発行]PHP研究所


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 早稲田大学のスポーツ優遇策を検証する

早稲田の重点スポーツは野球、ラグビー、マラソン


 早稲田大学の関係者によると、早稲田で重点を置くスポーツは、野球、ラグビー、マラソン(正確には駅伝)の3つだという。

 本書で示したように、早稲田大学は大学サッカーの王者であるにもかかわらず、3大重点スポーツにサッカーが入っていないのは不思議である。想像するに、いまサッカーはプロリーグが中心になっているため、プロチームのユース、あるいは多くのプロ選手を生む高校サッカーに注目が集中している。大学に有力な選手が進学しなくなったため、大学サッカーの水準が低くなったことと関係するのだろう。

 とはいえ、大学サッカー部の出身でもプロチームの有力選手になっている人は、少なからず存在する。たとえば、明治大学出身で屈強ディフェンダーとして有名な長友佑都(インテル)、福岡大学出身でドリブルに優れた永井謙佑(名古屋グランパス)、流通経済大学出身で冷静なプレーが持ち味の山村和也(鹿島アントラーズ)などがいる。

 つまり、大学サッカー部の出身者がすべて一流ではないと決めつけることはできないが、大学サッカーがひと昔前ほどの注目を浴びていないことは確かである。そのため、早稲田でも重点スポーツから外れたのだろう。

 ラグビーはサッカーほどの人気はないが、いまでも早稲田では重要なスポーツとして認識されている。その理由としては、野球やサッカーはプロチームが全盛であるのに対して、ラグビーの場合はトップリーグという社会人ラグビーがあることが考えられる。企業お抱えのリーグであるとはいえ、純粋のプロリーグではない。

 つまり、ラグビーにはアマチュアスポーツというイメージが残っており、そのため自然と大学ラグビーに人びとの関心と支持が集まり、早稲田のラグビーを大切にしようという雰囲気が残っているのである。また、ラグビーは体と体のぶつかり合いという肉弾戦であることが、競技を見る人の興奮を呼び、根強い人気を維持している。

 とくに早稲田大学では、野球ほどではないものの、ラグビーの早慶戦も学生や卒業生の関心が高い。また、一時期、重戦車フォワードの明治と軽快に走る俊足バックスの早稲田との対比から、明治大学との試合は早明戦として大きな人気を博した。このように、早稲田ラグビーはつねに大学ラグビー界の中心に位置してきたのである。

 ついでながら、西の名門私学である同志社大学の重点スポーツは、野球とラグビーである。同志社のラグビー部は、慶應義塾大学、旧制三高(現・京都大学)に次いで、日本で3番目に創部され、伝統を誇るとともに、関西では強豪チームとして有名である。

 とくに、全国大学ラグビーフットボール選手権大会では、1982〜84年、平尾誠二や大八木淳史といったスター選手の活躍により史上初の3連覇を達成している(2011年、帝京大学が3連覇を達成し、この記録に並んだ)。ちなみに、2011年までの優勝校を見ると、早稲田大学が15回、明治大学が12回を数える。早明戦がいかに強豪どうしのラグビーマッチであるかを物語っている。

 早稲田大学における野球の重要性は、だれもが知るところである。とくに、東京六大学野球リーグと早慶戦の人気は一時期、低迷したものの、現在はかなりの人気を誇っており、学生スポーツの(はな)として君臨しているといっても過言ではない。すでに述べたように、早稲田大学でスターとして活躍した選手がプロ野球でも活躍した例は多く、早稲田大学はプロへの登龍門という一面もある。

 私(橘木)が好きな早稲田出身の名選手といえば、華麗な守備で活躍した広岡達朗(巨人)、早慶戦6連戦(1960年の秋季リーグ)で5試合を投げ抜くという離れ業を演じた安藤元博(東映に入団後はさほど活躍しなかった)、史上屈指の左打者でベストナインに何度も輝いた谷沢健一(中日)、東京六大学野球リーグで最多打点(81打点)と最高打率(3割7分9厘)を誇る岡田彰布(阪神)、同リーグで三振奪取記録476を達成した和田毅(左の好投手。ソフトバンク→メジャーリーグへ移籍)など、枚挙に(いとま)がない。

 さて、3つ目のマラソンが、なぜ重要なスポーツなのか、やや不思議な感があるが、よく考えてみると、日本じゅうに大学の名前をアピールするのに役立つからである。第1章で強調したように、毎年、1月2日と3日に行われる箱根駅伝は、テレビで全国放送され、大学名が連呼される。無料で大学の宣伝ができるのだ。だから、各大学はこぞって優秀な選手を集め、上位をねらおうとする。

なぜ早稲田大学では一流選手が育つのか


 早稲田大学がスポーツで有望な選手を意図的に入学させて、さまざまなスポーツ種目において第一級の選手を育てあげ、プロ、アマを問わず大活躍する選手を輩出したり、あるいは抱えていたりすることはよく知られている。

 オリンピック競技における代表的な種目と人物をあげれば、女子フィギュアスケートのトリノ・オリンピック金メダリスト、荒川静香が思い浮かぶ。系列校の早稲田実業学校から早稲田大学に進んだ斎藤佑樹は甲子園のヒーローとして、また東京六大学野球リーグでも活躍した。さらに、女子卓球の人気者である福原愛も一時期、在籍していたが、最終的には中退している。

 なぜ、早稲田大学はスポーツに優れた学生を入学させているのか、そして、なぜ、在学中に一流選手に育てあげることに成功しているのか、さまざまな角度から検証してみよう。

 まず、入学に関しては、スポーツは体力勝負なので、最上級の身体的素質をもっていることと、かなりの競技経験があることが期待されるのは自然なことである。

 戦前から早稲田はスポーツに強かったが、あからさまにスポーツに強い学生を優先的に入学させるようなことはなかった。その理由の1つとして、戦前の早稲田、慶應義塾の両大学は、現在ほどの超難関校ではなかったからだ。当時の優秀な中学生の多くは旧制高校をめざしていた。すでに述べたように、早稲田大学から巨人に入団した三原脩が旧制四高をめざしていたことを思い起こしてほしい。

 戦後、早稲田と慶應義塾の両大学は名門度を上げ、入学試験の難易度がかなり上昇した。しかし、救いの手はあった。それは、勤労学生に就学の機会を与えるために設けられた夜間部(あるいは2部)の存在であった。

 夜間部は、国立、私立を問わず存在し、貧しい家庭に育ったが向学心の強い学生には福音となる制度であった。ちなみに、早稲田大学の場合、各学部に2部があったが、お坊っちゃん大学のイメージが濃い慶應義塾は夜間部を設けなかった。

 幸か不幸か、昼間部よりも夜間部のほうが試験問題が多少やさしいので、スポーツをめざす高校生の多くが夜間部に入学した。ついでながら、戦後最大の映画女優、吉永小百合も早稲田大学第2文学部を卒業している。

 もう1つ、スポーツ選手が夜間部を志望する理由は、昼間はスポーツの練習をし、夜間に講義に出席することでスポーツと学業の時間配分をうまくできるという事情がある。先に、同志社大学ラグビー部の黄金時代について述べたが、その当時の有力選手には2部で学ぶ学生が多かった。

 昼間の猛練習に疲れ果て、「教室では寝ていることが多かった」と同大学の教授から聞いたこともあるが、当時は昼間の学生も多くが講義をサボっていたので、スポーツ選手だけを責めるのは不公平だといえるだろう。
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