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孤独と共感のバランス練習帖 ひとりでいること みんなとすること
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ルポ・エッセイ
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第三章 自分をひらくレッスン

『孤独と共感のバランス練習帖 ひとりでいること みんなとすること』
[著]松浦弥太郎 [発行]PHP研究所


読了目安時間:46分
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孤独であることを打ち明けるから共感を得られる




 大らかで、天真(らん)(まん)な人が、うらやましいと思ったことがあります。邪心がなくて、とびきり素直。裏表がありませんから、さぞかし、みんなに好かれるでしょう。


 そういう人の持つ「どう見られようと、自分は自分」という姿勢は、さぞかし、人生をすっきりさせることでしょう。


 ところが、僕ときたら、まるで逆。


 けっこう自意識過剰で、友人関係でも仕事のつきあいでも、ついつい考えてしまいます。

「みんな、僕のことをどう思っているんだろう?」

「実は嫌われているんじゃないか」

「いずれ仲間はずれにされてしまうかもしれない」


 この気持ちはどこに行っても、影のごとく、ぴたりとついてきたのです。


 自分を良く見せたい、人に好かれたいと思って、ついてしまう小さな嘘。


 人の幸せを「良かったね」と言いながら、どこかでくすぶっている焼きもち。


 僕が抱えた秘密は、恥ずかしさにコーティングされた不安と寂しさになって育っていき、「嫌われるかもしれない」という恐れがいつもありました。



 僕が試して、楽になった方法は、自分の心のなかを人に話すこと。


 嫌われるかもしれない秘密の部分を、思い切って人に打ち明けたのです。


 相手は大切な親友で、彼に嫌われたくない、彼ときちんと向き合いたいという願いで、話をしました。「この人には、正直でいたい」と痛切に思ったのです。


 親しい相手にすら、本当の自分を見せていない罪悪感めいたものがあること。


 その本当の自分と言えば、ちょっとした嘘をついたり、(しつ)()をしたり、恥ずかしくてみっともない人間であること。


 彼は、じっと聞いてくれました。今思うと、キリスト教の人が教会でする告解や、カウンセリングのようなものだったかもしれません。


 僕はそれで、救われました。心をひらくことができたのです。


 自分の弱いところ、だめなところ、直さなければいけないと思っているところ。


 それは誰からも隠すべき「恥」として、たいていの人が持っているもののようです。現に、僕が打ち明けた親友は、わかってくれました。

「みんなそうじゃない?」

「僕だってそうだよ」

「ああ、そうだったんだ」


 特別なアドバイスなどなくても、聞いてもらえるだけでずいぶん違いました。その後も、別の人にこうした話をしたことがありますが、「ええっ、松浦くんってそんな人だったの。信じられない」という反応はありません。


 僕の持っている「嫌われるかもしれないという不安と寂しさ」とは少し色合いが違うけれど、相手もまた「嫌われるかもしれないという不安と寂しさ」を持っていて、僕が自分を見せたことでわかりあえた部分もあります。


 知り合い全員に、打ち明ける必要などありません。家族でも親友でもパートナーでも、自分が本当に大切にしている人に、恥ずかしい秘密を聞いてもらいましょう。


 カウンセラーや心療内科の先生に話を聞いてもらうという方法もいいと思います。自分と関係ない人のほうが、かえって話しやすいということもあるのです。


 大切なのは、「嫌われるかもしれないという不安と寂しさ」を秘密にせず、言葉に出してしまうことだと感じます。


 自分を見せる。自分から見せる。これほど大切なことはありません。


 自分をひらく努力をしましょう。「心をひらく」とは、ただ大らかで、みんなにニコニコし、人づきあいがいいことを指すわけではありません。普段なかなか言えない自分の話を、誰かに打ち明けること。これこそ、「心をひらく」行為だと僕は思っています。


「嫌われるかもしれない」と自分を閉じていると、相手はどうかかわっていいのか、わからなくて当然です。窓をぴったり閉ざし、昼でもカーテンを締め切り、気配すらしない家の住人と、つきあいたいと思うご近所さんなどいません。

「嫌われるかもしれないという不安と寂しさ」を抱える人は、そんな家と同じです。


 笑顔も見せない。自分から挨拶すらしない。本当の自分を見せることもない。


 これでは、自分からまわりを遠ざけてしまいます。嫌われるという事態を招く、それ以前に「関係ない人」と切り離されてしまうかもしれません。


 じっとしたままで、「誰か話しかけて。誰か私のことをわかって。できれば、本当の私を見つけ出して」と願うのは、ずいぶん難しい注文です。



 誰かに自分の秘密を打ち明けるほかに、普段からできる「自分をひらくレッスン」があります。それは、今いる場所を、見知らぬ旅先の外国だと思うこと。知らない街、知らない言葉を使う場所で、友だちをつくろうとするときをイメージしましょう。そのイメージで、人とかかわるようにしましょう。


 誰一人知り合いのいない外国に行ったら、まず自分から挨拶をし、笑顔を向けるのが、人とかかわるいちばんの方法です。相手から声をかけてくれるのをじっと待っていたら、ずっと独りのままなのですから、ほかに方法はないのです。


 普段からこのレッスンを試し、ときどき親しい人に、自分の話を思い切ってしてみる。これでずいぶん、楽になるのではないでしょうか。



人知れず、ささやかに、いつも親切に



「人のためになにかしよう」


 心に決めたときに大事なのは、「大きいことをしよう」と思わないこと。大金の寄附、ボランティア、世の中を変えるような発明や事業。「人のために与えるもの」は、必ずしもわかりやすく大きなことでなくともいいというのが僕の意見です。


 お金がなければ寄附はできないし、時間がなければボランティアはできません。世の中を変えるような発明や事業は、誰にでもできるとは限りません。

「だから自分には与えられるものなどなにもない」


 あきらめてしまうのは悲しいことです。視点を変えて、小さなことに目を向けましょう。


 日常のなかで、自分が与えられるものはなにか。


 身近な人間関係のなかで、自分が与えられるものはなにか。


 真剣に考えてみると、できることはたくさんあります。気持ちの良い挨拶や、ていねいな所作。おだやかなドアの開け閉め一つ、優雅なものの置き方一つで、まわりにやさしい気持ちを与えることができるし、なにかを気づかせることもできます。


「与える」という言葉に身構えてしまうのなら、「世の中全体と、自分以外のものに対して親切になろう」と置き換えるといいでしょう。


 人知れず、こっそりと、人のためになにか親切なことをしてみる。


 これは与える行為であると同時に、自分の気持ちを温めてくれます。小さな親切は自分にも幸せな気持ちをくれるので、ますます親切にする力がわいてきます。


 たとえば会社のトイレに入ったら、()れているところを()いておく。傘立ての整理をしてみる。家のなかではゴミを片付け、近所ではゴミ集積場をさっと掃除する。どれも簡単で、即座に始められることです。


 とてもささやかなことばかりですが、ちょっとした親切を人知れずできるようになるだけでも、「いただく」から「与える」にスイッチを切り換えることができます。人知れぬ小さな親切を意識的にするようにしてから、僕もそう実感しています。


「相手が求めていること」をする




 小さくささやかな親切に慣れてきたら、少し上級の「与える練習」をしましょう。


 どんなに裕福で恵まれた人でも、自分を助けてくれるなにかを探しているものです。


 人に与えるには、その人が求めている「なにか」を知らねばなりません。

「日々の生活のなかで、人はなにを求めているんだろう? なにによって助けてもらいたいと思っているんだろう? なにを不安に思っているんだろう?」


 こうしたことを考え、なんらかの答えを導き出し、自分なりにできることを与えることは、仕事にも結びつきます。


 僕の場合は、出版という仕事をしたり、本を書いたり、古書店を経営することで、人々の求めに応えたいと思っています。僕が表現していくもののなかから、一人一人が自分の求めている答えを発見し、喜んでもらえたら、それがいちばんの幸せです。


 仕事の成果とは、「これだけやった」という量ではなく、「こんなに頑張った」という自分の気持ちでもなく、「どれだけの人が喜んでくれたか、どれだけの人が役に立ててくれたか」で決まる。そう思えてなりません。


 仕事を通して人に与えることができれば最上の喜びです。自分という歯車を、社会という大きな機械に合わせない限り、仕事は成功しません。

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