『近代日本を創った7人の女性』
[著]長尾剛
[発行]PHP研究所
さて、本章に入る前にプロローグとして、ある二人の女性のドラマを対比して語ってみたい。
その二人は、ともに「日本女性」として大いなる才覚とバイタリティとを持ち合せながら、あまりに対照的に、不幸と幸福のそれぞれの道を歩んだ。
その二人の人生の差は、どこにあったのか。
それをまず確認することは、本書を、より深く楽しんでいただくために、きっと必要だと、筆者には思えるからである。
第一の女性。
遠藤清子(一八八二~一九二〇)という。
明治大正期の女流作家にして、男尊女卑の近代日本に敢然と立ち向かった婦人運動家であった。
清子は、近代女性の自立を高らかに宣言した、あの女性雑誌『青鞜』(明治四十四年創刊)の立上げメンバーの一人でもある。
直情的ながら行動力と自立心の優れた女性で、「大阪日報」の記者などを勤めながら、当時の「婦人参政運動」をリードしたりもした。
その清子が、当時の流行作家だった岩野泡鳴(一八七三~一九二〇)と心惹かれ合い、同棲を始めたのが、明治四十二年(一九〇九)。正式に結婚したのが、大正二年(一九一三)である。
この夫婦、当初こそ先駆的な思想の持ち主同士、それなりに仲睦まじかった。
が、やがて泡鳴の女癖の悪さが祟って、両者の関係はすっかり冷え切ってしまう。泡鳴は浮気相手の女の所に入り浸って、清子の待つ家に戻ってこなくなった。
ここで、お決まりの「男に虐げられる女」だったならば、ヨヨと泣き崩れてひたすら耐えるだけ。──というのが相場だろう。だが、清子は俄然、行動に移す。それこそ「泡鳴との戦い」のノロシを上げたのである。
清子は、
「私は、岩野泡鳴の『妻である権利』を法律的にも実質的にも、断固として求める」
と訴えて、夫が妻と同居することや子供の養育費(この時、両者のあいだには子がいた)を夫が負担することを、なんと裁判所に訴訟請求したのである。
これでビックリ仰天したのが泡鳴だ。元来が刹那主義者で自由恋愛主義者の泡鳴にしてみれば、自分の浮気など「悪いこと」などとはコレッポッチも思っていなかった。それで、
「男は仕事をするうえで必要となれば、妻のもとから離れることもある。