『10代の子どもが育つ魔法の言葉』
[著]ドロシー・ロー・ノルト
[著] レイチャル・ハリス
[訳]雨海弘美
[発行]PHP研究所
親として子どもに何を望みますかと親御さんに尋ねると、たいていは「子どもが幸せならそれでいいのです」という答えが返ってきます。
幸せに欠かせない要素はいろいろありますが、人を愛する力もそのひとつです。人生のパートナー、子ども、友だちに惜しみなく与える愛が、お互いの絆を保ち、育むのです。結局のところ、人生においてわたしたちに最高の幸せを与えてくれるのは、大切な人との絆ではないでしょうか。
子どもは、わたしたち親が家庭で示す愛の形から、人を愛することを学びます。口で「愛している」と言ったり、ぼんやりと愛を感じさせるだけでは、愛をじゅうぶんに表現しているとはいえません。子どもにルールを課したり、期待をかけるのも愛情のあらわれでしょう。けれども愛とはなにより、ありのままの相手を大切にすることなのです。
本音を言えば、子どもが夢中になるファッションや音楽や映画に、親はつきあいきれないかもしれません。けれども、わが子にとってそれがいちばんの関心事ならば、最新のファッションや音楽にも関心をもちましょう。子どもが好きなものすべてを気に入る必要はありません。でも趣味を無視したり、バカにしたり、けなしたりするのは、愛ある行動とはいえません。
家族の愛はそこはかとなく感じられるものであると同時に、強い意志をもってたえまなく努力することから生みだされるものでもあります。たとえ真夜中でも、子どもに請われれば起きて悩みを聞く親の姿が、子どもには忘れられない記憶となるのです。
16歳のネイサンに、お母さんは「ジョンのサッカーの試合を見に行ってあげて」と頼みました。ジョンはネイサンの弟です。お母さんは用事でどうしても試合に行けません。ですから、かわりに家族の誰かに見に行ってほしいと思ったのです。
「いやだよ。放課後はケリーと会うことになってるんだ。小学生のサッカーなんて見に行きたくないよ」と、ネイサンは断りました。
「それはわかってるわ。でも、うちはずっとそうしてきたの。あなたのサッカーの試合も、かならず見に行ったでしょう?」
「そりゃそうだけど……」
「ジョンだって観客席から誰かに応援してほしいのよ」
そういうわけで、ネイサンとガールフレンドのケリーは小学校へサッカーの試合を見に行きました。ネイサンはおもしろくありませんでした。けれども試合が白熱してくると、いつのまにか引き込まれていました。弟のジョンがゴール目指してボールを蹴る様子に、思わず歓声をあげました。ジョンがゴールを外しても、ネイサンは応援しつづけました。
やがてジョンがサイドラインから声のほうを振り返り、ネイサンを見つけました。そのとき、ネイサンは「応援に来たのはこのためだったんだ」と悟りました。弟のサッカーを観戦してこんな晴れ晴れとした気分になれるとは、思ってもいませんでした。
ネイサンはこの一件から大事なことを学びました。まず、お母さんは正しかったのだと認めざるをえませんでした。お母さんはネイサンの試合をひとつ残らず見に来てくれました。
その陰にお母さんの愛情あふれる努力があったことに、ネイサンはようやく気づいたのです。そのときは当たり前のように思っていたのですが、お母さんが試合に来てくれたのは、「あなたのことを愛しているのよ。あなたは大切な子なのよ」という気持ちのあらわれだったのだ、とネイサンは思いました。お母さんは熱烈なサッカーファンというわけではありません。