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「大停滞」脱却の経済学
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経済・金融
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第2章 大停滞は、なぜ起こり、なぜ続いているのか

『「大停滞」脱却の経済学』
[著]原田泰 [発行]PHP研究所


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 これまでの財政金融政策を整理する


 一九八〇年代前半の安定成長から後半のバブル、九〇年代のバブル崩壊後の経済停滞、二十一世紀になっても回復しない大停滞ともいうべき経済状況は、なぜ生じたのだろうか。

 大停滞が過度の金融緩和によって引き起こされたバブルの反動から始まったことを否定する意見はほとんどない。意見のちがいは、停滞がこれほど長期化した理由にある。このことを考察するために、本章では財政政策と金融政策を中心に事実を整理する。整理した結果は、大停滞をもたらしたのは財政政策ではなく、金融政策であるということになった。以下、その理由を述べよう。



 八〇年代前半の日本は、第二次石油ショックをみごとに処理し、三%を超える率で成長していた。ところが、八〇年代の後半になって、地価、株価の高騰が起こり、それにともなって成長率も五%にまで加速した。五%成長は人手不足を招いたが、東京の地価が一挙に三倍にもなるような事態は政治的に容認できるものではなく、地価バブルつぶしが至上命令となった。

 地価高騰を抑えるために、八九年から金融引き締めが発動され、狙いどおり地価も株価も下落しはじめた。成長率も低下し、九二年から九四年まで一%以下の低成長となった。九六年には三・五%成長となったが、九七年には再び低下し、九八年にはマイナス一・一%の成長となり、その後も低成長が続いている。

 何がまちがっていたのだろうか。八〇年代後半から九〇年代に何が起きたのかを考えるために、八〇年代から九〇年代にかけての実質GDP、実質公共投資(公的固定資本形成)、マネーサプライ(+CD)の伸び率を見たのが図2‐1である。

 八〇年代から九〇年代を通して、八六年と九八年と二〇〇一年を除けば、マネーサプライは実質GDPの動きに連動している。それに対して、公共投資は、八七年と九六年と九九年を除けば、まったく連動していない。八〇年代の前半には、公共投資が減少するなかで、GDPは安定的に上昇していた。九〇年代はじめには、公共投資の急増にもかかわらず、GDPは低迷していた。

 以上、グラフをざっくり眺めたことを、個々の年についても言及しながら見てみよう。まず、八〇年代から見ていこう。

八〇年代の財政金融政策をふりかえる


 八〇年代央までマネーサプライの伸びは安定していたが、八七年から上昇するとともに、実質GDPも増大している。八六年は円高ショックを経験した年である。八〇年代の前半は、実質経済成長率は三%余だったが、輸出が急増しており、アメリカの不満は強かった。そのなかで、円が安すぎるとのアメリカの不満が高まっていった。

 八五年九月二十二日、日米独英仏五カ国の蔵相がニューヨークのプラザホテルに集まり、それまでのドル高を是正するために協調介入することを決定した。世にいう「プラザ合意」である。これをきっかけに円高が進み、八五年九月に一ドル=二四〇円だった円レートは八七年十二月には一二八円になった。その後も上下の変動はあったが、現在まで一二〇円を基準とした円レートが続いている。

 プラザ合意以後、それまで二四〇円のものを一ドルで売っていたのに、同じものを一・九(=二四〇一二八)ドルで売らなければならないのだから、輸出が減退し、製造業を中心に不況になったのは当然である。

 図2‐2に見るように、八六年、円レート(年平均)は三〇%も上昇した。円レートは一ドル当たりの円で表示されているので、数字が小さくなる、すなわち、グラフで下方に向かっているときが円高である。

 八五年に五・五%で伸びていた実質輸出は、八六年には五・五%減となった。この一一%のスイングは、輸出がGDPの一五%程度であることから、GDPの伸び率を一%以上低下させる力がある。これだけで、八六年に成長率が低下したことが説明できる。

 しかし、円高不況に対処するために金融面からの景気刺激がなされ、八六年から九〇年までマネーサプライは拡張された。財政面でも、八六、八七、八八年と公共投資が拡大された。マネーサプライの拡張とともに実質GDPも増大したが、八九年はマネーサプライの伸びにもかかわらず、実質GDPの伸びはやや低下した。

 八九年は消費税の導入があり、公共投資も減少した。そのデフレショックを考えれば、八九年のGDP伸び率が低下したのは当然のことといえるだろう。また、八九年はバブルの真っ只中であるから、財政のみならず、金融面からも引き締めるべき時期であった。

 公共投資を見ると、八〇年代前半では減少している。にもかかわらず実質GDPは順調に成長していた。八〇年代で、実質公的資本形成の伸びと実質GDPの伸びが連動しているのは八七年のみである。

九〇年代の財政金融政策をふりかえる


 九〇年代のマネーサプライの伸びを見ると、九〇年代はじめの急速な落ち込みと九六年にかけての緩慢な上昇は、実質GDPの動きと連動している。九〇年代にマネーサプライの伸びが急減しているのは、八〇年代末の地価暴騰に対して、金融政策の引き締めで対処するように求められたからである。

 その後、バブルの崩壊を見て金融を揺和した結果、マネーサプライは九五年、九六年と上昇し、実質GDPも増大する。連動が崩れるのは九八年以降である。九七年もやや連動が弱くなっているが、九七年は消費税が引き上げられた年であり、そのデフレショックを考えると、連動がやや崩れるのは当然のことだろう。

 九八年には連動が大きく崩れているが、その理由は後述する。二〇〇〇年、二〇〇一年の連動の崩れは、図2‐2に見るように、輸出の変動によって説明することができるだろう。二〇〇〇年から二〇〇一年にかけての輸出のスイングは二〇%にもおよぶので、これだけで実質成長率の三%ポイント(輸出のスイング二〇%×輸出のウェイト〇・一×輸出乗数一・五と考えれば三%となる)の変化が説明できる(九八年のマイナス成長の一部も輸出の減少で説明できる)。

 九〇年代の公共投資の動きを見ると、九二、九三年の大幅な増大と、その後の激しい変動が注目される。九二、九三年では公共投資の急激な増大にもかかわらず、実質GDPは回復していない。しかし、九六年の増大と九七年の減少には、実質GDPは連動している。ただし、公共投資の大きな変動にもかかわらず、実質GDPは小さく反応しただけである。

 九八年には、公共投資はほぼ中立的なスタンスにもどったにもかかわらず、実質GDPは石油ショック以来、戦後二度目のマイナス成長となった。九九年には、公共投資は増大したにもかかわらず、実質GDPの伸びはわずかであった。二〇〇〇年には、公共投資は削減されたにもかかわらず、実質GDPは高まった。

 以上を総括すると、金融政策が発動され、マネーサプライが増大するときには、ほぼ必ず実質GDPが増大しているのに、公共投資が増大しても実質GDPが増大することはそれほど多くはないということである。

 また、マネーサプライの増大にもかかわらず実質GDPが増大しなかった年については、図2‐2に見たように、その理由(円高、輸出減少、消費税)を見出すことは容易であるが、公共投資に実質GDPが反応しない理由は簡単に見出すことができない。
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