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お江戸の職人(エリート) 素朴な大疑問 今に伝わる「技」から「粋」で「いなせ」な暮らしぶりまで
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雑学
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第6章 おしゃれを演出する

『お江戸の職人(エリート) 素朴な大疑問 今に伝わる「技」から「粋」で「いなせ」な暮らしぶりまで』
[著]中江克己 [発行]PHP研究所


読了目安時間:25分
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髪結師 〓 多様な髪形



 (かみ)(ゆい)は男の仕事で、客もほとんどが男である。それというのも、女は自分で髪を結うのが当たり前で、結えなければ母親にしてもらうか、同僚にしてもらった。


 髪結師の朝は早い。朝風呂に浸かって髪を結い、仕事に出かける江戸っ子が多かったからだ。仕事のやり方には、自宅で髪結床を開く「(うち)(どこ)」、道端や橋のたもとで小屋掛けでする「()(どこ)」、武家や商家の得意先を回る「廻り髪結」という三つがあった。


 人気のある髪結師は忙しく、自分の髪はかまっていられないほどだった、という。

「髪結の結ってばか行く気の毒さ」

「髪結は十三日の姿なり」


 十三日とは十二月十三日、(すす)(はらい)の日のことだ。正月を迎えるために大掃除をするから、着ているものも、手や顔も汚れてひどい。髪結は人の髪ばかり結っていて、自分はひどい恰好をしているという句だ。


 髪結床は腰高障子に()()や達磨の絵が描いてあるから、すぐわかる。職人は親方と呼ばれ、助手が一人か二人いて、手ぎわよく仕事を進めていく。


 客に扇のような形の()(うけ)(板)を持たせて、(さか)(やき)を剃り、その毛受に毛を落とす。つぎに髪を解き、顔を濡らして(ひげ)を剃り、(まげ)を結い直して終わる。

「髪結のたれを地紙(毛受)で受けている」

「紺屋のあさって髪結のたった今」


 紺屋の仕事は天気に左右されるので、「いつ出来る?」と()かされると、「あさってには」といい抜けて、あてにならない。しかし、髪結は、「はい、たった今」(すぐにできます)、と答えた。

「髪結はにきびを抜くが御まけ也」


 髪結の料金は二十八文(約七百円)が相場だったが、文化年間(一八〇四~一七)には三十二文(約八百円)に値上げされた。式亭三馬の『浮世床』(文化十年=一八一三刊)には、隠居が値上げしたことを知らず、二十八文を持ってきてからかわれる様子が出てくる。


 その後、天保年間(一八三〇~四三)には髪結床が増えたため、二十四文(約六百円)、二十文(約五百円)と値下がりした。しかし、幕末には四十八文(約千二百円)、五十六文(約千四百円)と、はねあがった。


 相場は決まっていたが、特殊な頭は別料金だったという。

「髪結は本田を母に断られ」

「髪結は年の寄るほど締まりかね」


 息子が「流行りの本多髷を」といっても、母親に「なりません」といわれることもあった。また、年輩の客の薄い毛髪で髷を結うのは一苦労だ。

「髪結も百に三つは骨が折れ」


 癖毛の客も百人に三人くらいはいたらしい。これを結うのは並大抵の苦労ではなかった。

「髪結は元結いを巻くと腰をのし」


 元結いを巻いて、ひと息を入れる。髪結職人は同じ姿勢が続き、骨の折れる仕事だった。


女髪結師 〓 女性専門の髪結



 女性を相手に髪を結う人を女髪結師といった。この仕事についたのは女たちである。女性のファッションやヘアスタイルは目まぐるしく流行が移り変わるが、これは江戸時代も同じだったらしい。


 初期は長く艶やかな黒髪が主流で、下げ髪にしていたり、一つに束ねたりしていた。やがて女性が活動的になるにつれ、じゃまになったのか、ぐるぐると(こうがい)に巻き付けるようになり、(まげ)を結うようになった。


 当初、女性は自分で髪を結うのが当たり前で、それは「女の身だしなみ」とされていた。しかし、髪形が多様化し、複雑になってくると、自分の手に負えない。そこで、宝暦年間(一七五一~六三)ごろ、女髪結師が誕生した。当時、数少ない女性の職人だった。


 女髪結師の服装は(くろ)(えり)(しま)という地味なもので、前垂れをしていた。彼女たちは、店をかまえるのではなく、道具箱をもって得意先をまわり、仕事をした。そのため、「廻り髪結」ともいわれた。


 代金は五十文(約千二百五十円)から三十二文(約八百円)程度だったが、幕末に百文(約二千五百円)に高騰した。


 こういえば、女髪結師は儲かるいい仕事と思えるが、そうではない。いくども転業命令が出されたのである。


 女性が銭を払って髪を結わせること自体が贅沢だとして、天保十二年(一八四一)には禁止令を出した。しかも、女髪結を営業している者は百日の入牢、親や夫は罰金三千文(約七万五千円)か、三十日の手鎖というきびしい罰を定めた。


 しかし、取締りがゆるむと、女髪結師が増え、髪結代も十六文(約四百円)に値下がりした。こうしたきびしい時代を経て、女職人としての道を切り開いてきたのである。

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