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(2021/11/26 追記)

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名所・旧跡から食文化・風習まで 一見さんのための京都の流儀
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旅行
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第四章 “京都らしさ”を作るもの

『名所・旧跡から食文化・風習まで 一見さんのための京都の流儀』
[編]京都しあわせ倶楽部 [発行]PHP研究所


読了目安時間:29分
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「ゆか」か?「とこ」か? 



 鴨川に(ゆか)が出ると、夏が始まったなと感じさせられる。北は二条通、南は五条通あたりまで、約百もの床が並ぶ。


 以前は七月になり、暑さも本格的になってきた頃、「待ってました」という感じで床が登場したものだが、今では五月一日が床開きとなっている。


 確かに初夏を感じさせる日もあるが、まだ夕方になればすっと冷える時期でもあり、ゴールデンウイークがあければ比較的予約がとりやすい時期でもある。ただし天候によってはまだうすら寒いこともあるので、はおれる一枚は持ってのぞみたい。


 梅雨の六月は、床を狙うには難しい時期である。せっかく予約したその日、雨が降れば床はお休み。


 床のつもりで食事を予約したのだから、床でないならキャンセルする、割引をしてほしい、という要望はナシというのが決まりごと。そこらへんは、自然が相手なので仕方がない。そのままならなさも含めて楽しむのが床といえる。


 七月、八月は床のハイシーズン。予約の最もとりづらい時期である。しかも、盆地特有の蒸し暑い京都の夜、鴨川の風に吹かれて涼みながら快適な床ディナー……というイメージは若干裏切られるかもしれない。


 猛暑続きの昨今では、日が落ちて床に出ても、日中の熱が冷めやらず、なかなか涼しさを感じるまでに至らないことも多いからだ。


 ランチなどをやっているお店なら、日差し対策は必至。風のない日などは、「アスファルトの路上よりはマシかも」と自らをなぐさめるほかなく、快適さという点では、冷房の効いた室内から床を眺めつつ食事をするほうが床を楽しめるのかもしれない。


 それでも川音を聞き、わずかな風に涼を感じる風情は、夏の間に一度は味わいたい風物詩である。



 鴨川に開かれる床は正しくは「鴨川納涼床」というが、今の床は実は鴨川の上にはかかっていない。


 床はちょうど店舗の二階からベランダのように大きく()り出した高床式になっていて、その下を流れているのは(みそそぎ)川という。鴨川の治水対策として護岸工事がなされた折、高瀬川に水を引くために新しく開削された川である。




 鴨川の床は、ちょうどその上に立ち、鴨川を眺めるようにできている。


 昔の写真などを見ると、鴨川は店の軒下いっぱいまで流れていた。洪水などで荒れることも多い鴨川に、現在のような常設の床を設けても流されるため、暑い時期に浅瀬や中州に持ち運びできる(しょう)()を並べて客をもてなしたのが納涼床の最初の頃の姿だったという。


 蒸し暑い京都の夏であっても、手足を流れにひたしながらであれば、今よりはずっと涼を味わえたのかもしれない。


 ところで、この「床」を時として「とこ」と読んでしまう人がいる。「大文字焼き」と並んで、京都での言い間違いタブーの代表格である。

「やっぱり鴨川の“とこ”は風情があるよねぇ」


 などとしたり顔で言った日には、そういう人だと判断され、おもてなしも「それなり」の扱いになってしまうかもしれない。しっかり覚えておきたいものである。



 床といえばもう一カ所、京都の奥座敷といわれる()(ぶね)が名所である。


 標高も高く、木々に覆われた山の中は市内よりぐっと気温が低くなる。鴨川の床よりも水面に近く、流れも速いため、まさに納涼といった気分。こちらは真夏でもひざかけなどを用意しておいたほうがいいくらいだ。


 ところがややこしいことに、この貴船川の流れの上に張り出した座敷のスペースは、「川床(かわどこ)」と呼ぶのがならわしなのである。川の上に床の間を(しつら)えたような状態だから「かわどこ」というそうだ。


 同じように夏、川の上で楽しむ席だが、「ゆか」と「とこ」の呼び分けは注意しておきたいものである。


斜めの道

“碁盤の目”が崩れるわけ 



 かつて、京都の町には市電が走っていた。


 日本で最も早く、一八九五(明治二十八)年二月に、塩小(しおこう)()高倉(たかくら)(ふし)()(しも)油掛(あぶらかけ)(ちょう)間で営業を開始し、一九七八(昭和五十三)年九月に全廃されるまで、市民の足となり大活躍した。環境保護などの面から世界的に路面電車が見直されている昨今、市内の交通網としても、観光のポイントとしても、「なんで廃止したのかなぁ……」と今となっては惜しむ声が大きい。


 この市電、明治維新で(みやこ)としての地位を東京に奪われた京都を地盤沈下させてなるものかと、百年後も栄える京都を目指して計画された「京都市三大事業」の一つ(他の二つは、第二疏水の開削と発電事業を行なう水利事業と、上水道事業)。


 都大路はもともと東西と南北に直線の道が走っているのだから、その道幅さえ広げれば効率よく電車を走らせることができたはず。ところが市電の()(せつ)をきっかけに、京都に不思議な“斜めの道”が生まれることになる。そんな効率論をはね返すだけの強いものが、京都にはいろいろとあるからである。



 たとえば烏丸(からすま)通と堀川(ほりかわ)通。現代の京都を縦に貫く大動脈であるが、どちらも五条通より下がるにつれて、斜めになっていく。一部は急カーブというべき状況だ。なぜ曲がるのか、横を見ればこれは一目瞭然。

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