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第1章 子どもの「情緒」を豊かにする

『ゆっくり子育て事典』
[著]平井信義 [発行]PHP研究所


読了目安時間:1時間6分
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1 思いやりの心は親子関係の中ではぐくもう



情操は相手に共感する心



 子どもが豊かな情操の持ち主になってほしい──この願いは、どの親にも共通の願いであると思います。では、情操というのはどういうものなのでしょうか。


 私は、情操の中心に「思いやり」をおいて考えています。「思いやり」とは、相手の立場に立って考え、相手の気持ちに共感する心と言えましょう。これを「受容」の能力と呼んでいる人もいます。「思いやり」を持って、相手の気持ちを汲むことができる心が育っていれば、自分なりの要求があっても、それをすぐに実現しようとするわがままな行動は起きません。むしろ、相手のためになること、相手を楽しませることを考えるでしょう。ときには、相手のために自分を犠牲にする気持ちになることさえあるものです。


思いやりの豊かな人とはどんな人か



 思いやりのある人とはどんな人でしょうか。


 あれこれと面倒をみてくれても、それが自分本位であれば、いわゆるおせっかいであって、面倒をみてもらう人からすればうるさくも感じられるでしょうし、つき合うのも嫌になってしまうでしょう。しかも、そのような人に面倒をみてくれないようにはっきりと断れば、必ず悪口を言われることがわかっているため、「気がね」をしなければならないでしょう。

思いやり」のある人とは、その人のそばにいるだけで温かさを感ずるような人です。決して、押しつけがましいようなことは言ったりしたりしないでしょう。そのような人には、何となく自分の気持ちを打ち明けたくなるものです。それを打ち明けたときにも、真剣になって聞いてくれるでしょうし、その内容に対して頭から異議を唱えたり、注意をするようなこともないでしょう。もちろん非難をすることなど絶対にないでしょう。それによって、自分の気持ちがその人に受け入れられたように感じ、何となしに、自分で自分の問題を解決することができそうにも感ずるものです。

思いやり」の心とは、同情とは少し違った(おもむき)があると考えています。それは、同情が、立場の上の人から立場の下の人に対する思いであるのに対して、共感としての思いやりは、立場には無関係であり、自分がどうのこうのという気持ちがない状態です。無私という言葉がそれに相当するでしょう。


 あなたは思いやりのある人ですか、と聞かれたならば、どのように答えるでしょうか。妻であれば、夫の立場に立って考え、夫の気持ちを汲む力ですし、夫であれば妻の立場に立って考え、その気持ちを汲む力です。二人が思いやりの豊かな人であれば、二人で話し合いを充分にすることができますし、夫婦げんかにもならないはずです。


 親子関係の中では、子どもの立場に立って子どもの気持ちを汲む親が「思いやり」のある親です。そのような親によって育てられてこそ、子どもの「思いやり」の心は豊かになります。


 子どもは、その年齢が低ければ低いほど自己中心性が強いものです。生まれたての赤ちゃんは空腹になれば泣き、お乳が与えられれば満足して眠ってしまうように、お母さんの都合などまったくお構いなしですし、当然、「思いやり」の心は未発達です。したがって、その心はもっぱら親の側に要求されるわけです。しかし、子どもの立場になって考え、子どもの気持ちを汲むことのできる親は、子どもを叱りません。叱る気持ちにならないのです。子どもを叱ってばかりいる親は、自分本位の人で、「思いやり」の心は少ないということになります。


 これを、人格のピラミッドの土台にすえたのは、情操豊かな人格こそ、人間らしい人間の基礎になるからです。「思いやり」の豊かな人は、家族に対して思いやるだけでなく、近所の人に対しても、乗り物の中で乗り合わせた人にも、世界のはての飢餓に苦しんでいる人にも、思いやりの心を持って、自分なりにできることを考えて実行するでしょう。



私の「体験的」子育て論
生後三カ月までの赤ちゃん


⦿生後一、二カ月目の微笑


 赤ちゃんは、眠っている時間が多く、空腹になると目を覚まして泣き、お乳を充分に与えられるとまどろみながら眠ってしまうという生活のくり返しです。しかし、この期間に、赤ちゃんには素晴らしい現象が現れます。それは、微笑みです。


 生まれてから一、二カ月は、目がよく見えないし、耳もまた外界の音をとらえるのには充分発達していないため、周囲の世界との対応はあまりはっきりとしていません。この段階で最もはっきりしているのは皮ふ感覚で、すでに抱かれ心地を感じ始めています。ですから、生後一、二カ月のスキンシップはかなり重要な意味を持っていると言えます。


 次第に耳が聞こえるようになると、お母さんの声が子どもに影響を与えます。それは、声が美しいかどうかというより、その声に温かさがこもっているかどうか、ということが問題になります。温かい声であやすと、子どもは喜びます。その喜びは、(なん)()(ウックンなどの赤ちゃん言葉)に現れてきますし、微笑みとなって反応するのです。大人たちからあやされるという、音声の刺激に反応して微笑みが現れれば、その後の親子関係を緊密にするスタートが切られ、赤ちゃんの情緒の形成は順調に行われているわけです。


 私の孫たちは、それぞれ、生後一カ月から二カ月の間にはっきりと微笑みを現しました。微笑みは、まず、眠っているときに現れます。眠っている顔をじっと眺めていますと、ふわっとした感じで微笑むのです。何とも言えぬほど崇高な感じがします。仏様の微笑みのようだと表現した人がいます。あるいは、赤ちゃんの方から母親を招く微笑みだ、と言った人もいます。この微笑みがあまりにも可愛いので、赤ちゃんが目を覚ましているときにそれを見たくて、家族の者がその子の名前を呼んだり、頬をつついたりしてあやさずにはいられないからです。機嫌のよくないときはむっつりしていたり、眉間にしわを寄せたりしますが、機嫌のいいときは、それに応じて何回でも微笑んでくれます。まさに、母親を招き寄せるための生まれつきの微笑みが、すでに人間関係の中で意味を持っているのです。


 あやされて微笑したあとで、赤ちゃん言葉の「ウックン」という声を立てるようになります。そこで、同じような高さで「ウックン」と言ってあげますと、また「ウックン」と答えてくれます。調子がよいと、それが何回かくり返されることがあります。つまり、互いにお話をしているのです。大人の方の声はソプラノの方がよく反応しますので、私もつい裏声を出して呼びかけるようになります。しかし何といっても母親の声に最もよく反応し、年寄りの私だとしかめっ面をすることさえありました。まだ目は見えていませんから、人の声の音色で聞き分けていることになります。あるいは漠然とした動作が関係しているかもしれません。


⦿泣いて伝えるサインをどう読みとるか


 赤ちゃんにとって泣くということは、不快感を表しています。第一に、お腹が空いたときや、のどが渇いたとき、つまり生命維持のための基本的な欲求が生じたときに泣き始めます。少し放っておくと泣き方が激しくなるので、急いでミルクを与えなければなりません。


 また、おむつが汚れて気持ち悪いと泣き始める赤ちゃんは、おむつを取り替えれば泣きやみます。ただし、おむつの汚れをあまり気にしない赤ちゃんもいます。私たちは、おむつをとることについて急がないようにしようと話し合っていましたので、神経質におむつを取り替えるようなことはしませんでした。そのため、おむつの汚れで強く泣くような孫はいませんでした。


 おむつを取り替えるときには、単に機械的におむつを交換するのではなく、不快な状況から清潔になった気持ちのよさを、お母さんの言葉で表現してあげましょう。「ほうら、気持ちよくなったでしょ」と声をかけますと、赤ちゃんも手足をばたばたさせて、それに応じるようになります。それが、お母さんと赤ちゃんの情緒的な結びつきを強めていくのに大切な役割を果たします。


 赤ちゃんが激しく泣いたときは警戒警報です。それは、不快感を通り越して痛みがあるときです。火がついたように泣き、抱いてもそれがおさまらないときは、衣類を脱がせてからだを点検してみましょう。外に干した赤ちゃんの肌着に小さな枯れ枝がついていたりするかもしれません。あるいはもっと危険な状態で、腸閉塞などのからだの中の異変かもしれません。


2 「人見知り」はお母さんを信頼している証拠



視覚の発達と「人見知り」



 生後三カ月から八カ月にかけて、赤ちゃんはどんどんと人間の子どもらしくなります。第一に表情が豊かになり、また喃語が多くなって、両親やその他の家族との対応が増えてきます。しかも、家族の中にいて、いっしょに遊んでもらったり、家族の動きを見ていることが好きです。


 さらにこの時期の特徴には、「人見知り」があります。六カ月から八カ月にかけては、視力が発達し、人の容貌をはっきりと見分けることができるようになりますが、それにともなって、見慣れている人とそうでない人との区別をつけられるようになるのです。そうなると、見慣れない人をじっと見つめ、やがて泣き出したり、「いらっしゃい」と手を差し出しても、「イヤ!」という表情をして、お母さんにしがみつくでしょう。これが「人見知り」です。

人見知り」は、視覚の順調な発達を保証していますが、それ以上に大切なのは、見慣れている大人に愛着を感じ、その人に対して信頼感を持っていることをはっきりと表現していることです。つまり、お母さんは赤ちゃんに信頼されたことになるのです。それまでお母さんが赤ちゃんにしてあげた努力、つまり、言葉をかけたり抱いたりしたことが報いられたといってもよいでしょう。


 赤ちゃんとの接触の少ないお父さんに対しても「人見知り」をすることがありますし、長期の出張などから帰宅したお父さんにも、なかなかなじまないことがあります。つまり、接触しているということが、親子関係にとっては大きな意義を持つのです。


情緒未発達の「ホスピタリズム」



 もし、六カ月から八カ月の間に「人見知り」の現れない赤ちゃんがいたら、どのように考えればよいでしょうか。その相手に対して、赤ちゃんがまったく無関心のことがあります。この場合には、情緒的な人間関係をつくる能力が育っていないと考えてよいでしょう。また、手を差しのべられると、相手構わずにその人の方に身を乗り出して、抱かれてしまう赤ちゃんがいます。このような赤ちゃんは、抱かれ心地を知ってはいるけれど、信頼感の持てる家族がいないということを表しています。


 この場合の兆候は、生後二カ月目の微笑にすでに現れます。子どもが好きで、赤ちゃんをあやすことの多い母親の場合には、よく笑う赤ちゃんになりますが、そうでない場合には、すでに五カ月ごろから微笑が少なくなるのです。


 これらのことは、乳児院で育てられている赤ちゃんについて研究されてきました。古い時代の乳児院では、看護婦さんが保育していました。看護婦さんは、食事やおむつ交換など、からだの子育てについては習熟しているのですが、赤ちゃんをあやしたり遊んだりすることには考え及ばず、またその時間もありませんでした。しかし、それでは、赤ちゃんはだんだん笑わなくなり、ついには無表情になって、大人が近づいていっても何の反応も示さず、頭を振ったり指をくわえているばかりの子どもになってしまうのです。これを、ホスピタリズム(施設病)と呼んでいます。このホスピタリズムの研究者は、このような子どもは大きくなって非行に走るようになる、とまで警告を発しました。その原因は、他人との情緒的な関係をつくり上げる能力、とくに「思いやり」の心が発達しないからです。そこで、わが国の乳児院では保母さんを採用するようになりました。それは、保母さんと赤ちゃんとの一対一の対応の中で、赤ちゃんをあやしたり、遊んだりすることによって、赤ちゃんの情緒や言葉の発達を促そうとするものでした。


 ところが、家庭において育てられている赤ちゃんにも、ホスピタリズムの症状が現れている子が増えてきました。

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