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「和魂英才」のすゝめ
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教育
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第五章 「和魂英才」教育の実践

『「和魂英才」のすゝめ』
[著]都築仁子 [発行]PHP研究所


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「和魂漢才」と「和魂洋才」の知恵



 日本に漢字が伝わったのは四世紀後半だと言われていますが、それ以前から日本には大和言葉がありました。文字があったかどうかは不確かですが、話し言葉はあり、それが伝承されていたのです。そこに漢字が伝わり、当時の日本の知識人たちによって、大和言葉に漢字を当てはめる作業が行われたのです。その中で万葉仮名が発明され、漢字を応用して片仮名や平仮名も生まれました。


 奈良朝も平安朝も、漢字で書かれた漢学が当時の教養人の学問で、漢学のエキスパートと言えば、空海や聖徳太子ももちろんですが、菅原道真公をおいてほかにはありません。当時は藤原摂関家全盛の時代で、菅原氏は家柄から言えば亜流ではありますが、(もん)(じよう)博士、右大臣まで出世し、天皇親政を望まれていた宇多天皇、(だい)()天皇に認められたのですが、藤原時平の讒言に遭って失脚し、筑紫国に下ることになります。


 その道真公が、もうこれ以上遣唐使を派遣しないと決めた理由は、「唐がすでに衰えていて、これ以上学ぶものがないという以上に、むしろ易姓革命思想が日本国へ波及することを危惧してのこと」だと思われます。ところが最近、道真公の遺訓であると言われている『(かん)()()(かい)』について、いろいろなことがわかってきているのですが、同書に「和魂漢才」という言葉が初めて登場します。


 和魂漢才とは、和魂、すなわち和の精神や大和心を持って、漢学、すなわち当時最先端だった中国の学問を学ぶべきだという考え方です。これと同じ主旨を、遣唐使が八九四年に中止されて百年後に、紫式部は『源氏物語』の「乙女」の巻にある夕霧の教育論の中で、「なほ(ざえ)(もと)としてこそ、大和魂の世に用いらるる(かた)も強う(はべ)らめ」と述べているのです。


 紫式部の父である藤原為時が漢学者で、彼女自身も、当時の高位の女官である女房たちの中でも「()(ほん)()(つぼね)」と言われたほど漢学が得意で、兄の藤原(のぶ)(のり)よりも博学だったと言われています。その意味で、紫式部は仮名文学の天才だっただけでなく、幼少の頃から唐の詩人・白楽天の歌集である『白氏文集』をはじめとする数多くの漢籍に通じていたほど、父親譲りの才能を持っていたのです。


 実際、『源氏物語』の中には主人公の光源氏が、道真公が太宰府に流されたときに詠んだ漢詩の一説を口ずさむ話が出てきます。


 先にも述べたように、平安時代に遣唐使が廃止されたあと、日本の風土に根ざした国風文化が興り、仮名文学が盛んになるわけですが、「和魂漢才」の思想はその後もずっと受け継がれ、江戸時代には(けい)(ちゆう)や本居宣長などによって国学の体系が確立されていきます。宣長は「敷島の 大和心を人問はば 朝日ににほふ山桜花」と詠んでいます。


 国学の中心をなすものは和魂、大和心、大和言葉です。士族、すなわち武士も漢学の素養を身にはつけましたが、大和魂を疎かにはしませんでした。むしろ大和魂こそが士族の心であり、漢詩漢文や四書五経も学ぶのですが、それはあくまで教養、学問としての話です。つまり、漢学は学識として学ぶのであって、魂、心は変わらないというのが日本精神なのです。


 そしてさらに時代が下り、幕末にはアメリカをはじめとする欧米列強が武力を背景に開国を迫り、このままでは日本国が滅びてしまうかもしれない脅威の中で、明治維新を迎えます。こうした歴史の流れの中で、政治家をはじめ知識人たちは、この国難をどうやって乗り切ればいいのかということを考え続けました。明治天皇の五箇条の御誓文にも「智識を世界に求め、大に皇基を振起すべし」と書かれていました。そして、夏目漱石や森〓外などの文学者をはじめ、初代文部大臣として教育制度の改革を進めた森(あり)(のり)などの当時の知識人たちが思索を深め、先人の知恵を応用したのがいわゆる「和魂洋才」という思想です。幕末に有為の人材を数多く育てた松下村塾もそうでしたが、明治の日本は、和魂漢才の「漢才」を「洋才」に転回して、国史上の危機を乗り切ってきたのです。


 外来のものは術、ツールであり、科学技術も術として受け入れる。しかし、それで日本を根底から変えてしまうのではない。譲れないものは和の魂であり、これだけは有史以来守り続けてきたものだという思想なのですが、これは(かん)(なん)の果てに巡りついた、明治新政府の大英断だったと思います。


今こそ日本に必要な「和魂英才」の精神



 このように、「和魂漢才」と「和魂洋才」による外来文化の受容が二回行われてきたのが、日本の歴史だと言えるでしょう。


 ところが戦後の日本は、安岡(まさ)(ひろ)先生のご功績が偲ばれますが、日本国憲法をはじめとして、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の政策によって変えられたものを是正することができませんでした。その潮流から、国旗の「日の丸」の旗を掲げてはいけないとか、国歌の『君が代』を歌ってはいけないという自虐的な雰囲気が、「日教組」をはじめ教育の現場に長い間あったのは否定できない事実だと思います。


 しかしながら一方で、和の精神や協調の精神、利他の精神など、日本の伝統的な価値観は、依然として庶民の底流には存続していました。何もかもをアメリカ流に変えようとする流行を疑問視する雰囲気もありました。


 あの東日本大震災を機に、お互いに助け合う和の精神や思いやりの心など、日本の精神性の高さが改めて強調されるようになり、海外からもそういう日本精神の素晴らしさが評価されるようになりました。

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