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消えるコトバ・消えないコトバ
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ルポ・エッセイ
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岡目八目

『消えるコトバ・消えないコトバ』
[著]外山滋比古 [発行]PHP研究所


読了目安時間:5分
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 ある生徒が、ちょっとした問題をおこした。学校では保護者を呼んで注意することにした。そんな呼び出しに出ていくのはいやだから、いちばん可愛がっている、おばあさんが出頭することになった。


 おばあさんは、はじめから怒っていた。

「うちの孫にかぎって、悪いことをするはずがない。きっと、悪い友だちに、そそのかされたことにちがいありません」


 といったことを繰り返して、一歩もひかない。

「その友だちは、何ていうのですか。黙ってはいられない……」


 などというばかりで、手がつけられない。


 おばあさんは孫をいちばんよく知っていると思っている。そんな悪いことをしたりする子ではない。かりに、したとすれば、悪いのに引きずり込まれてやったこと。その子たちをつかまえて叱ってください、などということをくどくどのべ立てて、学校を困らせた。


 おばあさんは、決してウソを言っているのではない。おばあさんの目からすると、孫は実にやさしい子で、気が弱い。強く言われると、否と言えないかもしれない。それで仲間に引き入れられ、バレると、ひとり責任を負わされたのだ。そう思い込んでいる。


 うちうちのこどもである。なんでもわかっているつもりだが、その実、見て見ないところがある。それが一緒にくらしているものの目には入らない。ある先入観があって、それに合致するものは目に入るが、それから外れるものは、目に入らない。


 つまり、可愛いところだけを見ているのである。それでいて、いちばん近くにいるのだから、いちばんよくわかっていると信じている。


 第三者である人たちには明々白々のことが、当事者、あるいは当事者にごく近い人には目に入らない。気に入らないところは見ないからであろう。見えないのである。それで当事者と第三者で、見方が大きく異なる。異なるどころか、正反対ということがすくなくない。


 言うまでもなく、第三者の見方の方に客観性が高いのだが、当事者の信念はそれを拒むのである。


 昔のことわざに、

「知らぬは亭主ばかりなり」


 というのがある。もとは、

「町内で知らぬは亭主ばかりなり」


 だった、という。


 女房が浮気をする。とんでもないことで世間の噂は広まる。ところが、いちばんの関係者である亭主は、いっこうにご存知ない。それを皮肉ったもの。


 いちばんかかわりあいのあるはずのものが、まるで知らない。それを世間はいちはやく噂にする。


 近くにいるために、かえってわからなくなっていることがあるのは、人間の皮肉である。人の言うことは当てにならないというが、他人の噂の方が本当であることがすくなくない。


 亭主はダマされているのではない。知りたくないことだから、耳に入らないだけのことである。


 近くのことは、案外、遠くのことより見えにくいことがある。人間の目は、遠くを見るには都合よくできているが、自分を見ることができない。


 灯台もと暗し、というのも、近いところははなれたところより見えにくいことを言ったことわざである。はなれたところのものを照し出すことのできる灯台が、真下のものには光が届かない。その不思議に気づいた人は、アウトサイダー思考を心得ていたのである。


 囲碁の対局がある。


 それを盤側で観る人がいる。その観戦者がいろいろなことを考える。ときには口に出す。それが、対局者よりもツボにはまり、いい手だったりする。観戦者がうわ手であるわけではない。局外者であるために、対局者の見えないところが見える。岡目八目。


 一目で勝ち負けのきまる囲碁において、八目とはたいへんな強みである。局外者であるためによって、その力をもつことができる。


 アウトサイダーであるのは、優位に立つことである。客観的に判断できるからである。


 スポーツにおいても、選手がコーチや監督をもつのは、自分だけではわからないところを、見てもらい、教えてもらう必要性を知っているからである。


 ひとりだけで練習していてはわからないことが、コーチにはわかる。


 コーチ自身が名選手だったりする必要はない。むしろ、平凡な選手だった人の方が、すぐれたコーチになる。


 名選手がコーチ、監督をすると、どうしても第三者の立場を失いやすい。自分も選手と同じような立場になれば、コーチの力がなくなる。


 岡目八目のようなアドヴァイスを出すことのできる人をもつことはすばらしいことで、その好運にめぐまれるのはきわめてすくないと言ってよい。



 アウトサイダーとインサイダーがある。


 普通、一般に、インサイダーの方が強力であるように考えられるが、つねにそうであるとは限らない。


 アウトサイダーの方が強力であることがすくなくない。インサイダーが優勢な会社と、アウトサイダーが有力な社会が共存していることを、われわれは、いまなおはっきりさせていないように思われる。


 インサイダーの思考は点的であるのに対して、アウトサイダー思考は、線的で論理的性格がつよい。


 アウトサイダー思考が物理的であるとするなら、インサイダー思考は化学的であるといってよい。


 世界的に見ると、アウトサイダー思考、アウトサイダー論理が優先しているように見えるが、日本は地理的条件もあって、インサイダー思考が微妙に発達している。


 日本文化が情緒的であると言われるのも、インサイダー思考のつよさによるのである、論理的であるのを冷たく感じるのも同じ原理によるといってよいであろう。


 インサイダーは、安定した生活が条件である。社会構造が、内部的にも外部的にも大きく変化している現在において、アウトサイダー思考に注目するのは、むしろ、当然のことである。


 インサイダーも強いが、アウトサイダーはさらに強い。

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