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倍賞千恵子の現場
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ルポ・エッセイ
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第五章 人生というステージ

『倍賞千恵子の現場』
[著]倍賞千恵子 [発行]PHP研究所


読了目安時間:27分
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二兎を追ってみる


 小さなときから、ふと気がつくと自分の前に道があって、私はそれをただひたすら歩いてきた気がします。


 誰かから「歌を歌って」と言われて歌ったら、「あら上手ね」と言われ、「じゃあ、のど自慢出てみたら」と言われて出たら合格の鐘が鳴り、「合唱団に入らないか」と誘われて童謡を歌い出し、「松竹歌劇団で踊ってみたら」「映画に出てほしい」──。気がついたら、台本を手に映画の道を歩んでいました。


 でも私の出発点は童謡歌手であり、お芝居をしながらも歌い続けてきました。最初は、

「二兎追うものは一兎も得ず。両方うまくいくはずがないよ」


 とも言われたけれど、

「いえ、私は二兎を追ってみます」


 と追い続けました。そして今は、女優と歌手の両方があっての私。両輪でここまで歩んできてよかったと心から思います。


 でも初のコンサートでステージに上がったときは、その場に倒れそうなくらい緊張のかたまりでした。映画とは違って、目の前のお客さんの目や耳や心がすべて直接自分に刺さってくるようで、体はガタガタ、膝はガクガク、このまま停電になってしまわないかな、と思ったほどです。


 少しだけ余裕が出てどうにか楽しめるようになるには、それから何年かかったでしょうか。


 コンサートの間、私はロケットになった気分です。打ち上げに向けて、スタッフと打ち合わせをし、音合わせをし、リハーサルをする。そして秒読みが始まり、「3、2、1、0」で発射、幕が上がります。


 歌ってしゃべってどうにか帰還するのですが、着地するのは予定地点だったり砂漠だったり沼地だったり。着地が成功するときは、いつもその日のお客さんに手を差しのべてもらっているように感じます。


 もちろんライブですから、失敗も振り返ればきりがありません。


 笠置シヅ子さんの「買物ブギー」(村雨まさを作詞、服部良一作曲)は、大阪弁の歌詞で魚や野菜の名前が次から次に登場し、五分以上かかる曲です。魚屋へ行って「鯛にひらめにカツオにまぐろにブリにさば……」と歌っているうちに、どうしても八百屋に行き着けません。歌詞が出てこないんです。

「ゴメン、もう一度、アタマから!」


 そう言って仕切り直して無事、八百屋にたどり着くことができたけれど、このときはお客さんの笑いに救われました。


 頭が真っ白になって、次のフレーズが浮かんでこないこともありました。歌詞を忘れるというよりも、プツンと電灯が切れてしまった感じ。そのときはまったく無意識に即興の詞をつくって歌っていました。それがどういうわけか、本来の歌詞の内容とさほど離れていないんです。お客さんもまったく気づいていませんでした。


 三枚半の譜面を一枚半で終わらせてしまうこともありました。

「あれ? なんでこんなに早く終わっちゃったのかな?」


 このときは照明さんがいちばん困ったみたいです。


可能性を見出してくれた両親


 生まれて初めて人前で歌ったのは、いつのことだったでしょう。覚えているのは、茨城に疎開していたとき、近所の神社の境内で歌った「赤城の子守歌」。座布団を赤ん坊代わりに背負って、聞き手は近くのおじいさん、おばあさんでした。


 小学校の学芸会では多数決で私が歌うことになり、学校放送ができたときに、やっぱり指名されて、初めてマイクの前で童謡の「かえるつばめ」を歌いました。


 小学四年のときに、歌が大好きだった姉が「NHKのど自慢」の応募はがきに私の名前も書いたら、結局、私のほうが予選に通りました。本選も童謡の「里の秋」を歌ってキンコンカンの合格の鐘。


 それを見ていた合唱団の先生から誘われて、ポリドール専属の「みすず児童合唱団」に入って童謡歌手の道を歩み始めます。藤原歌劇団に入団を誘われたことがあり、一人で藤原歌劇団に見学に行ったこともありました。


 ジャズレッスンのために通った三木鶏郎さんのところには、永六輔さん、藤村俊二さん、逗子とんぼさんたちがいて、永さんにはよく勉強を教えてもらいました。エノケン(榎本健一)さんと中村メイ子さん主演のオペレッタでは、バックの合唱団を務めました。


 中学に上がるころから変声期に入り、合唱団を退団して個人レッスンを受けるようになります。おけいこ代で両親は大変だったはずです。父親は都電の運転士、母親は保険の外交などをして家計を支えてくれました。


 両親は私に歌の才能があると信じていたんでしょう。私を芸能の道に進ませようと考えて、レコード会社の合唱団に入れたり、服部良一さんのところに連れていって歌を聴いていただいたり。最初に私の可能性を見出してくれたのは両親でした。


 芸能は自分から進んで選んだ道ではなく、その意味ではむしろ妹の美津子のほうが積極的でした。SKDに入ったのも、両親が童謡の先生に「将来、この子はどの道に進ませればいいんでしょう?」と相談した結果でした。


 超難関の松竹歌劇団の音楽舞踊学校は、三次試験までパスして合格。

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