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(2021/11/26 追記)

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忘れかけていた大切なこと
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生き方・教養
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3 人を育てるとは

『忘れかけていた大切なこと』
[著]渡辺和子 [発行]PHP研究所


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 信 頼

 

 ある難民キャンプでの話です。その新聞記者は、家も財産も失い、家族とも離ればなれになって流入しつつある難民たちの実状を把握するために、キャンプへと赴きました。

 一人の少年が人々からも離れて、土ぼこりの中に坐りこんでいるのを見た記者は、近づき、通訳を介して話しかけてみました。少年は見上げようともせず、何の反応も示しません。記者は、それに構わず、自分の大切なブリーフケースを少年の膝の上に置いて言いました。
「ぼくはきみを信頼している。ぼくがキャンプを見廻って戻ってくるまで、この大切なかばんを預かってくれないか。メモを取るのに、手が空いているほうがいいのでね」

 通訳が訳し終わるか終わらないうちに、少年は顔を上げました。その顔からは(うつ)ろな表情は消え、記者の目を真っすぐに見た少年は、かばんをしっかりと抱いたのです。
「いつまでも、たしかに預かると言っています」と、通訳が訳しました。少年は預かるだけでなく、かばんを抱いたまま、衰弱してよろめく足を踏みしめ踏みしめ、記者の後について、一日中歩き廻ったのでした。時折り、かばんをポンと叩いて、「だいじょうぶ」と合図しながら。信頼された、大切なものを任された、自分は必要とされた。このことが、この少年を変えたのでした。

 後日、キャンプ主任が新聞記者に語ったところによると、この日を境にして少年は変わり、自分の過去を断ち切って、将来に向かって歩み始める人間になったということでした。

 人間にとって最も悲惨なことは、極貧でも、飢えでも、身内の虐殺を()の当たりにしたことでもなく、自分が「不要の存在」としか思えないことなのです。そして、信頼は、そんな思いを抱いている人に、生きる勇気を与える不思議な力をもっているのです。


 

 真の自由とは

 

 子どもの「自由」と「責任」を考える

 人格というのは主体性をもった人間という意味をもっています。いま、親はとかく子どもの言いなりにしたいことをさせて、したくないことをさせないでいます。このことは、必ずしも人間らしい人間の姿ではないのではないかと思います。なぜなら、人間らしさとは、主体性をもって生きることだからです。
「したい性」を育てると「主体性」は育ちません。「ゆ」の字を大切にしましょう。
「したいこと」と、「しなければならないこと」または「してはならないこと」がある時、プライオリティー(優先事項)をどちらに置くかということなのです。

 大人の場合、「お酒を飲みたい、でも車を運転して帰るのだから飲んではいけない」という時に、どちらを選ぶか……。飲みたければ、帰りはタクシーで帰らなくてはならないということを踏まえて、考えて、選ぶということが、人格としての人間のあり方だと思います。

 読んで字の如しと申しますが、「自由」とは、「自らに()る」と書きます。他人に由らないで自分が決める、自分が選ぶということです。ですから、「自由」というのは、自分で自分が抑制出来る、ブレーキをかけることが出来ることであって、自由奔放とか勝手気ままという言葉とは、むしろ正反対の意味をもっているものなのです。かくて、自由には「誰かのせいにすることが出来ない」責任がついて回ります。

 日本人の母親とドイツ人の母親のやり取りで、自由と責任がわかりやすく示されている私の好きな実話があります。

 
ドイツ人の母親 「どうしてお宅では子どもさんたちに、『お願いだから起きてちょうだい』と頼んで、起きてもらっているのですか」
日本人の母親  「では、お宅さまはどうしてらっしゃるのですか」
ドイツ人の母親 「うちの娘は、まだ小学生ですけれど、目覚まし時計が使えるようになった日から、自分でセットして起きるようにさせています」
日本人の母親  「でも、小さいから掛け忘れることがあった時には、どうするんですか」
ドイツ人の母親 「掛け忘れたら、それは本人の責任ですから、私は起こしません」
日本人の母親  「目覚ましが鳴っていても、止めてしまって寝過ごすことがおありになりませんか」
ドイツ人の母親 「ありますが、私は起こしません。なぜなら、目覚ましが鳴っているのに起きようとせず、もうちょっと寝るほうを選んだのは、本人の自由だからです」

 
「自由」というのは、自分が判断して選ぶことですから、子どもは目覚ましの音で「すぐに起きること」も出来れば、「あと五分。あと十分……と、寝床の中で寝ていること」のどちらも選ぶことが出来たのです。選んだ自由には、「責任」がついて回ります。

 目覚まし時計を買ってきて、「お母さんは明日から起こしませんよ。自分で掛けてね」「はい、掛けます」と約束をしたら、「掛け忘れた」ことについて、本人は責任を取らねばならないのです。

 目覚ましを掛け忘れても、お母さまが起こしてくださると思ったら、責任感が弱くなります。子どもにその責任を全うさせるために、起こしたいと思っても起こさない。「起こさない」ことは、お母さまも辛いことです。しかし、子どもというのは、言葉で教えるよりも、経験をしながら覚えていくものです。「お母さんは、起こしてくれない。じゃあ、寝る前に、もう一度、確認しておこう」ということを学ぶことが重要なのです。

 日本人のお母さまが「お願い、起きてちょうだい」と言うのも一つの愛情だと思いますが、それは、自由と責任を教える愛情ではありません。自由と責任を子どもたちに伝えるために、このように日常生活の中で、自由とは、自分で選ぶ自由であり、選んだ以上は、その後の責任も自分が取ることを、親がきちんと教えてやることが大事です。


 

 自らのあり方を決める自由

 あるお金持ちの方ですが、骨髄移植までした娘を亡くしました。その地方の名士であり、お金も使って、出来ることは力の限りすべて尽くしましたが、死という条件から娘さんを、「自由」にすることは出来なかったのです。いま、その親御さんに出来ることは、娘の死に対して自分のあり方を決めることなのです。つまり神さまやお医者さまを恨むか恨まないか、娘の死を受け入れるか受け入れないかということなのです。その「自由」が残されています。

 人間の人間らしさというものは、ほかの動物にはない、考えること、選ぶことの出来る一人格として生きるということにあります。かくて、真の人間の自由とは、不完全な人間であるが故に必ず経験しなければならない諸条件に対して、自分のあり方を決め、自分らしく生きていく「自由」なのです。人はみんな人間として生まれてきますが、正しく判断し、正しく選択し、責任をきちんと取る一人格に育てていくことが教育なのです。ですから、真の自由人になって欲しいという願いと愛情をもって、時には心を鬼にして子どもたちに教え続けていくことが、何より大切なことだと思います。


 

 真理に従う

 真の自由人というのは、俗な言葉でいうと「わかっちゃいるけどやめられない」という人ではなく、「わかったことがやめられる人」なのです。これは易しいことではありません。頭ではあの人に優しくしなくてはならないとわかっていても、その人に冷たくしてしまうことがあります。本当に自由な人というのは、自分が何をしても、それが愛の(おきて)にかなっている人のことなのです。
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