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[証言録]海軍反省会 4
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歴史
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海軍反省会記録第三十四回 自主性なき開戦

『[証言録]海軍反省会 4』
[編]戸高一成 [発行]PHP研究所


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昭和五十七年九月九日(場所・水交会)

【発言者】

黛治夫/寺崎隆治/三代一就

泉雅爾/末国正雄/保科善四郎

佐薙毅/福地誠夫/曽我清

野元為輝/新見政一/扇一登

大井篤/安井保門/小池猪一

【司会】

土肥一夫



分担について


土肥 第三十四回海軍反省会を始めます。


 ええ、この反省会に直接関係はございませんが、NHK(日本放送出版協会)の「歴史への招待」で、黛さんが色々活躍しておられますので、ここで黛さんからちょっとお話し願います。

 いや、それね。あんただけに、今日説明するためのものだったんだ。今、しゃべるんですか。

土肥 いつ頃これがあるかということだけ、お話し願えれば。

 ああ。ええ。去年、ええ、十月一日の発行のNHK「歴史への招待」っていう、きれいな絵の入った雑誌が出ます。それに伴って、「対馬沖の二十時間」というのに、色々な人が、司馬遼太郎の書いた「バルチック艦隊来たる」「対馬沖の二十時間」両方とも司馬遼太郎が書いたんですが、その補いの意味で、数名の者が、手を分けて書かされました。私は日本海海戦における砲戦術というので書いたんです。これは去年の十月一日発行のNHK「歴史への招待」です。終わり。

土肥 それからこの「歴史への招待」で、ただいまNHKがやっておりますのは、暗号漏えい問題をやっておりまして、これが今月の末から来月にかけて、山本五十六(兵32)さんが撃ち落とされた問題等を含めて、NHKの「歴史への招待」のテレビで放送される予定であります。それからもう一つ。これは、ユダヤ関係の犬塚(惟重・兵39)大佐の奥さんが書かれたユダヤ問題の、海軍がこれにどうしたかというような本(「ユダヤ問題と日本の工作」犬塚きよ子、一九八二年、日本工業新聞社)が、最近出ましたので、ご紹介しときます。それではあの、お配りしました分担表について、寺崎(隆治・兵50)さんから、ご説明を頂きます。

寺崎 初めに一言、幹事役として申し上げたいと思いますが。


 先般、八月の二十八日ですか、矢牧(章・兵46)先輩が亡くなられて、非常に残念に思います。みなさんと共に、真に哀悼の意を表したいと思います。なお当日及びお通夜等には、新見((まさ)(いち)・兵36)閣下とか、野元(為輝・兵44)先輩とか。あるいは、中島(親孝・兵54)さんとか、扇(一登・兵51)さんとか、黛(治夫・兵47)さん。黛さん、目が不自由なのにわざわざおいでになって。佐薙((さだむ)・兵50)君とか。土肥(一夫・兵54)君とか、鳥巣(建之助・兵58)君とか等々おいでになり、電報も、色々な方から頂きまして、あの、ご遺族も非常に感謝されております。非常に気の毒で、ええ、だいぶ資料も、この書かれておってですね、そして持っておられるらしいですわ。これはあの、ご遺族に対して、資料をお渡し願い、是非今後、海軍文庫なり、反省会のために提供をお願いしたいということをお願いしております。土肥(一夫・兵54)君が、向こうのご遺族と相談して、適当なときにお伺いして。反省会の資料、その他、海軍文庫の資料、その他たくさんあると思います。それを適宜、頂いてということになっております。ご了承をお願いいたします。


 それからあの、先ほど(開会前に)土肥(一夫・兵54)君からちょっと話がありましたが、総力戦研究、総力戦の研究について、松田(千秋・兵44)先輩、だいぶお体の関係等もあり、休んでおられましたけれども、非常に熱心な資料を頂きました。ご覧になったと思いますが。非常にこの、反省会の仕上げ段階において、良い資料だと思います。


 なお、この反省会の会合とか、あるいはプリントとか、色々やることに対して、この反省会、もう三年になりますが、小坂徳三郎(53代運輸大臣)さんとか、野元(為輝・兵44)先輩。あるいは、松田(千秋・兵44)先輩。あるいは、曽我(清・機51)君。ええ非常に協力的に集まっています。それから、保科(善四郎・兵41)先輩からも、協力頂きました。今日は水交会の会長(内田一臣・兵63)からもご協力を頂いております。


 それからあの、土肥(一夫・兵54)幹事及び小池(猪一・飛予14)君には、自分の仕事が忙しい所を、物心両面に非常に協力を頂いておるんで、仕上げ段階において、非常にありがたく思ってます。


 特に、ええこの、新見(政一・兵36)閣下からは、本日、多額のご協力を頂きました。それから、一番初めの原動力として頂いたのは椎野忠助さん。これはあの、新見(政一・兵36)閣下等からも連絡を頂きました。そういうことで、まあ、どうやらこの危機を乗り越えていくことができて、最終段階のこのエネルギーとして活用させて頂きたいと思っております。


 なお来年は、今年研究、来年も研究しまして、なるべく早くこれを整理して、出版なりその他、適当な方法によって活用すると。そういうことを考え、最終段階に入りましたけれども、やはり、エネルギーが必要だと思いますので、みなさん、色々な方面に関係があると思いますから、ご協力を頂けたら非常にありがたい。あの、国会等の機関に対しては、これ懸案では残っておるんですが、これも今後の進捗と睨み合わせてお願いをして、最後のご協力をお願いしたい、こう思っております。


 なお、今回はですね、(さね)(まつ)(譲・兵51)さんとか、田口(利介/元報知新聞記者)さんとか、前田稔(兵41)先輩、あるいは栗原(悦蔵・兵44)先輩。ええ、今井(秋次郎・兵54)、陸戦の今井さん。それから、坂本(金美・兵61)さん、今日、見えてますが。それから安井(保門・兵51)さん、それから大島久次(技術大尉・建築)、これはあの建築、施設のオーソリティーです。大森(頼雄・技術少佐・造兵)さんも同様ですが。そういう方々に、この前の研究、反省会のとき、協力をお願いしたらいいだろうということで、土肥(一夫・兵54)君が、今日ご案内したそうですが色んな関係で、本日、見えてる方は安井(保門・兵51)さんと、坂本(金美・兵61)さん、ああ、のようでありますが。今後も、できるだけご協力をお願いして、最後の仕上げを積極的に進めて頂ければありがたいです。


 それから、もう一つは、懸案になっておった、大井(篤・兵51)君あたり「水交」に三回も論文を出されておる、池田清(兵73)君。あれの話を聞くっていうことは、水交会の協力で、十月二十日に決定されたそうです。十月二十日の午後、ここで二時間くらいやって、あと、懇談的に、会食して、そうして意見を交換するということになっております。本件につきましては、七月二十一日と二十二日に防衛庁の戦史部で、本年度の戦史研究会がありまして、そのとき私も二回会いました。会食も一緒にしました。そして本人にも会い、色々なあの、当方の意見も述べましたが、大変本人は喜んでまして、なかなか風采は上がらない、みすぼらしいような格好をしてますけれども、学徒でですね、色々懇談したら、まあ大変ありがたいことだと、こっちも望む所であると、いうなことで、非常に喜んでおられました。それであの、水交会の方からも連絡して頂いて。それから七七期の幹事からも、本人に連絡して頂いて、そして十月二十日に来て頂くとなりまして、そのとき、充分な本人の意見を聞き、そして、質疑応答、あるいは食事のとき懇談して。ああいう学者を一つ活用すると、おおいにその特色を伸ばしてもらうと。正しい方向に伸ばしてもらうと、そういうことに激励してあげたら、非常にいいんじゃないかと思ってます。


 あとまた今日は、この分担項目等(確認が)ありまして、それに関連せず、色々なご意見承る。ええ、そして、もう四時ぐらいにはだいたい、完了するんじゃないかと思っておりますが。そういうことで、議題にある反省会の報告資料ならびに、担当者等について、一つああ、審議研究をして頂きたいと思います。


 これはあの、この前のですね、七月七日の研究会に基づいて。そして、土肥(一夫・兵54)君と相談して、こんな構図だろうということでお配りしたわけであります。この前も話しましたように、この資料を整理する目的、要旨はですね、なぜ戦争に敗れたかということを知らんとして、ええ、作戦であるとか、あるいは総力戦であるとか、軍備であるとか、対潜であるとか、等々含めて、なぜ戦に負けたんだろう。そういうことを知らんとして、具体的に資料を述べていこうと。それを戦史に残していこうと。


 それから第二は、そのファクト。保科(善四郎・兵41)先生、今日は他の研究会が国防協会さんとの会合があってみえないんですが。この、ファクトですね真実を。具体的なエピソード。これを重視すると。これはですね、この、直接このみなさんが、その衝に当たったと、そういうことはもちろんでありますが、非常に真実性の、その人が自分が調査してですね、これが真実であると。そういうような研究の成果も含んで結構だと思います。自分でタッチしたばかりでなく、自分が研究し、そしてまたその当事者に接し、直接聞いたですね、あるいは意見を交換して、そしてこれは真実であると。そういう(よう)な点も結構だと思います。そうでないと、ただ自分がタッチしたという場面はですね、ええ、相当範囲が限定されると思いますんで、自分で職務上の、あるいは自分の、趣味で研究される。これが、ああ、真実であるというような点も述べられて、ええ、結構ですから。それにはやっぱり根拠がないと、ファクトとして取り上げるのは。噂であるとかですね、ええ、そういうふうなことは避けて頂く。だから原稿用紙は、今日、お手元に土肥(一夫・兵54)さんのほうから、(資料を)お配りしました。


 原稿の提出期日は、できたら十月末。なかなか難しいと思いますが、十月末ぐらいを目途として、できあがっただけ提出をして頂くと。こうして、できた所から、一つ、審議して頂くというふうな手順を取ったらいいんじゃないかと思いますが。これは大変だと思いますので、柔軟にですね、十月末にできるのなら出してもらう。(以下、原稿整理の手順は重複するので省略)


航空機や潜水艦の研究はどうなっていたのか


 ちょっと。

寺崎 はい。

 連合艦隊の戦策ですね、この間、末国(正雄・兵52)さんから、コピー頂いたんですが、末国さんが、非常によく、まとめておられるので、末国(正雄・兵52)さんもメンバーに入れてもらえれば。

寺崎 じゃああの、末国(正雄・兵52)君と協力してですね、やって頂ければと。では、戦史研究と戦訓の具体化を怠慢したと。これはあの、新見(政一・兵36)閣下がいつも言われてるんですが、この点を明らかにして頂けたらいいと思っております。海軍って所が、非常に進歩的であるっていうなことを言われたんですが、私の研究では、非常な、逆に保守的な所もあったんじゃないかというふうに、ええ、感じてるわけですけど。


 それから大艦巨砲主義。これはですね、この航空関係の人は、大艦巨砲主義を非常に攻撃するわけです。しかし、これはですね、航空威力研究会の記録、ああいうのを調べてみるとですね、その当時、あるいはあの、戦艦大和、武蔵を建造した当時の、色んな軍令部とかは、海軍省、艦政本部等々の首脳部の色々な総力を上げて研究した航空威力研究会。こういうようなことを検討しないで、ただ大艦巨砲主義は、もっての外だと、時代遅れのとんでもないことだと。結果的に見て。そういう点を含めてですね、このこういうふうなことを、検討して、まとめて頂いたらいいと思います。航空威力研究会あたりは、爆弾とか魚雷の、特に魚雷の、ええ、色々な資料が欠如しておるが。昭和十二年、十三年、十四年あたりから航空が非常に発達した。それらに対する色々な対策。あるいは連合艦隊の戦策、研究、軍備。そういうな点では遅れてるんではないかと。


 それから航空軍備は、三代(一就・兵51)さんと、佐薙(毅・兵50)君。それから潜水艦軍備は泉(雅爾・兵53)さんと、鳥巣(建之助・兵58)さん。坂本(金美・兵61)さん。防備は末国(正雄・兵52)さん。通信、暗号、情報、宣伝、諜報。これは、中島(親孝・兵54)さん。実松(譲・兵51)さん、前田稔(兵41)さん、栗原(悦蔵・兵44)さん、田口(利介)さん。これは主として、中島(親孝・兵54)さんが中心になって。


 科学技術研究開発論、三井((また)()・兵49)さん、中島(親孝・兵54)さん、曽我(清・機51)さん。これには造船、造機、造兵。造船とか造機なんていうの。こういうような技術者の協力を求める必要があるんじゃないかと、曽我(清・機51)君には何回も言っておるんですが。曽我(清・機51)君もそういう技術面の話をすると。ええ、燃料。これは米国から、燃料を輸入しておるのに、なぜその米国と戦争するか。その補給関係経緯。苦慮されている点があると思います。要は南方から持ってきてる。それを精製して使うつもりが、間に合わなかった。

三代 この、燃料の問題ですがね、わしはもう忙しくてしょうがないもんだから、やってないですけどね。だから、(担当から)削除してください。

寺崎 はい。それじゃああの、曽我(清・機51)君と木山(正義・機40)さんが、相当研究してるそうですから、木山(正義・機40)さんに頼みます。


 それから、人的軍備。中澤((たすく)・兵43)さんの伝記(「海軍中将中澤佑」一九七九年、原書房)にも、人的軍備は不備であるというような。ただ、有形的なですね、この、艦船であるとか飛行機。そういうな軍備に重点が置かれ、人的な軍備は非常に貧弱で配慮がなかったと。いうことを中澤伝記に詳細に書いてありますが。ああいう点を参照して。教育施設。教育は教育行政がありますけれど、施設関係には、教育に対して配慮がなかった。

三代 今の問題ですがね、人的軍備ですが、航空のほうもわし、随分苦労しましたから、これは航空軍備のほうで書きますか。

寺崎 はい、航空のことを一つ。特にあの、人員の養成、相当な問題点もあると。

 あの、潜水艦のほうもあるんですが。これは、潜水艦のほうで書いたりできますか。

寺崎 人的だけ触れてもらって、そしてあの、細かい潜水艦のほうは、潜水艦のほうだけ。


 要するにこの、おお、これはあの、教育、人事。そういうなことに関係すると思うんですけれども。人員の採用、養成。そしてその施設、そういうふうな施設関係に至っては、ほとんど、この不足しておると。その後、砲術学校は、あの館山に造るとか。あるいは色々な学校も増強するとか、学校を増やすとか。そういう問題で非常に、ええ、戦後そうして苦労したんじゃないかと。そういうなんで、始めから計画的に施設がなかったんだと。つまり、そういう点に配慮はなかったんだというふうな構想の下にですね、そういう点を具体的に書いて頂ければと、こう思ったわけであります。

末国 私はね、教育施策っていうような考えかなと思って、もう原稿、おおかたできてるんです。そしたら今のお話だと、その、設備そのものにいくんだったら、それと併せて、色んな教育施設が、だんだん増えていった過程。それが手遅れであったということを、書こうかと思います。

寺崎 この前の一番初め提案したときはですね、今、末国(正雄・兵52)さんが言われたようなことを意味して。

末国 わかりました。書き直します。

寺崎 じゃあ、そういうことで、一つ。設備的なことをですね。出師準備は、土井美二(兵50)君が、軍務局、軍令部に併せて、二、三年おって、相当資料があったようです。それからあの、総動員計画ですね。これは曽我(清・機51)君に、松田(千秋・兵44)先輩が。曽我(清・機51)君に書いてもらうということだと思います。松田(千秋・兵44)先輩の意見を聞いて。


 ただ私が、思うのは、総力戦研究はですね、昭和十五年の末ぐらいに、規則ができて、十六年の七月に開設してですね、陣容を整えて、八月に兵棋演習やったんですが、あの段階ではですね、そして、私の兄貴なんかも総力戦研究のメンバーに加わって。非常によく、飯村(穣・士21)中将も知っており、お世話になったといっておりますが、三菱の研究所におってですね。

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