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中国人、会って話せばただの人 近くて遠い隣人との対話
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人文・科学
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第二章 沈黙と祈り 二〇〇四年八月・広西チョワン族自治区など

『中国人、会って話せばただの人 近くて遠い隣人との対話』
[著]田島英一 [発行]PHP研究所


読了目安時間:1時間57分
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 もう妻があきらめている私の悪癖に、写真道楽と放浪がある。記憶が定かではないのだが、三歳のころから突如失踪、隣町で警察に保護されるなど、さんざん母を悩ませたらしい。中国を放浪しているのも、三つ子の魂なんとやら、というやつか。お供はカメラ。しかも最近まで、マニュアル・フォーカスで銀塩フィルムという、古典的な機械しか使わなかった。中国内陸の農村など、環境条件の厳しいところに赴くこともあって、めったに家族は伴わない。まことに申し訳ない話ではあるが、いきおい妻は、かつての母のようにいらぬ心配を強いられることになる。

 二〇〇四年の八月は、十二年ぶりに広西(コワンシー)チョワン族自治区を訪れることになっていた。ほかに調査がらみで、河南省の農村部、湖北省武漢、湖南省長沙などを踏破する強行軍である。調査だけならデジタル・カメラでも済むのだが、風景の美しい桂林や三江には、やはり銀塩カメラを持ってゆきたい。しかし、愛機R型ライカの重さが、そろそろこたえはじめていた。装着しているのが口径の大きな単焦点レンズばかりなので、一台当たり一キログラムを優に超える。二〇〇〇年には、あれを数台背負って張家界(=湖南省の景勝地・世界自然遺産写真7)を上り下りし、数日、筋肉痛に苦しむというバカな経験をした。三江の山道なども、あなどりがたい。それで、とうとうコンタックスの小型機種に浮気をした。妻に内緒で、サブ機を含めて二台、レンズを六本購入(ちなみに、亭主族にありがちなこの衝動買いは、販売元の京セラが翌年カメラ事業から撤退したことで、相応の報いを受けることになる)。
「またカメラ?」


 彼女はまだ何かいいたそうではあったが、私は新聞を示しつつ話題を変えた。サッカー「アジア・カップ」で、日本のリーグ戦会場が重慶とある。

「おい、こりゃあ大変なことになるぞ」
「組み合わせが悪いの?」
「違う! 問題は会場だ。重慶だぞ」


 重慶は、妻も二〇〇〇年に一度訪れている。三峡(サンシア)ダムのせいで景観が変わる前に見ておこうということになって、家族三人で三峡下りを楽しんだときのことだ。

「なにか、ハリネズミみたいな街よね。夏は暑いし、選手も大変ね」
「いや、そういうことじゃなくて、歴史だ。日本軍の霧都(=重慶の別称)爆撃は、知っているだろう」


 重慶市民は忘れていない。街を歩けば、いたるところに防空壕の跡がある。少なくとも、事情や空気を知っている我々であれば、日の丸のついたTシャツを着て、重慶や南京を歩くようなまねはしない。自国に誇りがあるとかないとかいうことではなく、相手の感情に対する当然の配慮であると思うからだ。彼らが日の丸を見て何を思い出すか、私にはうんざりするほどリアルに想像できる。どこから石が飛んでくるか、わからない。

 しかし、日本の若いサポーターはおかまいなしであろう。顔に日の丸をペインティングして、下手をすれば旭日旗まで持って繰り出すはずだ。彼らを責める気はないが、多分ただでは済まない。サッカーは、ナショナリズムを最も狡猾に利用するスポーツだ。ましてやこの数年、政府間ではもめごと続き。趙薇(チヤオウエイ)の軍旗ドレス事件やら、湖南ラジオ局の偽電話事件やら、社会も険悪な雰囲気になってきている。(1)

 いやしくも彼女は、中国人だ。抗日戦争史も、中国人の対日感情も、一とおりわかっている。さんざんボケをかましていたが、ようやく顔色を変えた。好都合なことに、カメラのことはすっかり忘れてくれているようだ。

「開催期間中ずっと中国でしょう? 大丈夫?」
「重慶にも、決勝をやる北京にも行かないから、問題はないけど。ただ、最悪の展開になれば、他省に飛び火する可能性もある」
「最悪の展開って?」
「決勝戦が中国対日本で、しかも日本が勝つ、というのが最悪のシナリオだね。まあ君には悪いが、中国チームが決勝まで残っているとは思えないし、杞憂だろうけど」
「何にしても、不要な外出はひかえてね」


 周知のように、杞憂では終わらなかった。中国チームの戦力を甘く見ていた私は、新しい恋人をカメラバッグに詰めて、いそいそと中国へ向かった。

中国の社会団体

 七月末、まずは上海経由で、長沙に赴く。八月中旬に、同僚である山本純一氏(慶應義塾大学環境情報学部教授)と、武漢でおちあうことになっていた。それまでに、湖南省と広西での日程を消化し、かつ武漢での受け入れ態勢を整えておかねばならない。

 長沙に到着したのは、八月一日のことである。この年の暑さは格別で、湖南省でも連日、摂氏三五度以上という猛暑が続いていた。上海では、電力不足でエアコンの使用を制限された市民が、怨嗟の声をあげていた。

 湖南は、瑞穂の国である。海に近い呉越(=現在の江蘇(チアンスー)浙江(チヨーチアン)、上海一帯)の地は古くは穀倉地帯だったが、元代のころから、綿のような商品作物が徐々に普及していった。それに代わって穀倉地帯となったのが、湖北、湖南の両湖地方なのだ。長江、洞庭湖、湘江などのもたらす豊かな水が、この地の米作を支えてきた。水が豊かな分、夏になると、まるで蒸籠にいるような暑さとなる。

 抗日戦争中、日本軍はこの地で赤痢、マラリア、コレラなどに苦しめられている。古来「瘴癘の地」とされた南方には、風土病が少なくない。ここ湖南の一部地域にも、血吸虫病などに苦しむ人々がいる。

 病が人々を苦しめるのは、風土のせいばかりでもない。湖南の農村は総じて貧しく、医療施設も十分に整備されているとはいいがたいのである。中国の公式統計によれば、二〇〇三年度、上海市の一人当たりGDPは約四万七〇〇〇元。対するに湖南省は、二〇〇四年で九〇〇〇元余りだ。二〇〇五年現在、中国の一人当たりGDPは約一〇〇〇ドル、つまり八〇〇〇元余りなのであるから、中国全体と比べて特にひどい数字であるとはいえない。しかし、省内格差に注意する必要がある。省都・長沙の一人当たりGDPは約一万八〇〇〇元(二〇〇四年)、典型的農村である湘西トゥチア族ミャオ族自治州は同約四〇〇〇元と、四倍以上のひらきがある。

 前章でも触れたとおり、中国には二元的な戸籍管理制度がある。都市住民と農民とでは、物価から社会保障の仕方まで異なるのであるから、GDPベースの格差が、そのまま物質的生活水準の差を意味するとは限らない。が、それにしても「社会主義が平等をもたらす」という幻想を打ち砕くには、十分な数字ではある。

 毛沢東の平均主義。西側の福祉国家。一度は、貧富の格差拡大に、世界規模で歯止めがかかるかと思われた時代もあった。しかし今や、平均主義や福祉国家は、グローバル経済における敗北につながるとの焦燥が、あまねく広がっている。新自由主義経済は、資本主義国家ばかりか「社会主義」国家をものみこんでしまった。その新自由主義も、「ではほかに代案があるのか」と居直っているばかりで、マルキシズムの指摘したような矛盾に根本的解決を用意しているわけではない。止まりかけたマルクスの時限爆弾は、再び時を刻みはじめている。最近は中国でも、デモ、集団抗議、暴動などの事件が増えた。「皆で革命歌『共産党がなければ新中国もない』を歌うときほど、滑稽なものはない。大衆ではなく党員が党を賛美しているのだから、自画自賛だよ」。某地の党機関に勤務する、ある友人のぼやきである。

 貧しい地方ほど貧しさから脱け出さんとして、少ない予算を投資にまわす傾向がある。いきおい、福利厚生が手薄になりやすい。加えて、近年の中国政府は「小政府、大社会」なるスローガンを唱えはじめた。これも、政府機能をミニマムに抑えるという、新自由主義的発想である。そこで、基層社会のことはできるだけ基層組織にまかせようという方針転換がなされた。かつては政府機関の下請け組織的色彩が濃厚であった村民委員会、居民委員会においても、それぞれ、八〇年代、九〇年代から、「民主改革」が推し進められた。一定の条件下で自由選挙が行われ、基層地域自治を担当するこれら委員会の代表が、立候補した住民のなかから選ばれるようになったのである。この自治は、基層福祉の「社会化」(日本風にいうと、「民営化」)をも意図していた。政府にしてみれば、福祉の一部をアウト・ソーシングできたうえに、海外メディアから「中国式・民主主義の学校」などと持ち上げられたのだから、一挙両得である。

 この流れを受けて、社会団体が福祉に参与するようになった。中国の社会団体というのは、総じて役所との結びつきが強い。日本でいう独立行政法人や外郭団体の類まで、社会団体と呼んでいる。NPO(=民間非営利組織)と称されている組織にも、民間組織なのだか天下りの受け皿なのだか、よくわからないようなところが少なくない。だが一方で、規模、数ともにまだまだではあるが、真の「草の根NPO」が間違いなく育ちつつある。草の根組織であっても、政府民政部門において登記を行い、その活動領域における政府管轄部門の許可を得ることが、義務づけられている。しかし、未登記のまま活動を続ける組織のほうが、数においては圧倒的だ。そうした、公認、非公認のNPOが、教育、救貧、医療、環境保護といった分野で活動を始めている。(2)

 宗教団体もまた、社会団体の一種である。周知のように、中国では宗教活動の管理がうるさい。さすがに、「人民のアヘン」といったレーニン式の宗教観は、聞かれなくなった。だが、『中華人民共和国憲法』は、今も信仰の自由と不信仰の自由とを、ともに保障する。不信仰の自由というのは、伝道という「ハラスメント」にさらされない権利であり、このため宗教施設外での伝道は行えない。ちなみに、ここでいう「宗教」とは、あくまでも道教、仏教、イスラム教、カトリック、プロテスタント(=いわゆる「中国五大宗教」)を指す。民間信仰の類はおおむね「迷信」扱い、政府との間に矛盾を生じた法輪功(フアールンコン)などは「邪教」扱い、儒教は「儒家思想」という「哲学」扱いで、いずれも中国政治の文脈では「宗教」と見なされない。
「愛国的」宗教団体には、「中国道教協会」(道教)、「中国仏教協会」(チベット仏教、南伝仏教、中国仏教)、「中国イスラム教協会」(イスラム教)、「中国天主教協会」(カトリック)、「中国キリスト教協会」(プロテスタント)、「中国キリスト教三自(サンツー)愛国運動委員会」(同前)があり、それぞれ党と政府の指導のもと、五大宗教を一元的に統括する。これら宗教団体は、献金などの形で社会福祉事業に貢献しているが、地方支部のなかには、福祉活動に直接人員を派遣、より積極的な参与を果たすケースも見られるようになった。宗教団体は宗教活動以外やってはいけないというのが建前であるから、これは一種の越権行為である。それが許されるかどうかは、多く地方政府との関係にかかってくる。また、宗教的背景を持ちつつも、宗教団体から一応独立したNPO(筆者が調査した例では、上海キリスト教青年会や、厦門市南普陀寺(ナンプートウスー)の慈善会などがある)が、宗教団体にはできない福祉活動を展開する例も、目立つようになった。

 ほんの少しずつではあるが、中国にも多元的な市民社会の芽がふきはじめているのではないか。湖南を訪れたのは、それを確認したかったからだ。かつて訪問調査を行った、上海キリスト教界の某有力者から、「湖南省のキリスト教両会(キリスト教協会と三自愛国運動委員会)は、社会福祉においてすぐれた貢献をしている」との情報をいただいていた。それで今回は、湖南省キリスト教協会(中国キリスト教協会の下部組織)を訪問することになった。

湘江のほとりで

 長沙のホテルにつくと、早速、同協会のW牧師に電話を入れた。

 携帯電話が嫌いな私は、よく中国人から揶揄される。中国では、固定電話よりも先に、携帯電話が普及してしまった。ほかにも、VHSが普及する前にDVD時代になってしまったとか、日本人から見ると、テクノロジーの「飛び級」現象の多い国である。二十一世紀に入ると、従来の携帯電話に加え、安価な「小霊通(シヤオリントン)」(=PHS)も各地で普及しはじめた。今どき、民工でも携帯かPHSくらいは持っている。

 アナウンサーの故逸見正孝氏が、フリーになったときの記者会見で述べたことばを、私はいまだに忘れない。「これでもう、ポケットベルを持たずに生活できるのかと思うとうれしい」。携帯電話のない時代。ポケベルすら、報道関係者のような特殊な人間だけが持ち歩いていた。逸見氏の感じていたであろうわずらわしさを「もっともだ」と思った私は、むしろ今の時代に違和感をいだく。糸の切れた凧の、どこが悪い。

 中国にも、携帯電話にふりまわされる人々を皮肉たっぷりに描いた『手機』という映画があった。あの映画が当たったのは共感を呼んでいる証拠で、実は中国人もどこかでうっとうしさを感じているのだ。だが、本当に拒否する輩は、やはり変人なのであろう。携帯電話を持たない日本の大学教員というのが、よほど奇異に見えるらしく、「連絡は、ホテルにつくまで待ってくれ」などというと、たいていはあきれられてしまう。

 W牧師とは、翌日面会することになった。今日のところはフリーとなり、午後から長沙の街を散策することに決めた。

 長沙は、湘江沿いに開けた、六〇〇万人近い人口をかかえる大都市だ。湘江は湖南省を象徴する大河であり、「湘」は湖南の略称ともなっている。ちなみに、神奈川県「湘南」地方の地名由来については、本来「相南」(相模の国の南方)とすべきところを、大磯の風景が湖南省洞庭湖あたりに似ていたせいで「湘」の字を採った、という説がある。いずれにせよ、「私の勤務先は慶應義塾大学のSFC(=湘南藤沢キャンパス)です」などと紹介すると、中国人が想像するのは、湖南の片田舎にぽつりと大学があるような絵だ。SFCの近所には豚もいれば牛もいるのであるから、まあ当たっていなくもないのだが。藤沢市の宣伝もかねて、「日本の『湘南』は、中国の北戴河(=河北省沿海地区の保養地)か青島(=山東省の臨海都市)のような景勝地ですよ。それに、あなた方の国歌『義勇軍行進曲』の作曲者である聶耳の最期の地でもあるのです」と、多少見栄をこめたただし書きを付け加えることにしている。

 最近のはやりで、中国の諸都市ではウォーター・フロントの開発、整備が進んでいる。湘江沿いには、遊歩道兼公園が整備されており、市民の憩いの場となっていた。太極拳(タイチーチユアン)や秧歌踊り(=農村由来の民謡踊り)を楽しむご老人、凧を揚げる子供たちなど、にぎやかだ。

 この街の歴史は古い。「長沙」という地名は、周代に現れる。湖南、湖北にかけて広がる楚国は、春秋戦国時代から独自の文化を形成した。しばしば指摘されることではあるが、その後の漢詩に絶大な影響を与えた屈原(前三四〇〜前二七八?)の『楚辞(チユーツー)』には、南方シャーマニズムの影響が看取できる。(3)湖南省には、現在でもミャオ族、トン族、トゥチア族など、少数民族居住地区が少なくない。「漢化(ハンホア)」(=漢族への同化)の程度が低かった古代の楚では、むしろ彼ら「少数」民族こそ基層文化の主役であったはずだ。

 屈原は憂国の情と憤怒にかられ、湖南汨羅に身を投げて死んでしまった。中国の端午節(=旧暦五月五日)は、この屈原を記念したものだという伝説がある。屈原の遺体が魚に食べられぬよう、人々がチマキを河に投げ入れたとのいい伝えから、今でも中国各地でチマキが食べられている。また、龍舟競争などが催されるのも端午節だ。端午節は、東アジア各国に形を変えつつ広まっていった。日本の「こどもの日」の起源が端午節にあるのは、周知のとおり。長崎のペーロン競争も、明代に中国から伝わった龍舟競争に起源があるとされる。日本の端午に見られる菖蒲といい、龍舟といい、いずれも水郷・湖南を想起させる。

 韓国では、代表的な農民の節句となっている。二〇〇四年には、韓国政府がユネスコに「江陵端午節」の文化遺産登録申請を行ったとの報道があった。おかげで中国のネット空間には、韓国への罵声と、みずからの伝統文化軽視を反省する言説とが飛び交った。だが、文化は民族を選ばない。国民国家という近代的虚構から「常民」の文化を語ること自体、実に馬鹿げているのだが、それを矛盾と感じない「愛国者」は、どこの国にもいる。

 さて屈原からこのかた、楚人には「剽悍」「激情」といった形容がつきまとう。ことに近代史において、湖南は死をも恐れぬ改革者、革命家たちを輩出した。湘軍を率い太平天国軍を平定した曾国藩(フオンクオフアン)(一八一一〜七二)と左宗棠(一八一二〜八五)、康有為らと変法運動に参加し、刑場の露と消えたM嗣同(一八六五〜九八)、孫文とともに辛亥革命を指導した黄興(一八七四〜一九一六)と宋教仁(一八八二〜一九一三)、中華人民共和国建国の元勲毛沢東(一八九三〜一九七六)と劉少奇(一八九八〜一九六九)、改革の志半ばに逝った胡耀邦(一九一五〜八九)、前総理の朱鎔基(一九二八〜)など、枚挙にいとまがない。あまり本質主義的な話にはしたくないが、湖南と聞くと、激情と唐辛子の国というイメージがつきまとう。

 もっとも、念のために付け加えると、唐辛子は湖南の専売特許ではない。江西、湖北、湖南、貴州(コエイチヨウ)四川(スーチヨワン)、重慶、雲南(ユインナン)など、南方はおおむね激辛ベルト地帯なのであって、むしろ福建、広東、浙江、上海といった沿海諸省が、例外に属する。なお、四川、重慶においては、唐辛子に加え山椒が多用されるため、炎と電気を同時に食しているような刺激的な味になる。四川料理が「ピリ辛」といわれる所以である。

 長沙市内には、ほかに湖南省博物館や岳麓山(ユイエルーシヤン)といった、見逃せない名所がある。湖南省博物館は、事実上、馬王堆漢墓のためにあるような施設だ。一九七二年、前漢の長沙国宰相夫人の遺体が、肌に弾力を残したまま出土したおりには、考古学界の奇跡と称された。かの遺体は、今でも同博物館で参観できる。地下に横たわる遺体を、上から見学者がのぞきこんでは「アイヨー」などと感嘆の声をあげる。生前はやんごとなき御身の上。我々平民の見世物にされようとは、いささか痛ましい。

 岳麓山には、宋代に創建された「岳麓書院」がある。書院とは、旧時の講学所のことで、主に儒家の経書を学ぶ。身内から官僚を輩出すべく、宗族単位で設置された小規模なものが多いが、ここまで規模の大きい書院は珍しい(写真8)。

 摂氏三八度。たかが市内観光ではあるが、気を抜くと熱中症にやられる。夜は激辛の湖南料理で、気合を入れ直さねばならない。

「洋教」の微妙な立場

 W牧師は、翌朝早くにホテルに現れた。金陵協和神学院(=南京にある中国プロテスタント教会の最高学府)出身で、若くして湖南キリスト教協会の副総幹事を務める。聖書言語であるヘブライ語、古代ギリシャ語にも精通するという、俊才である。(4)

 ホテルの入り口には、信者からの献品だというワンボックス・カーが横づけになっていた。この手の車は、中国ではその形状から「面包車(ミエンパオチヨー)」(=パン車)と呼ばれ、よく事業単位の公用車として使用される。驚いたことに、運転手を買って出ていたのは、湖南省キリスト教界でも大幹部のZ牧師であった。運転手のいない単位。献品の車。W牧師をご紹介くださった上海キリスト教界幹部の公用車(運転手つきビュイック大型セダン)が、ふと思い出された。車を見ただけでも、湖南キリスト教両会の台所事情がうかがい知れる。

 まずは、長沙B教会へと向かった。同教会が運営する敬老院(=日本でいう「高齢者介護施設、住宅」)を見学するためであった。計画生育政策の影響もあって、中国の人口高齢化問題は、日々深刻さを増している。二〇〇二年の中国政府の統計によれば、中国の六十歳以上人口は一・三二億人に達し、年三・二パーセントの速度で急増中だという。まだ日本ほど深刻な数字ではないが、少子化が背景のひとつになっていることから、計画生育政策における「一人っ子」の原則は、ここ数年、早くも緩和調整段階へと入った。いずれにせよ、今後の中国にとって、高齢者福祉が焦眉の急となろう。とはいえ、上述のとおり、現在は「小政府、大社会」がトレンドだ。民政部門にしてみれば、みずから福祉を提供するばかりではなく、企業、社会団体、基層自治組織を、福祉活動の資源としていかに動員活用するかに、知恵を絞らねばならない。そこに、本来宗教団体であるはずの教会が、福祉への参与を認められる余地も、生まれているのだ。

 とはいえ政府は、無神論を党是とする共産党の指導下にある。宗教団体が宗教施設を出て社会福祉活動に参与すれば、社会への宗教の浸透を助長する可能性がある。これは本来、党や政府の歓迎すべき事態ではない。だから、社会福祉活動への参与は、党・政府側にとっても宗教団体側にとっても、取り扱いに注意を要するデリケートな問題となる。湖南に来て「おや」と思ったのは、それにしては教会が大胆に行動しているように見える点であった。たとえば、上海のキリスト教系団体が見せるような、あたかも地雷原を行くがごとき緊張感が、指導者層から感じられない。

 長沙B教会H牧師の話によれば、一九八八年の設立当初、主に信徒で身寄りのない(もしくは家族と不和の)高齢者を収容していたのだという。
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