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わたしの古事記 「浅野温子 よみ語り」に秘めた想い
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エンタメ
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Prologue

『わたしの古事記 「浅野温子 よみ語り」に秘めた想い』
[著]浅野温子 [発行]PHP研究所


読了目安時間:10分
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はじめに ──今、『古事記』をよみ語るということ


 親に反対されて駆け落ちするカップル。たび重なる夫の浮気に嫉妬し、苦しむ妻。ドロドロの離婚劇を展開する夫婦。不美人ゆえに男性に拒絶された娘……。はるか千三百年前の『古事記』のなかに、こんな話があることを、皆さんご存じでしょうか?


 まさに現代社会に渦巻く人間模様と同じ世界がそこに描かれていると私が知ったのは、十余年前でした。最近ではだいぶ世の中に浸透している『古事記』ですが、十年ほど前は、まだそれほど一般的に親しまれている本とは言えなかったかもしれません。私にとっても、それはあくまで学問の(はん)(ちゆう)にあり、敷居が高い書物という感覚でした。ところが、あるきっかけから、『古事記』が急激に身近なものになっていったのです。


 話は少々昔に(さかのぼ)りますが……。


 私は十代の頃から、映画やテレビドラマといった映像分野でずっと仕事をしてきました。それが三十七歳のとき、初めて舞台を踏みました。演出家から「今の年齢でやっておかないとできなくなる」と言われて、チャレンジする気になったのですが、実際に取り組んでみると、それまで映像で(つちか)ってきた芝居の経験はまるで通用しませんでした。


 やり直しのきかない舞台は日々緊張の連続。あるとき、頭が真っ白になってセリフを忘れてしまったのです。相手役の方が機転をきかせて助けてくれたものの、「できない」ことの悔しさを痛いほど味わったと同時に、以来、舞台に立つことが怖くて仕方なくなりました。


 しかし、その悔しさが、次のステップへの引き金になりました。私は、舞台への恐怖心を克服するために、さらなる恐怖心を自分に与えようと考えたのです。そして一人で舞台に立って“何か”を表現することにチャレンジしようと決めました。


 ただ、それまでの女優人生で、自分から発信して企画しようと思ったことがなかったので、何を表現すればよいのかという基本テーマから模索していきました。子どもの頃から読書が好きだったので、自分の好きな本を読んで、紹介することを思いつきましたが、好きな本がありすぎて迷いに入ってしまいました……。


 題材となる書籍を探していて、気づいたこともありました。私が十代の頃には名作と言われた小説が、書店からどんどん消えていたのです。ほんのわずかな時間経過で、日本人の貴重な財産である書物がなくなってしまう。これをつないでいくにはどうすればいいのかと考え、ふと、日本人作家が書く(あま)()の物語のルーツがどこにあるのかに興味が向きました。それを手探りしていくうち、『古事記』にたどりついたのです。これが日本の物語の原点であるならば、ここに日本人の機微のルーツが網羅されているはず。私が舞台で『古事記』を取り上げることで、日本人作家の根源を表現できるのなら、これ以上素晴らしい題材はないと思えました。


 幼い頃に絵本で読んだ「ヤマタノオロチ」や「稲羽(いなば)(しろ)〓(うさぎ)」などのお話が、『古事記』神話だったことも、お恥ずかしいことにそのとき初めて知りました。遠い存在だと思っていた『古事記』が、急に親しみのあるものに思えてきました。そして、改めて現代語訳で読んでみると、かつて絵本で読んだ冒険物語やファンタジーとはまた違う世界がありました。神様の話ではあっても、今の私たちにもリアリティを持って受け止められる様々な生き方が描かれていたのです。


 そこに登場する神様たちは()()(あい)(らく)に溢れ、愛情表現も大胆すぎるくらいに大らかでした。そして、失敗もし、(あやま)ちも犯しました。また、目の前で起きている事柄に対して、徹底して向き合っていました。男と女は愛し尽くし、とことん執着し、時には嫌悪感をむきだしにしたり、激しく(ののし)り合っていました。我が娘かわいさに、娘の恋人の命を危険にさらしてまで試す父親や、嫉妬心から弟を殺そうと企て、執拗に追い詰める兄もいました。


 私たち日本人は千三百年も前から、こんなにダイナミックで魅力的な物語を伝え続けてきたのかと、誇らしく思う一方で、それが私たちの日常から消えつつある現状を危ぶむ気持ちが湧きました。そして、思ったのです。『古事記』の素晴らしさを皆さんに知らせたい、と。


 それが、私が十年前から取り組んでいる、一人語りの舞台「浅野温子 よみ語り」の原点になりました。これは、主に全国の神社の境内を会場にして、『古事記』をもとにオリジナルの解釈を加えた脚本を一人語りする舞台です。


 私が「語り」をすることで『古事記』に興味を持ってもらい、次の世代にもこの話をつないでいってもらえたら、「よみ語り」の公演を自ら企画して、動く意義があると思えました。皆さんによい話を聞いてほしいという思いが根本ですが、やはり、そこに何かしらの意味や意義が感じられなければ、自分自身おもしろくありませんし、誰かの心を動かすこともできません。自分の語りが、『古事記』という書物を後世に引き継ぐためのお役に立てるかもしれないという希望が、私の心の大きな支えとなりました。


 さて、問題は、具体的にどんな形態の語りにするかでした。私にとって大事なことは、学問でもカルチャーでもなく、物語として『古事記』を楽しんでほしいということでした。そうでなければ、多くの人々の日常に『古事記』を残したいという望みも叶いません。そこで、『古事記』の知識がなければ理解できない原文を読む形はやめようと思いました。いろいろな現代語訳も読んでみましたが、どれも耳で聞いただけで理解できる内容だとは思えませんでした。そのために、誰にでもわかりやすい言葉で書いてくれる作家が必要でした。


 さっそく既存の作家や脚本家に当たりましたが、なかなか受けてくれる方がいませんでした。結局、若い頃からインタビューを通して付き合ってきた、雑誌のライターにお願いすることになりました。それが、今の“相方”阿村礼子さんです。彼女なら私の意図するところを理解し、私の考える世界観を形にしてくれると思ったのです。そこから、「一人語りの舞台脚本」という、未知のジャンルへの手探りが始まりました。


 初めは脚本の方向性を模索しながら、二人で話し合いを重ねました。細かいストーリーを具体的に決めていく作業ではなく、『古事記』のエピソードから何を読み取ったかを、一つひとつ徹底的に話し合ったのです。たとえば「イザナギ・イザナミ」については、男女の愛憎、離別の問題、また女性の美醜をどう(とら)えるかといった話にまで広がりました。どのエピソードも現代人の日常と深く関連するテーマで、それを脚本に投影させられれば、現実とはかけ離れた神様世界のお話も、身近な感覚で受け止めてもらえるはずだと実感しました。


 本書は、ある意味で、そういった脚本作りの過程で私たちが語り合った、数々のテーマの記録とも言えるかもしれません。今回はそのなかから五篇を選び、今の私が新たに汲み取ったテーマも含めながら述べさせてもらっています。


 こうして、改めて『古事記』と、そして、そこから生まれた「よみ語り」の脚本と向き合うことで、愛する力とは何か、生きる知恵とは、また復活の意味についてなど、私自身、もう一度深く考えるよい機会となりました。皆さん、特に現代女性の身近な問題にリンクするテーマも多いので、何かヒントを〓(つか)んでいただけるのではないかと思います。


 ところで、役者にとって必要不可欠なことは、役柄の根底にあるものを深く読み取ることです。「よみ語り」では一人で全部の役を演じるので、一演目ごとに何人もの人物像を理解しなければなりません。一つひとつの役を掘り下げ、突き詰めていくと、自ずとキャラクターへの理解が深まり、思い入れが強くなります。そういった作業を十年続けてきたことで、キャラクターの性格や環境、立場ごとにものの見方や感じ方が違うこともわかりました。


 最近、この経験が自分に大きな影響を与えていることを感じます。芝居をする際、共演者の役柄の気持ちまで深く想像するようになったのは大きな変化でした。以前は自分の役柄、一方向から相手役のことを考えるのが精一杯でしたが、「よみ語り」を始めてから、ほかの役柄の有り様がつぶさに見えるようになりました。相手役からかけられるセリフのひと言も、それまでは感覚的に受け止めて納得していたのが、この人は自分とどんな関わりを持ち、何に悩み、何を訴えようとしているのかと、見えない設定に想像を巡らすようになりました。


 役者としてだけでなく、たとえば一緒に仕事をする相手に対しても、その人の背景を想像したりします。「この人の今の発言は、個人の立場ではなく、会社組織の一員として言わざるを得なかったのだろうな」などと考えて、「それも仕方がないかもしれない」と思うようになりました。以前は、他人との衝突が多かった私が、最近は、「あら、こんなにものわかりがよかったっけ」というくらい丸くなった(!?)……と自分では思っているんですけどね。とにかく一人語りのおかげで、人間的に少しは許容範囲が広がったと思います。


 加えて、「よみ語り」の登場人物は皆、不完全ですが、懸命に前に進もうとしているし、善良で心優しいキャラクターばかりです。全員が何かしら確かな信念や理由を持って動いているので、結果的に間違った方向にはいきません。そういう役柄を演じていると、自分の思考もその方向に引っ張られていくようです。人間、悪意にさらされていれば悪くなりますが、善意に囲まれていると、自ずと善意で物事を捉えるようになるものですね。仕事場でつい不満をぶつけたりしたときも、「今の私って悪い子ちゃん?」と、すぐに自分を(かえり)みるようになりました。もちろん「清く正しく」なんて、とても難しいことですが、「よみ語り」と向き合うことで、間違ったり失敗しても、次によい方向に持っていこうと前向きに考えられるようになったと思います。これはやはり、役柄を通して神様たちに囲まれていることの恩恵ですね。

「よみ語り」の舞台に立つとき、私は、語りを通して伝えたいメッセージや思いを、できるだけ皆さんの心の近くに届けようと努めています。普段は語ることでお伝えしようとしていることを、文章に表すのは難しいですが、この本が皆さんにとって、少しでも前向きに生きていこうと思うヒントになったり、くじけていた気持ちがほんのちょっと元気になって、次のステップへの足がかりになったとしたら、これ以上嬉しいことはありません。


 私が「よみ語り」を通して語る物語は、『古事記』そのものではなく、『古事記』に興味を持ってもらうための水先案内のようなものだと思っています。「よみ語り」が入り口となって、『古事記』を手に取る方が一人でも増え、そのおもしろさをまた次の誰かにつないでいっていただくことができたら、最高に、幸せです。


 なお、脚本に添えた花の写真は、私がこれまで日常のなかで、携帯電話のカメラで何気なく撮ってきたものです。本文とあわせて楽しんでいただけたら何よりです。

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