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中村天風・安岡正篤に学ぶ成功の法則
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生き方・教養
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本当の幸福とは

『中村天風・安岡正篤に学ぶ成功の法則』
[著]下村澄 [発行]PHP研究所


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 ◆人生を楽しませてくれてありがとう


「人生を楽しませていただいてありがとう」


 これは、ホンダの創業者、本田宗一郎さんの最期の言葉であるが、なんという含蓄のある言葉であろうか。


 人生はたった一度限りである。その一度限りの人生を誰もが幸福でありたいと願うわけだが、彼の辞世から“いまを存分に生き、果敢に運命に挑戦し続けた男の満足感”を感じるのは、私一人だけではあるまい。


 多くの人々は「幸福な人生とは何か?」についてどのように考えるか。


 お金、財産、地位、出世、名誉、健康、美貌……。大方の人は、これらの条件がより多くそなわることと考えるに違いない。が、果たしてそうか。かりにそれらを十分に手に入れることができたとしても、その満足感はいつまで続くものか。


 出世すれば、次の出世を望む。財産を持てば、もっと増やそうという欲がでる。美しい人は、より美しさを求めてやまないのが常だ。


 だから私は考える。


 人は幸福を求める。しかし、手に入れたその幸福は、人をいつまでも幸福にしない。人生はそういうパラドックスをかかえている、と。




 ◆金持ちは、みな幸福か



 しかし、現実には、世の中には「金さえあれば、幸福になれる」と考えている人がほとんどではないかと思われる。


 しかし、「金持ちになれば、幸福になれるか?」という問いに対し、やはり私は「否」であると答えたい。なぜか? 大富豪と呼ばれる人たちを見渡した場合、それほど幸福とはいえないのが実情だからである。


 儲けた人間というのは、“もっと”儲けようと考える。その“もっと”が成就すると、今度は“さらにもっと”をやろうとする。裏を返していうと「いかに減らさないようにするか」をいつも気にしながら生きている姿が見えてくる。つまり、多くの金持ちはそういう心配に常時かられているため、精神的に安住できないでいるのである。


 現に、鉄鋼王として名声を博したアンドリュー・カーネギーは、五〇歳で巨万の富を築いた時、家族にこうもらしたという。

「このまま忙しく働いて、稼いだお金を使う暇もないまま死んでいくとは、なんと寂しいことか……」



 では、本当に幸福であることとはどういうことか。


 天風先生はこういっておられる。

「心の中に、いつも高尚な積極的観念を熱烈に燃やして生きている人。たとえ周囲で見ていて可哀相に、と思えるようなことがあっても、悲惨なことに出会ったとしても、すべてその積極的な心と態度で美化してしまって、幸福にしてしまう。そういう人こそ真の幸福者なのだ。誰がなんといおうが、本人が『有り難い、幸福だ』と思っていたら、不幸はありえない。だから幸福は、心が生み出すきわめて主観的なものなのだ」と。


 天風哲学の真髄は、ここにあるといってよい。




 ◆金は使うためにある



 安岡正篤先生はご自身の金銭については無頓着だったが、私が感服するまでの金銭哲学を持っておられ、このようにおっしゃったことがあった。

「お金というものは蓄えるものではなく、使うためにある」


 この一言に、安岡先生の金銭に対する考え方や態度が凝縮されているといっても過言ではない。要は、

「金はいくら蓄えたからといって、それだけではなんの価値もない。使ってこそ、はじめて価値を発揮する」

「金儲けはあくまで手段であって、金そのものが目的であってはならない」


 ということを説かれたのである。


 まさにその通りである。金を使うなら、その価値をフルに発揮するような使い方をしなければいけない。そして、金の価値をフルに発揮する使い方とは、金を使う人の魅力が増すようなものでなければならないのである。


 その意味で、晩年のカーネギーの生き方、金の使い方は注目に値するものがある。


 カーネギーは六六歳の時、『富の福音』という本を出版し、その中で「私は富を積み重ねる仕事はやめにする」と宣言。かわりに、社会に富を分配する決心をする。まず、自分の会社(世界一の鉄鋼メーカー・USスチールの前身)を売却、家族に必要最低限のお金を与え、残りをすべて慈善団体や図書館、身障者などへの献金にあてたのだ。いまの日本なら、さしずめ新日鉄のような巨大な会社を売ったのである。


 現在、カーネギー・ホール、カーネギー・メロン大学、カーネギー・メロン研究所、カーネギー国際平和財団といった、彼の名前がついた施設が多数存在することが、このことを如実に物語っている。


 そして、そういう献金活動を死ぬまで続けたからこそ、後世「世界でもっとも金を稼ぎ、もっとも金を使った男」という異名をとることができたのだ。


 さて、こうした話をしたのには、もう一つ理由がある。それは、「人間、個人で使える金など、たかが知れている」ということである。


 換言すれば、彼が自分の財産の大半を寄付にまわした背景には、「巨万の富を築いても、本当の幸福は得られなかった」という事実が暗に反映されているのである。



 私は、幸福な人生とは、天風先生がいわれたように、その人が一生の間にどれだけ「幸せだ」という感情を持つことができるかによって決まるものだと思っている。一〇〇パーセントとはいわないまでも、それに近ければ近いほど、その人は幸福になれるのである。




 ◆いま、この瞬間をどう思うか



 こう考えると、順風満帆の時もそうでない時も、その時、「どう感じるか」が重要になってくる。つまり、いま、この瞬間をどう思うかなのである。いまを幸せと感じられれば、人生は「いま」の連続体なのだから一生が幸せなのである。


 一生を楽しく過ごしたという本田宗一郎さんは、晩年、こう語っている。

「私は何か事をなしてしまうと、過去はみんな忘れてしまう。現在から未来へしか考えていない。だから、いつも過去というものは背負っていない」


 なるほど、本田さんの人生を振り返ってみると、過去の思い出の中の幸福感に浸るということはまったくなかった。彼はいつでも「いまという時間」、その瞬間を楽しみ、辛い時や苦しい時には、「明日」という希望に満ちた未来を楽しみにしていた。だからこそ、「人生を楽しませていただいてありがとう」といえたのだ。まさに亡くなる瞬間まで、幸福感に満たされていたのである。実際は会社はなかなか採算ベースに乗らず、彼は相当の苦節を経ているのだが。それなのに、いついかなる時も、明るく、楽しく、朗らかに、そして感謝して生きたからこそ、“生涯、幸福であり続けた”といえるのである。


 それは、天風先生の説く、「本当の幸福とは、自分自身の心が感じとる、満ち足りた平安の状態をいう」という境地を、身をもって証明するものであった。



 現代は物質文化が非常に発達している。それにより豪華なもの、快適なもの、魅力的なものがれている。それらはお金があれば誰にも手にいれられる。だから一にも二にもお金が大切で、心の問題をないがしろにして拝物、拝金主義者になってしまった。


 たとえば、身体の具合が悪いとなると高い栄養剤を求める。食事の栄養とカロリーに神経過敏になる。いろんな健康法を試す。これで健康になれると思っている。しかしこういうことをいくらやっても、心が積極的になっていないと本当の効果は得られない、と天風先生はいわれた。なぜなら生命の問題は肉体だけの手当てでは解決しないからだ。肉体が生きていけるのは、生命を生かすエネルギーがあって、それを心が受け取って活用してはじめて生命活動になるからだ。


 この原理をいかに認識するか、そして心の働きをいかに優先させ主体化していくか、ここに幸福のカギがあるのである。

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