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利権の復活
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政治・社会
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第6章 外交問題 ──「自衛隊を国防軍にすれば国は守れる」

『利権の復活』
[著]古賀茂明 [発行]PHP研究所


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抽象論と具体論、二つの世論誘導術


 世界のパワーバランスの変化にともなって、近年、日本の外交政策が取り沙汰される機会が急激に増えた。沖縄基地問題を中心とした日米関係、中国、韓国、ロシアとの領土問題、北朝鮮の拉致(らち)・核開発問題。新たな国際情勢のもとで難しい舵取りが続いている。

 さまざまな外交問題を考察するに際して、この主題に臨む安倍政権特有のレトリックを見てみよう。

 外交問題に臨んで国民を説得あるいは誘導する安倍政権の手法は、正反対の二通りに分かれる。一つは、まずは一般論・抽象論から入って具体的な議論を避けるやり方、そしてもう一つは、個別具体的な局地戦から入って一般論に拡大していくやり方である。

 一般論から入る場合、たとえば「自分の国は自分で守らなければならない」と言う。それを聞いた国民は、とりあえず肯定する。「国防を増強している中国に、日本も自力で対抗しなくてはならない」と言えば、「それはそうだな」とうなずくだろう。

 ある一面から見た総論に訴えて支持を取りつけながら、しかし、具体的な議論には決して踏み込まない。たとえば国防の増強を声高に訴えながら、では、いくら増やすのかといった具体的な議論には立ち入らない。

 自衛隊の名称を「国防軍」に変えるという主張も、それが現実的にどのような意義をもち、どのようなことを実行していくのか具体的には明示しない。その前に「自衛隊は国際的に軍隊と認められている。それを軍隊ではないと主張するのは詭弁だ。とすれば、国防軍と名前を変えたほうがいい」と総論的な理屈を展開していく。そして国民を「まあ、そうかな」という気分に引き込んでいく。
「国防軍」であれ「自立した自衛能力」であれ、具体的にめざすところを語っていけば、次に国防費を増大する、集団的自衛権の行使を認めていく、攻撃能力を拡大してミサイルをもつ……といった具合に進展していくだろう。しかし最初から「相手を攻撃するミサイルをもつ」とキナ臭い話題をもちだせば、国民は入り口で拒否反応を示してしまう。

 そのため、まずは抽象論で入り口をクリアしたうえで、そのあとで具体的な中身を詰めていく。そして反対意見には、「だって、まずこういうふうに決めましたよね」と入り口段階での賛意を盾に押し通していくのである。

 もう一つの個別具体的な局面から入っていく手法は、集団的自衛権の議論において際立った。たとえば、こんな事例をあげるのである。

 仮に日米共同でミサイル防衛にあたっているときに米艦船だけが敵国から攻撃を受けたら、日本は憲法上の制約があるため反撃せずに逃走せざるをえません。同盟国の米国を置き去りにしておいて、次に日本が攻撃された際、米国に「助けてくれ」と言えるでしょうか。それでは同盟関係が成立しませんね。米国が攻められたら、日本は攻撃した国に対して米国といっしょになって反撃するのは当然の義務でしょう──。

 一見もっともらしい立論だが、よく考えてほしい。日米安保条約において、米国は日本の防衛義務は負っているが、日本は米国の防衛義務を負っていない。その代わりに日本は米軍に基地を提供し、駐留費用を負担するなど別の義務を負っている。こうして条約上は、いわばギブ・アンド・テイクが成立している。

 それを棚に上げて「友だちがやられているのに、逃げるのは卑怯じゃないか」といった極端に狭い状況下での感情論で世論を操作する。その際に利用しているのは、「日本は米国に施しを受けている」という日本国民に広く根づいた誤解ないしは錯覚である。「日本は米国の核の傘に守られてきた」「日本は米国に軍事的に依存してきた」といった負い目が、国民から正常な判断力を奪っていると言っていい。

 局地戦で納得させたうえで「だったら、これも同じですね」「これもそうでしょう」と次々に自分の陣地を広げていき、やがて大きな枠組みを動かしていく。抽象論から具体論へ、具体論から抽象論へ。この二つを巧みに使い分けて、安倍政権は外交問題をめぐる世論を左右してきた。

国防軍や軍備増強こそが「理想論」


 防衛の問題は、根本的な世界観をどう描くかによって大きく規定される。

 たとえば、中国とのあいだでくすぶりつづける尖閣問題について、安倍総理なら「尖閣諸島一つ守れない国は日本の本土も守れない。領土は血を流してでも守らなければならない」と考えるかもしれない。では、その血がわが子の血でもかまわないと思うのかどうか。それはその人の哲学に大きく依存する。

 極端なことをいえば、「尖閣諸島を取られても戦争はないほうがいい」という考えも成立するだろう。人類の英知や良識に期待するといった姿勢もある。「そんなものは建前にすぎない」と改憲派は言うだろう。「いざとなったら血が流れる。自分たちだけがいつまでも建前の世界に閉じこもっていれば、いつか泣きを見ることになる」と訴えるかもしれない。そこには基本的な理念の対立がある。

 こうした基本的な理念の隔たりをいったん横に置いて、現在の日本の置かれた状況について客観的に考えた場合、たとえば武力を中心に置いて対抗する戦略がどれほど現実的なのかをあらためて考える必要がある。

 軍事力だけではなく、総合的な力によって国家を守ると主張する人々が、世界の人々の英知と良識に期待したり、民主主義国家の理性に期待したりする考え方に対しては、それはたんなる理想論だとの批判が強い。いったいどこまでが理想で、どこまでが現実的なのだろうか。

 現在の日本には、軍事大国の攻撃に対峙できる防衛力はない。たとえば、中国が仮に局地的な紛争として尖閣諸島に攻めてきたことを想定してみる。尖閣に漁船で漁民が入ってきたときに、力で排除すれば中国海軍が攻め込んでくるだろう。そのとき、米国の軍隊が尖閣周辺まで出てくれば、中国側の排除は可能かもしれない。それを前提にした場合、日本は海上保安庁と海軍を強化するだけですむ。

 しかし、安倍総理は「日本が独自に守り抜く決意がなくて、米国が守ってくれるはずがない。だから独力で中国を排除できる力をもたなければいけない」と持論を展開している。それだけの軍事力をもつことは、いまの日本の国力と経済力から見て現実的に不可能である。

 ここまで経済力が落ち込み、増えつづける年金・医療・介護の負担を処理するだけでも財政は火の車だ。後述するようにプラスアルファで軍備増強のための戦費を調達しようとすれば、国債の大増発が必要だが、それがうまくいくとは思えない。それゆえ日本は軍備増強には、ほとんど手を出せないはずである。
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