◎「道」は堅苦しいものじゃない
さてと。ここまでで、僕らは「道」という考え方を体のなかに伝統的に持っていることがわかったね。それが僕らの武器である、と。あれっ? もしかして、
「なんか、“道”ってたいへんそうだなぁ」
「日本人って、堅苦しい形式ばっかり大事にしてきたんだなぁ」
と思った人がいるかな? ノー!!
「道」というのはなにも「堅苦しさ」ってことじゃないんだよ。ぜんぜん違うの。
キミはひょっとして狭い細道を想像したんじゃないの?
違う、違う、平均台や綱渡りじゃないんだから。もっとおおらかな感じなんだよ。道幅が広〜い道。目的地に着くためには、その道のどこの部分を通ってもいいんだよってくらい広い道なんだ。そんな道をイメージしてほしいな。
はやりの言葉でいえば、ブロードバンドってヤツさ。大通りも大通りですよ、もう十車線くらいの道。これを頭のなかに思い浮かべてほしいね。
ほら、あまりにも広い道だからこそ、ひどいことをしてはみ出してしまった人間は、
「道にはずれるようなことをするな!」
と怒られるでしょ。でも、言われることはめったにないはずだ。あれは最終警告だよね。それぐらい「道」は広い。
まぁ、そんなわけで、「道」の広さを実感できる話をしてあげようと思います。
◎日本人のよさは、のんきなところ!?
明治維新のあとに日本に来て、こっちで英語の先生をやりながら、日本を海外に紹介した作家、ラフカディオ・ハーンの話を聞いてみよう。
彼はギリシア生まれなんですが、日本人の女性と結婚して日本に帰化し、小泉八雲という名前になった。そっちの名前のほうが、いまでは有名だ。帰化というのは、外国人が国籍を変えて新たにその国の人になることです。
ハーンさんは、
「日本人のよさは、深刻さに欠けることだ」
と『日本人の微笑』という文章のなかで書きました。