『発達障害と結婚』
[著]吉濱ツトム
[発行]イースト・プレス
相談③ 妻がADHDで部屋を片づけられない
結婚二年目の結城さん(三五)はカウンセリング・ルームに入るなり、
「妻が発達障害かもしれないんです」
と切り出しました。
「吉濱先生、これを見てください」
そう言って差し出したスマホの画面には自宅リビングの様子が映っています。ソファには雑誌が山積み。床にはたたみかけの洗濯物が散らばり、テーブルの上には汚れた食器。ゴミ箱は倒れ、ティッシュやお菓子の袋があたりに散乱しています。ゴミ屋敷とまではいかないものの、かなり散らかっていることがひと目でわかりました。
「家に帰ると、いつもこうなんです。もう疲れました……」
結城さんの妻、智恵さん(二八)は専業主婦。やさしく、おっとりした性格で、結城さんはそこに惹かれたといいます。家事が苦手でも、追いおい慣れていけばいいと思っていましたが、智恵さんの家事はいっこうに上達しないまま一年が過ぎます。
智恵さんは冷蔵庫の食材管理ができません。夫婦二人しかいないのに大量に買い込んでしまうのです。賞味期限切れの食材に結城さんが気づき、冷蔵庫の整理をするというのがいつものパターン。変色して異臭を放つ豚こま肉、半分液状になったほうれん草など、マスクとゴム手袋をしながらの作業になることもあるそうです。
料理に時間がかかり、結城さんが帰宅しても夕飯ができていないことも。いくつかのメニューを同時につくることができないらしく、味噌汁の具を煮立たせているあいだは味噌のパックとおたまを持ったまま鍋の前から動かないのだとか。
片づけや掃除も要領が悪く、テーブルを片づけるときはテーブルの上のものをソファに動かす。ソファを使うときはソファの上のものをまたテーブルに戻す。結局、何も片づいていないのですが、本人はそれなりに一所懸命やっているようです。
週末ごとに結城さんが片づけと掃除をし、三五年ローンで購入したマイホームをゴミ屋敷にしないよう食い止めています。智恵さんは妊娠中。子どもが生まれたら、ますます散らかってしまうでしょう。それより、まともに子育てができるだろうか。そんな不安を友人にもらしたところ、「もしかしたら発達障害かもしれないよ」と言われ、僕のもとを訪ねてきたということです。
結婚は「終わり」ではなく「始まり」と考える
婚活が無事成功したからといって安心はできません。結婚したら終わりではなく、むしろ結婚してからのほうが問題は山積みです。三組に一組が離婚するといわれていますが、経済力がないから離婚できないという潜在離婚カップルも多いはず。実質的に関係が破綻している夫婦は、もしかしたら半数近くいるのかもしれません。
結婚したらゲームクリアではありません。そこから新たなステージが始まるのです。おとぎ話や少女漫画では二人が結ばれてハッピーエンドという終わり方が多いようですが、結婚式の華やかなシーンを自分のゴールとして思い描いていると、結婚後に「こんなはずではなかった」と後悔することになります。
結婚生活を平和に維持するためには不断の努力が必要です。夫婦は放っておいたらもめるもの。これは発達障害であっても定型発達であっても変わりませんが、発達障害がある場合は、その症状のために、やはりもめる要因がより多く存在します。
発達障害のある夫婦がうまくやっていくためには、まずお互いの発達障害の特性を理解することから始めましょう。
本章では、発達障害を持つ夫婦が陥りやすい危機について解説していきます。幸せな結婚生活を送るためにも、実情を知っておきましょう。
わかってもらえないことで自信を失う「カサンドラ症候群」
カサンドラ症候群というのは、アスペルガーのパートナーと情緒的な結びつきを築けないために生じる身体的、精神的症状のことです。アスペルガーの夫を持つ定型発達の妻に発症するケースが多く、コミュニケーションがうまくいかない、わかってもらえないことで自信を失ってしまいます。
症状としては片頭痛や無気力、自己評価の低下、パニック障害、抑鬱などがあります。カサンドラ症候群に悩む人の書籍が出版されたり、ブログが話題になったりと、アスペルガー症候群の伴侶を持つ者の二次障害として関心を集めるようになりました。
カサンドラというのはギリシャ神話に出てくるトロイの王女です。太陽の神アポロンの恋人カサンドラはアポロンから予知能力を与えられます。
しかし、その能力によってアポロンに弄ばれた末に捨てられる運命にあることを知り、アポロンのもとを去るカサンドラ。それに怒ったアポロンは「カサンドラの予言を誰も信じない」という呪いをかけてしまいます。