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愛する幸福 愛される幸福 恋愛の苦しみからサヨナラするために
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生き方・教養
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第1章 愛することを恐れる心理

『愛する幸福 愛される幸福 恋愛の苦しみからサヨナラするために』
[著]斎藤茂太 [発行]PHP研究所


読了目安時間:43分
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男女の付き合いから人間関係の基本を学ぶことができる



 人は誰でも年頃になれば、異性に興味を抱くようになる。それはごく自然なことだ。そして、愛する人ができ、幸いにも、その人とうまく結婚までたどり着くことができる場合もあれば、一時期はうまくいったとしても、破局に終わることもある。


 初めて恋した相手と結ばれるということは、ごくまれなことだろう。初恋というものは、たいていは、相手に自分の思いを打ち明けることもできず、淡い片思いで終わることが多い。こうした初恋を経験して、何度か人を好きになることを繰り返して、ときには、手ひどく失恋したりしながら、自分に合った相手を見つけて、いずれは結婚に結び付くのだろう。


 私の青春時代には、まだ恋愛結婚といったことなどまれで、ほとんどはお見合い結婚であった。だが、現代では、恋愛で結婚するのが当たり前といった時代になっている。また、昔のように、年頃の男女を結び付けることが楽しいといった、いわゆる世話好き、仲人好きの人も減ってきたようである。だから、自分で相手を見つけることができない人は、いわゆる結婚相談所や紹介所のお世話になるのだろう。


 ほとんどがお見合い結婚であったから、私が青春を謳歌した時代には、恋愛すなわち結婚といった風潮はなかったようだ。だからといって、私たちが恋愛をしなかったわけではない。戦後ずっと恋愛と結婚は結び付けて考えられてきたが、現代では、恋愛と結婚は別といった考え方をする若い女性たちがふえている。その点では、われわれが青春を送った戦前の時代と共通するのだろうか。


 しかし、現代の恋愛観と昔の恋愛観とは、大きく違うような気がする。たとえば、島崎藤村の『初恋』という有名な詩がある。


まだあげ初めし前髪の

林檎のもとに見えしとき

前にさしたる花櫛の

花ある君と思ひけり


やさしく白き手をのべて

林檎をわれにあたへしは

薄紅の秋の実に

人こひ初めしはじめなり(後略)



 恋愛をすることで、人はこのような美しい詩を作ることができるのだろう。恋愛には、もちろんドロドロした部分も付きものであるが、このような美しい心情を伴うものでもある。切々とした感情を伴うからこそ、恋愛を経験することによって、人はそれを通過したときには、他人を思いやる気持ちもさらに深くなる。つまり、恋愛、そして失恋を経験することによって、人は成長するのだ。


 しかし、だからといって、恋愛する必然性もないのに、いつでも恋愛していなくてはいけないかのような最近の風潮はどうだろうか。


 たしかに、恋愛することは素晴らしいことだ。いい恋愛をするに越したことはない。いい恋愛とは、自分に合った相手と出会ってはじめて可能なことである。そんな相手と出会ってもいないのに、手近なところにいる、それほど好きでもない相手と付き合ってみても、恋愛にはならない。また、逆に、失恋することを恐れて、逃げてばかりいてもつまらない。


 どうも、一方では、いつでも恋愛していなくてはならないとばかりに、相手構わず付き合っているか、失恋が怖くて、逃げてばかりいるといった傾向があるのではないか。


 どちらにしても、恋愛には縁がない。あまり、恋愛、恋愛と騒いでいるのも考えものであるが、それでも恋愛しないよりは、恋愛し失恋の一つも体験したほうがいい。そこで、いろいろなことが見えてくるものだ。人生をより味わい深いものにするための、これは一つの香辛料ともいえるものだ。


 だから、かつて失恋した経験があって、もはや二度と恋愛などしないとかたくなになる必要もない。失恋を恐れて異性と付き合うのを避けているよりは、たとえ恋愛にまで発展せずとも、人との出会いを味わってみるのもいいのではないか。


 恋愛は男女の付き合いのなかで生まれてくる美しい結晶といえるものだ。すべての男女の付き合いによって、その結晶が生じるわけではない。しかし、異性と出会い、そこから人間関係がはじまらなければ何も生まれない。


 男女の付き合いというのは、人間関係のもっとも基本だといっていい。他人という存在のなかでも、異性ほど不可解な存在はない。人間の社会は他人との付き合いによって成り立っている。この人間関係のあり方を学ぶうえで、異性と付き合うことほど得るものが大きいことはないといえる。


現代人はあまりにも恋愛に振り回されている



 最近、どうも「恋愛願望」を強く抱いている女性が多くなったような気がしてならない。恋愛願望とは、恋に恋こがれるという心理のことだ。


 これは思春期の女の子の専売特許ではなく、二十歳を過ぎて、実際に男性と付き合っている女性たちにも見られるようだ。また、逆に低年齢化も進んでいる。思春期の少年少女が、アイドル歌手を必死に追いかけるのも、恋愛願望を満たすためであるが、現代の親は子供が小学校の三、四年くらいになると、早くもボーイフレンド対策を考えなければならなくなってきている。初恋を味わう年齢は、どんどん低年齢化しているように見える。


 結婚年齢は、二十代前半から二十代後半へと遅くなっているし、最近では、三十歳を過ぎてからの結婚も多くなっている。その一方で、十代で早々と結婚する人がふえて、従来からいわれてきた結婚適齢期にあたる二十代前半が少なくなっているようだ。つまり、早すぎる結婚と遅すぎる結婚の二極に分化しているわけである。


 事実、学校を卒業したら、早々と結婚する人はかなりいるようだ。たとえば、以前テレビの朝のニュースショーのなかに『花嫁の父』という番組があった。そのなかで、結婚式を控えた娘に対して父親が、「この子は、ほんの五年前にはランドセルを背負っていたのに……」と感慨深げに語る場面があった。


 なるほど、芳紀十七歳になるその娘さんは、勘定してみると、ほんの五年前にはまだ十二歳の小学生だったことになる。きっと、あどけない顔をして、赤いランドセルでも背負って、毎日学校に通っていたことだろう。それがたったの五年間で、花嫁衣装を着て他家に嫁いでいくまでに成長してしまうというのだから、子供の成長はなんとも早いものだと思わずにはいられない。


 親にとっては五年間どころか、十七年間という時間も、あまりにも短く思える。いわばアッという間、光陰矢の如しというのが実感である。そんなわずかな歳月で、自分が育てた息子や娘が、早くも一人前の大人として自分のもとから巣立っていくのかと思うと、親としてはさまざまな思いを感じざるをえない。


 ところが、こうして親は、いつまでも子供は子供だと思っているのに、いつの間にかその子供が、ちゃんと生涯の伴侶を勝手に見つけて、親の思惑をよそにさっさと家を出ていってしまう。これも自由な時代になった象徴的な出来事の一つといえるのだろう。


 だが、一方では思春期になったら、いや思春期以前から、娘や息子の恋愛に心を砕かなければならないというのでは、親は心安らかに子供を育てることができないのも事実だ。もっとも、早いうちから恋愛できるというのは、早熟であることの証拠で、親としては、ひょっとして自分の子は天才ではないかと思えてくるという面もないではない。


 娘や息子が、ちゃんとした人と恋愛をして、素晴らしい相手と結婚してくれれば、多少親の意に反して、結婚の時期が早かろうと遅かろうと構わない。だが、とんでもない相手と結び付いてしまったとしたら、親の心配はいかばかりだろうか。


 こう危惧するのは、私が親だからというばかりではない。私は精神科医としての長年の経験から、最近の若い人たちの恋愛観に関して、いささかの危惧を持っている。


恋愛をオモチャにしていないか



 最近、問題だと思うのは、今どきの若い人たちが、なぜか「人生の目標は恋愛しかない」とばかりに、恋愛のことばかりに夢中になっているように見えることだ。これはいま述べてきたように、みんなが「恋愛願望」のトリコになっているからだ。

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