『消えるコトバ・消えないコトバ』
[著]外山滋比古
[発行]PHP研究所
アメリカ人が講演するとき、細君をつれてきて、最前列に座らせたりする。
むしろ得意気であるが、日本人から見ると、目ざわりである。なにも細君に聞かせることはないではないか。目ざわりである、と感じるのである。風習のちがいだから仕方がないが、見苦しいと感じる。
講演は、パブリックである。夫婦はプライベートな関係である。必要もないのに、パブリックなところへ、プライベートなものをもち出すのは、見苦しい、美しくない、という感じをもつのは、公私、内外をきびしく区別する文化である。日本人の多くは、そういう感覚を共有する。
人前でする講演を家族が聞くのはおもしろくないと感じるのが、内々を大切にする人間である。関係者がいると話しにくい。
内外の区別にうるさい人間は、家族は言うに及ばず、親しい人、つき合いのある人が、自分の講演を聞くのを好まない。