『養老孟司の人生論』
[著]養老孟司
[発行]PHP研究所
人生について、私はグズグズ考えながら、暮らしてきたわけです。それは癖みたいなもので、いまさらどうしようもないんです。行動家なら、考える前に動いてしまうんじゃないんですか。そういう人なら、もともとこんな本を読む必要がないでしょうね。
この本に書いているように、私はいろんなことを考えます。「どうしてそういうことを考えるんですか」。おかげで、よくそう訊かれます。そんなこと訊かれたって、自分でもはっきりとはわからないんですよ。
ただ、長い間、学生生活もしたし、学生さんを見てもきました。それでいえることはあります。まず第一に、ものを考えようと思うなら、問題あるいは答えを「丸めちゃダメ」だということです。「そういうものだ」と思ってはいけない。具体的にいうなら、そういうことです。
たとえば「なぜ英語で論文を書かなきゃならん」と私は思ったわけです。その疑問を避ける最良の方法は「そういうものだ」と思うことです。「論文は英語で書くものだ」、「科学とはそういうものだ」、「世間とはそういうものだ」などなど。これをやれば、あとは考えないで済みます。なにしろ「そういうもの」なんですから。
誤解しないでくださいね。「そういうものだと思っちゃいけない」。そういってるんではありません。それは疑問によるんです。「朝起きたら、なんでお早うございますなんだ」。そんなこと、「そういうものだ」と思って差し支えないんです。もちろん思わなくたっていいんですけど。
考えるためにはこだわる必要がある
疑問を丸めれば、自分は楽だし、世の中では暮らしやすくなります。でもそれをあまりやると、考えなくなります。世の中には、変なことがいつも起こるわけじゃありません。それならたいていのことは、「そういうものだ」でじつは済むわけです。それで済ませていけば、あまり「考えないで済む」。
とんでもない事件が起こると、「なぜだ」と多くの人がその時は思います。でもまもなく忘れてしまう。いつまでもそんなことにこだわっているより、ほかにすることがあるでしょうからね。「済んじゃったことにこだわっても、仕方がないだろう」。利口な人はそう考えると思います。
若いときに、東大医学部で進化に関する講義をしたことがあります。講義のあとで、秀才の大学院生にいわれました。「進化なんて、そんな、済んでしまったことを考えて、なんになりますか」。
これはいまでも覚えているくらいですから、みごとな質問でしたね。まさにそのとおりなんですよ。だからこの人は進化も考えないでしょうし、歴史に関心もないでしょうね。そのかわり、現代社会では成功する。「ただいま現在」に集中できますもの。それはそれでいいわけです。人間は現在に生きているんですから。
ものごとの打ち切り方は、いろいろあります。これもそのひとつでしょうね。とても日本人らしい。「なにごとも水に流して」ますからね。「ともあれ済んじゃったことだから」って。私も日本人ですから、この質問に感嘆したんでしょうね。
考えを打ち切らないということは、「こだわっている」わけです。ですから私は、ある面ではこだわり屋なんですよ。考えるためには、こだわる必要があります。こだわることは、世間ではかならずしも美徳じゃありません。こだわることを学問にまでするなら、徹底的にこだわるしかない。だからいつまでも古いできごとについて考えるわけです。そこでだんだん答えが出てくる。
そういうアテがなきゃ、考えませんわ。でも、いつ答えが出てくるかというなら、わからないというしかありません。「いずれ、出てくるかもしれない」。そういうしかないんです。だから大学で、だから学問なんでしょ。