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(2021/11/26 追記)

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世紀末の思想 豊かさを求める正当性とは何か
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生き方・教養
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まえがき

『世紀末の思想 豊かさを求める正当性とは何か』
[著]加藤尚武 [発行]PHP研究所


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 ミルの『自由論』は、一八五九年に出されている。この書物はある意味で勝利した民主主義への警告の書物である。人々はこう考えていた。「封建的な君主に対する国民の戦いは終わった。いまや権力は国民の権力である。自由を守るためにこの権力を制限する必要はない」。これに対して、民主主義的な権力に対しても、「多数者の圧制」となる危険があるのだから、自由のための制限が必要であることを訴えたのが、ミルの「自由論」である。


 日本の民主主義理解は、「国民の合意なのだから正当である」ということを、まるで一度も疑ったことがないかのようだ。「国民の合意」こそ「多数者の圧制」にもっともなりやすいものである。民主主義の限界を決して理解しようと努力しないという点に日本のマスコミ型民主主義の特色がある。それは本質的に曖昧な「国民の合意」をマスコミこそが代弁しているというポーズを使うのに都合がいいからだ。


 平和についても似た事情がある。日本人の九九・九%の人が「戦争はいやだ。平和がいい」と言ったなら、平和は正しい理念なのだろうか。平和という理念までもが、日本マスコミ型大衆民主主義にしか根拠をおいていない。私は、戦争が正当である条件を明示しなければ、平和を支持できないというのが、理性というものの本性であると思う。ヨーロッパの伝統的な「戦争倫理学」は、戦争の正当化の条件の追求である。すくなくとも、その内容を紹介する必要があると信じて、「戦争論序説」(第三章の「戦争の正義」とは何か)を書いた。

「生命倫理学」についても、主としてアメリカで発達してきたものの紹介をしながら、筆を進めてきた。新しい技術が社会倫理の問題とぶつかったとき、どのような処理方法を作っていくかのノウハウが、バイオエシックスには読み取れる。物を作る。人体を切ったり、つないだりする。これは物の水準での技術である。その水準から、そのまま技術の社会化につながらないことがある。それが倫理的問題である。日本には物の水準での高い技術があるが、社会化の処理方法は不在である。新しい技術がたとえ日本で独自に開発されても、欧米で社会化された後でないと日本では社会化できないという体質を日本文化がもっている。


 価値観の根本にあるものを掘り下げてみると、東西の哲学から学ぶことがまだまだたくさんあるが、いちばんの根本は「自己充足」という概念にある。私は、キリスト教の倫理が自己充足を否定して、自己否定に置き換えたと思っている。自己否定の分かりやすい例は「勤勉」である。近代化と進歩の時代は、自己否定の時代でもある。本当の自己充足を取り戻すという構えは、思想史的にはキリスト教よりも古く、東西の思想のそれぞれの根にあるものを掘り起こすことになると思う。


 本書の企画は、PHP研究所の大久保龍也氏が立てて下さった。筆者としては、「もっと分かりやすい論文がありますから、差し替えて下さい」というような協力の仕方をした。出来上がったものはきっと筆者自身にとって、すこしまぶしく見えるかもしれない。それは編集者の読者の知的ニーズを捉える手腕のたまものであろう。

著 者

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