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世紀末の思想 豊かさを求める正当性とは何か
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生き方・教養
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第一章 反省する民主主義

『世紀末の思想 豊かさを求める正当性とは何か』
[著]加藤尚武 [発行]PHP研究所


読了目安時間:48分
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民主主義ってなんだっけ




民主主義が衆愚政治におちいるとき


 正しい「民主主義」は「純粋民主主義」だと信じている人が多い。純粋民主主義者は、「いつでも、どこでも多数の当事者の参加に基づく判断が正しい」と考える。たとえばこんなことをする。ある小学校で子供の持ち物が紛失したが、クラス担任の若い女教師はクラス全員の多数決で犯人を決定し、罰を下したというのだ。犯人だという噂のあった子供が、犯人だと決めつけられて、当人が否認しているのに罰が加えられたという。


 私の子供の時にも「学級裁判」があった。いたるところで「民主化」の流行した敗戦直後である。たとえば女の子を虐めた級友にみんなでドッジボールを投げつけるという「刑」を執行した。担任の先生にわれわれは得意になってそのことを報告した。先生は青い顔をして、「そんなことは今後してはいけません」と非常にはっきりと宣告した。「友人を裁くなどということは決して善いことではない」とおっしゃった。われわれは「どうして民主的に裁判をすることが悪いのですか」と食い下がったが、「君たちに人を裁く資格などない」と、とても悲しそうな顔をされた。われわれは先生の言葉に納得できなかったが、先生の表情を見ていると、理解できないままにも、先生の側に真実があるのだという気がしてきた。


 私の担任の先生は、お坊さんでもあった。先生には「民主主義」を笠に着て人を裁こうとするわれわれの卑しい増上慢が悲しかったのだろう。しかし今、心情の問題としてではなく、民主主義のルールの問題として、学級裁判にはどのような間違いが含まれていたのだろう。


 盗みの犯人とか、村に疫病を起こした魔女とか、グループの秘密を敵に売った密告者とかを、多数決で決定すれば、噂、流言、人々の信じやすい「旨い話」が支配力を振るって、多数者のおもわくで「犠牲の羊」が選ばれる。民主主義的決定は「偏見の支配を是認すること」という意味にしかならない。一般に「多数の当事者の意見の尊重」という原理が民主主義なら、民主主義は「偏見の支配」という慢性病から回復できない。ギリシャ以来「民主主義」という言葉が悪い意味にしか使われなかったのはそのためである。「民主政治」という言葉には、いつも「衆愚政治」といううさんくささが付きまとっていた。


 それでは『十二人の怒れる男たち』のような陪審裁判の場合は、どうして「衆愚裁判」にならないのだろう。裁判に国民が参加する英米の陪審裁判では、「事件の当事者や、事件について予断をもっているものは陪審員から排除される」というきびしいルールがある。ある町の事件を審理するのに、その町では事件についての偏った報道が行われたという理由で、別の町に審理が移されることもある。つまり、陪審裁判は学級裁判とはまったく反対の原理で運用され、「偏見の支配」にならない歯止めが二重、三重に施されている。学級裁判には「当事者の参加」という原則があるが、陪審裁判には「当事者の排除」という原則がある。

「当事者の参加」という意味での民主主義が万能で、何時でも何処でも推薦に値し、他のシステムの助けを借りなくても、それだけで善いとは言えない。「当事者の排除」が民主的である場合もある。だから、「民主的に決定」してはいけない場合もある。


 虫歯の治療に行きたがらない子供と「行く」か「行かぬ」かを民主的に決めることはできない。虫歯に関しては子供こそが、第一の当事者であるのに、「当事者の参加」による決定が正しいとは言えない。子供という「当事者の排除」が正しい方針となる。麻薬を取締るときには、麻薬患者という「当事者を排除」して決めなければならない。オートバイ乗用者へのヘルメットの強制、自動車の安全ベルトの使用は「民主的」に決定してよいか、どうか。


 これらは「当事者の排除が当事者の利益になる場合」である。この場合には、当人の意志を無視してもいい。これを「パターナリズム原則」と言う。「パターナリズム」とは、「父親のような保護主義」という意味で、子供思いの親父が口うるさいのが、パターナリズムである。うっかりすれば自由の否定になるところで、「当人のため」というきわどい一線が守られているからという理由で、一方的な強制を是認しようというのが「パターナリズム原則」である。


純粋民主主義者たちの死角

「当事者の排除」という原則が採用されるのは、パターナリズムの場合だけではない。大学で教官と学生が「合格者」を「民主的」に決定することは正しい決定方式だろうか。正しい答案は多数決で決定できない。専門家の判断が素人の判断に優先する場合には、正しい方針・指針は多数決では決められない。医師と患者、士官と兵士、監督と選手、指揮者と楽員などについても同様である。専門家と素人の関係は民主的ではない。高度の知識社会にはたくさんの民主的でない関係があふれ出す。


 また「当事者の決定」が見かけだおしである場合もある。臓器移植が盛んになると「臓器不足」という現象が生まれるが、健康人から、移植のための臓器の提供者を「民主的」に選ぶとする。一人の健康人を犠牲にすれば、一〇人の患者が救われる。白人が九〇%、黒人が一〇%の社会でこの犠牲者を「黒人にするか、白人にするか」を投票で決めれば、黒人が敗けるに決まってる。それは「民主的決定」と言えるだろうか。この決定が下されれば、臓器提供に関する「機会の平等」がなくなってしまう。生存権の平等も保証されない。そうなれば白人と黒人の集まりの中で多数決を採っても「当事者の決定」とは言えなくなる。


 ギリシャの民主主義では、金持ちの財産を没収して、公金とすることが行われた。多数者が少数者を犠牲にすると決めても誰も抵抗できない。「多数の当事者の決定」というルールより以前に、「生存権の平等」のような原則が認められていないと、「多数者のエゴイズム」が暴走してしまう。


 たとえば私が以前在職していた東北大学の文学部で、公費による留学の機会を、どのように配分するかという問題が起こったことがある。文学部に在職する年限の古い順に留学の機会を得るという旧制度があった。これだと東北大学を卒業してすぐに助手になり、そのまま在職を続けたひとが決定的に有利である。留学は東北大学同窓会の利権のようになってしまう。


 この不合理を是正するために「年齢順」という改正案が出た。こんどは留学の機会がまるで退職間際の教官のための海外旅行サービスになってしまう。頭がボケてからでないと留学できないという制度になってしまう。将来性のある若手研究者を研究目的に適した国に派遣できなくなる。私は「特定の個人から受益の権利そのものを奪うような決定は無効である」と主張して、この改正案にも反対し、権利のあるすべての人に機会を保証する制度を提案したが、多数決で否定され、「年齢順」という案が可決された。

「留学の権利」を「生存の権利」に置き換えてみれば、これは黒人だけを臓器の提供者に指定するのと同じ誤りである。しかし「多数決の正しさ」を信じる純粋民主主義者によって、留学の権利は若手研究者から奪われて、研究目的と無関係な観光旅行の費用を高齢者に提供することになった。税金のネコババを大学の教授会が民主的に決定する。


 民主的に決定してはならない場合があることは確かだ。民主主義には限界がある。限界を忘れたら、どんな制度でもファッショになる。前後の見さかいもなく「町内会の民主化」を唱えたり、「民主的に決定したのだから文句をいうな」と開き直ったりする純粋民主主義者には、民主主義の本質も限界も分かっていない。


 民主主義は、独裁の排除、すなわち特定の観念や信念の強制の排除を保証する制度である。民主主義の本質は「独裁の防止」という否定の形にある。今までは少数者の独裁に対して民主主義は戦ってきた。だから多数者の立場に立つこと=民主主義という誤解から抜けだせない。もしも九〇%の白人が一〇%の黒人の生存権を奪うのなら、多数者の独裁を防止することが正義になる。


 純粋民主主義者は、「当事者である多数者の決定が最善である」という肯定形が民主主義の本質だと考える。純粋民主主義者は「当事者である多数者の決定」という要素が存在し、白い絵の具を増やせばキャンバスがますます白くなるように、その要素を増やせば世界が必ず改善されると信じている。しかし、そのような純粋要素は存在しない。当事者である多数者の決定が、偏見の支配となってしまうという最悪の場合だってある。その場合には「当事者の排除」が正しい方針になる。民主主義は、当事者の参加、当事者の排除による公正の確保、平等な権利の承認、自由と自己責任原理の貫徹というような、さまざまの原理の「寄り合い所帯」(複合態)なのであって、「当事者である多数者の決定が最善である」というような根拠のないドグマの「一本槍」(単純態)ではこまるのだ。

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