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お江戸の職人(エリート) 素朴な大疑問 今に伝わる「技」から「粋」で「いなせ」な暮らしぶりまで
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雑学
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第5章 装う

『お江戸の職人(エリート) 素朴な大疑問 今に伝わる「技」から「粋」で「いなせ」な暮らしぶりまで』
[著]中江克己 [発行]PHP研究所


読了目安時間:27分
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紺屋 〓 藍染を中心に



 江戸庶民の普段着は、(あい)(ぞめ)のものが多かった。腹掛や(はん)(てん)などの仕事着、のれんなど、みんな藍染だった。


 腹掛というのは、紺木綿でつくったもので、背部は細い共布を斜め十文字に交差させて留める。前面下部に(どんぶり)をつけた。いまでいえばポケットである。この腹掛は、職人が半纏の下に着た。


 このような藍染(紺染)をする職人が紺屋で、江戸では神田紺屋町(千代田区神田紺屋町)に多くの職人が住んでいた。


 神田紺屋町は慶長年間(一五九六~一六一四)、徳川家康が幕府御用の紺屋頭土屋五郎右衛門に、軍功として関八州、伊豆の藍買付を許し、この地を賜わった。藍染職人が集まって住んだことから、この町名がついた。


 紺屋は、もともと藍染専門の職人をいったが、のちに染物屋の総称となった。一般的には「こんや」だが、江戸庶民は「こうや」と呼んだ。

「青い手を付いて二三日言い延べる」

明後日(あさつて)は出来ますこいつ青い嘘」


 約束があてにならないことを「紺屋のあさって」というが、藍染が天候に左右されやすい仕事だったことから出たことわざ。


 川柳にはそのように、仕上がり期日が守れず、日延べをしている場面を詠んだものが多い。


 藍染に使われるのは、主に阿波(徳島県)産の(たで)(あい)だった。


 七、八月ごろに蓼藍の葉や茎を摘み、細かく刻んで積み上げ、水をまいて発酵させる。三か月ほどかけて発酵させたあと、レンガ状、あるいは大きな丸餅状にして()し固める。これを「〓(すくも)」といい、染料となる。


 紺屋の仕事場には、大きな(あい)(がめ)が埋め込まれている。通常は四個を一つの単位とし、まんなかに火壺を埋めて加熱するのだ。


 この藍甕に〓を入れ、石灰や(ふすま)、水などを加え、よくかき混ぜながら発酵するのを待つ。染めに使えるようになるまで十日ほど要するが、その間、藍液の調子を見て、かき混ぜる。


 糸を染める場合、糸の束を藍甕に静かに、むらなく浸けていく。つぎに糸の束をゆっくり引き上げ、染めつきを見ながら強く絞る。


 はじめ黄土色をしていた糸が空気に触れ、酸化して黄緑色となり、やがて鮮やかな青色に変わる。のれんのような濃紺に染めるには、染めては乾かすという作業を何度も何度もくり返さなければならない。

「同じ色どの紺屋でも染めて干し」

「紺屋では千の矢先の掛けはずし」


 糸を干す場合は、糸の束を広げ、竿に通して干す。しかし、布の場合は「(しん)()」といって、竹製の串の両端を(とが)らせたものを布の両縁に刺し、布を広げて干す。その伸子を「矢先」に見たてて、その跡が千もあると詠んだ句。


 職人の手も真っ青に染まるし、力も必要だからたいへんな重労働である。それに美しく染めるには、気持ちも平らでなければいけない。苦労は多いが、やりがいのある仕事だった。


型付師 〓 糊の加減が決め手



 着物に模様をつけるには、白生地に手描きするか、糸を染め分け、色糸で模様をあらわす。ほかに型染といって、白生地に型紙を置いて染める方法とがある。どちらかといえば、型染は量産向きで、値段も安くなる。


 模様の大きさによって「大紋」「中形」「小紋」と称されるが、中形は浴衣(ゆかた)に多用されたため、浴衣の代名詞ともなった。


 型紙は()()きの美濃和紙に柿渋を塗り、たてよこ交互に三~四枚を貼り合わせ、よく乾燥させてから彫る。


 型彫職人は自分で多様な刃物をつくり、それを使い分けてさまざまな模様を彫った。


 もっとも細かい柄を「極紋」というが、これは一寸(約三センチ)角に千個以上の穴があけられるというから尋常ではない。


 有名な産地は伊勢の(しろ)()(三重県鈴鹿市)で、型紙商人は全国へ売り歩いた。


 江戸の型付師は、この伊勢型紙を使って染めた。型染職人が型付師ともいわれるのは、布の上に型紙を置き、(のり)をへらで付けていくからだ。あたかも型を付けていくように見えたからである。


 型付は「長板」という板のうえでする。長板は長さ十七尺(約五メートル)、幅一尺二寸(約四十センチ)、厚さ六、七分(約二センチ)の一枚板で、これは浴衣や着物の一反分の半分の長さだ。それだけに型付師の仕事場は広い。布はぴったりとずれや隙間がないように、板に張る。


 そこへ、型紙を置き、防染用の糊を(へら)できっちりと摺り込む。型紙には目印がついているから、それに合わせ、模様がずれないようにして型紙をつぎに移して、また糊をつける。これをくり返していく。糊は(もち)(ごめ)を茹でて生糊をつくり、そこへ石灰、米(ぬか)、赤い顔料を加える。長年の勘で糊の加減は天候を見て変える。


 型の上から糊を付けると、染め上がったときにその部分だけ白く残る。だから型を送っていくときに少しもずれがないよう、細心の注意が必要だ。


 台の高さは七十センチほどなので、職人は一日中、腰を屈めた状態で仕事をしつづける。

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