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ソチ・オリンピック(2014)−平昌オリンピック(2018) 羽生結弦 連覇の軌跡 会見全文
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第3章 オリンピック・チャンピオンへの道

『ソチ・オリンピック(2014)−平昌オリンピック(2018) 羽生結弦 連覇の軌跡 会見全文』
[著]アスリート研究会 [発行]ゴマブックス


読了目安時間:25分
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姉とともにスケートを始めた幼少期


4歳でスケートを始める


 羽生選手のスケート人生は、4歳のときから始まりました。


 1998年に長野で行われたオリンピックのフィギュアスケート競技では、日本代表7人中4人(田村岳斗、本田武史、荒川静香、荒井万里絵)が仙台市の東北高等学校に在学中の高校生選手(かつ、4人とも、長久保裕コーチの門下生)だった関係もあって、仙台ではフィギュアスケートブームが巻き起こりました。


 そんな中で羽生選手の姉は、たまたま仙台で行われた元オリンピック代表選手の佐野稔のフィギュアスケート教室に参加したのをきっかけにスケートを習い始めます。


 羽生選手は、2歳の頃から喘息(ぜんそく)の持病がありました。羽生選手の母は、わが子の喘息を心配し、なんとか治してやりたいと考えた結果、ホコリを吸い込む可能性の少ない屋内で心肺機能を鍛えられるスケートは、喘息持ちの少年にピッタリのスポーツと思えました。


 また、4歳半離れた姉が家のすぐ近くのスケートリンク(アイスリンク仙台=トリノ・オリンピック・女子フィギュアスケートで金メダルを獲った荒川静香も練習していたリンク)でスケートを始めたことも動機のひとつになっていたのでしょう。


 羽生選手の姉は、幼少期の羽生選手と一緒にスケートを練習していた記憶はあったようですが、羽生選手本人は「ちっちゃ過ぎて、当時をほとんど覚えていない」と語っています。


 でも、羽生選手は幼い頃に、お姉ちゃんが自転車に乗っていく後ろを、三輪車で追いかけていたという逸話もあります。だから、スケートをしたいわけではなく、お姉ちゃんといたかったからスケート場にもついていき、一緒に練習もしていた……というのが、スケートを始めた「本当のきっかけ」かもしれません。


何度転んでも立ち上がる 世界チャンピオンの片鱗が見えた


 そんな羽生選手を当時指導していたコーチの一人は、世界のトップフィギュアスケーターになった現在に通じる才能の片鱗を見て取っていました。


 羽生選手は、練習中に何度転んでも起き上がり、「お姉ちゃんができるなら僕にだってできる」と言って、果敢にジャンプやスピンに挑戦していたそうです。


 お姉さんが一生懸命練習する姿を見て、だんだん興味が高まっていったようで「お姉ちゃんが跳べるなら自分も跳ぶ!」「お姉ちゃんができる技なら自分にもできる!」と、姉を目標にして、頑張り始めました。


 またその頃から体幹はしっかりしていたので、うまくいけば世界に通用する選手になると期待したコーチもいました。


 子どもの頃の羽生選手とお姉さんは、2人ともお母さんに似て、切れ長の涼しい瞳や、笑った顔がソックリです。


 性格もすごく似ているそうで、2人ともいつも冷静で、集中力が高く、決めたことはやり遂げるなど自己コントロール能力も高かったと周囲は見ていました。


 もちろん、しょっちゅうのようにケンカもしていたらしく、“いいライバル”だったとも言えるでしょう。羽生選手はお姉さんに追いつきたくて頑張って、お姉さんは弟に負けないように頑張っていたのでした。


競技生活での最初の決断 野球かフィギュアか


 ただ、この頃は羽生選手が幼少期から続けていたスケートを続けるかどうか悩んだ時期にもあたりました。


 羽生選手自身は、野球も大好きで、自分も野球をやろうと思っていた時期がありました。同じく野球が大好きで、勤務先の学校で野球部顧問を務めていた羽生選手の父の影響も受けていたのかもしれません。


 また、親としては経済的な問題もあり、姉弟2人にずっと、フィギュアスケートを続けさせるつもりはなかったようです。小学校中学年頃には、羽生選手がスケートをやめるという話も浮上したようです。ごく普通の家庭の羽生家にとって、費用がかかるフィギュアは、当時の家計を大きく圧迫していました。


 そういった経緯もあり、羽生選手が9歳の頃、羽生家で“家族会議”が開かれたそうです。父親は羽生選手がフィギュアを続けることに反対したそうです。父の本音では、羽生選手にはスケートではなく野球をやらせたかったのです。


 しかし、縁あってか、その後もスケートを続けていますので、思うところがあったようです。


 あるとき羽生選手の父はこう訊ねたそうです。

「野球のほうがおカネもかからないし、スケートが嫌ならやめてもいいんだぞ」と。


 羽生選手自身も、それまでに何度もスケートをやめたいと思ったことがあったようです。喘息の症状が改善に向かっていたこともあり、父の提案は羽生選手を悩ませました。


 でも羽生選手の母は「結弦は、将来必ず世界に羽ばたく子だから」と必死に訴えたそうです。

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